第161話 かつお節を愛する国民性
「気に入ってもらえたようですね」
「そうだな、なんたってシェフの腕がいいからな」
本日の営業時間がおしまいになり、テーブルを布巾で綺麗に拭き上げながらソラノがバッシへと声をかける。レオとともに軽快に仕込みをしているバッシは機嫌が良さそうだ。
「王女様といい、リゴレット伯夫妻といい、俺の料理も中々に評判がいいじゃないか。やる気が出るってもんだぜ」
鼻歌でも歌い出しそうなほどに楽しげにボウルの中身をかき混ぜながらバッシが言う。仕込んでいるのは明日用のブーシェ・ア・ラ・レーヌのパイ生地だ。小麦粉とバター、塩に冷水を入れてさっくりと混ぜている。
「そんでも、ルドルフさんのアドバイスがなければあんなにハマらなかっただろ」
「そりゃそうだがよ。作ったのは俺なんだから俺の腕前によるところが大きいだろ」
「あとソラノの接客な」
「そこも大きいな」
レオとバッシの二人は厨房で雑談を交わしながらも作業に余念がない。ちなみに厨房は牛人族であるシェフ二人の規格に合わせて高めの台が設えられているが、レオは長身なのでなんら問題がなかった。問題があるのはソラノだけで、料理を運ぼうとすると踏み台が必要になる。一人子供みたいな身長だ。
「接客、普通にこなしていただけですけど……やっぱりルドルフさんとバッシさんのおかげではないでしょうか」
「じゃ、皆のおかげって事にしよう」
「なあ、俺の名前が全然上がってこないんだけど。俺は?」
「レオ君は全体的にフォローしてくれてたよね。ありがとう」
「ところで何で隣の席に座っていた連れが貴族じゃないってわかったんだ? 俺には区別がつかなかったんだけどよ」
「ああ、すごく体が強張ってたから……多分テーブルマナーに自信がないんだろうなって。私も最初そんな感じだったから、気持ちがわかるんだよね」
「なるほどなぁ」
「確かに俺が最初に教えた時、ソラノはガチガチだったな」
和気藹々とした雰囲気で店じまいをしていると、扉がコンコンとノックされた。扉を開けるとノブ爺が立っている。
「よぉ、蕎麦食べに来たんだけど。今日大丈夫か」
「こんばんは! 大丈夫ですよ、入って下さい」
そう言うとカウンターに腰をかける。ソラノは蕎麦の用意を始めた。ちなみに蕎麦を打つのはレオである。黒麦騒動の後にわあわあ言いながら作っていたところをレオが参加して来て、一緒になってそば打ちを始めたのだ。蕎麦作りには力が必要なため、非力なソラノよりレオの方が断然に上手く、日本人であるソラノとしてはとても複雑な思いがある。
しかし、蕎麦に必要なのは麺だけではない。
以来、ソラノはそばつゆ作りに精を出す事にしている。
戸棚の下の方に蕎麦専用の区画を設けてあり、そこから必要な道具を取り出していく。
綿棒、鉢、そしてかつお節削り器。
料理をする者は広く知識を求める者と、深く知識を追求する者がいるがソラノは後者だった。
「この間市場へ行った時、いいかつお節が売っていたんで是非使いたかったんです。みて下さいこのツヤ! 香りもすっごくいいんですよー」
肉じゃがから始まって和食作りに凝り始めたソラノは出汁を取るために丸々一本かつお節を買った。つやつやとしたかつお節の表面を人差し指でなぞり、その燻されて香ばしいカツオの香りを胸いっぱいに吸い込む。その香りから懐かしい日本の風景が彷彿とされた。
「おお、とうとう削るとこからやる事にしたのか」
感心したようにノブ爺が身を乗り出してかつお節を覗き込んで来た。
「はい! やっぱり削りたてだと香りも味も新鮮ですから、どうせやるならとことんやってみたいと思いまして。それに手ずから削ったかつお節って一味違う気がするんですよね」
カツオの表面は硬いので、削り器で削るのは少々コツがいる。しかし自宅で練習をしたソラノの手つきは滑らかだった。刃にかつおぶしの頭を当てて、削っていく。シャッシャッといい音が響いた。
「いやー、この世界でかつおぶしを再現した人、お見事って感じですよね! この香りを吸い込むだけで、なんだか日本に帰った気分になれますもん。もしも和食がなかったら、私はもっと前に発狂していたかもしれません。かつおぶしに感謝感謝です」
デルイの両親を上手くもてなせたおかげで上機嫌なソラノはいつにもまして饒舌で、シャッシャッとかつおぶしを削っていく。どんどんと出来上がるかつおぶしの山にノブ爺も鼻をひくつかせている。
「はぁー、削りたてのかつおぶしの香りってのはいいもんだなぁ」
「やっぱりそう思いますか?」
「ああ、芳ばしさが違うな。売られている削ったもんと違って、こう、ふわっと香る」
「ですよね! これを出汁に取るとまたこれが美味しいんですよ!」
かつおぶしへの愛を爆発させる二人の会話にバッシとレオは混ざってこない。多分そこまでかつおぶしにこだわりがないのだろう。
かくして日本人同士によるかつおぶし談義は熱を帯び、誰にも止められない事態になる。出汁を取るためのかつおぶしというのは非常に量が必要になる。白熱したかつおぶし議論を二人がぶつけながら山のようにかつおぶしをこさえていると————。
「も、もう我慢できないニャ!」
虚空から唐突に第三者の声が聞こえ、何事かと店にいる四人が声のした方に目を向ける。くるりと姿を表したのは、全身が淡く光り背中に羽の生えたシャム猫だった。
「え……ね、猫?」
びっくりしたソラノがかつおぶし削り器を握った姿勢のままそう言うと、そのシャム猫はぴょんとカウンターにお行儀よく脚を揃えて座り、ヨダレの垂れた口でこう言った。
「そのかつおぶし、クーにもくれだニャ!」
一体いつ、どこからこのクーと名乗る猫が来たのか。困惑の只中、口を開いたのは蕎麦を打っていたレオだった。
「こいつは
「猫妖精?」
「ああ、召喚術で呼び出される妖精だよ。珍しいなー、なんだってこんなところにいるんだ?」
「それはまあ企業秘密というやつだニャ。で、かつおぶし。くれるかニャー。欲しいニャー」
品の良いシャム猫のような猫妖精であるというクーは、その大きなビー玉のような目をキラキラとさせながらソラノが山盛り作ったかつおぶしを見つめている。
発言自体はごうつくばりなのだが、その見た目の可愛さで許される感があった。可愛いは正義だ。ソラノは猫が好きだった。フサフサの柔らかそうな毛並みも、くねるように揺れる尻尾も、ちょこんと揃えて座っている四つの脚も、キラキラしている青い瞳も全部が全部可愛い。
「いっぱいあるから、ちょっと食べる?」
「おいおいソラノ、こんな得体の知れない猫妖精を餌付けするなよ」
「レオの言う通りだ、召喚術で呼ばれる妖精なら、召喚士がどこかにいるはずだ。勝手なことをしたら怒られるぞ」
「あ、クーのご主人は今ここにはいないから大丈夫だニャ」
「何が大丈夫なんだよ……っていうかお前は一人で何でここにいるんだ」
レオが再び同じ質問をするも、クーはただただ目を細めて笑っているだけだった。怪しい。怪しすぎるが、何か害をなすとも思えない。大体、かつおぶしをあげたくらいで何かしでかすとも思えないし、沢山あるんだからあげたって構わないだろう。
というわけでソラノは今しがた削ったばかりのかつおぶしをわっしと掴むと、お皿に盛り付けてクーの前へと差し出した。
「おい、ソラノ」
さすが元冒険者、危険に敏感なレオがソラノを諭すように言った。最近レオは店に剣を持ち込んでいて、何かあったら応戦できる体制をとっていた。
「何かするつもりだったら、姿を隠してる時に仕掛けてるよ」
「まあ、そりゃそうかもだけどよ」
「レオ君、私はこう思うんだ」
なおも渋るレオにソラノは真剣な眼差しを向けて言った。
「かつおぶしを好きな人に悪い人はいないって!」
「いや猫妖精は人じゃないだろ」
至極真っ当なツッコミが入ったが、既にクーは目の前にあるかつおぶしを平らげにかかっていて、このカオスな状況を止められる人はもはや誰もいなかった。
+++
ズズズ。
はむはむ。
ズルルルー。
カリカリカリ。
夜半の店で変わった音が響き渡っている。
蕎麦を啜る音と、かつおぶしを食む音だ。結局のところ猫妖精は居座り続け、こうして四人と一匹での夜食タイムとなっていた。
猫妖精は何をするわけでもなくただひたすらにかつおぶしを食べ続けていた。
こんなにいっぱいあげていいのかな……と心配になったが「問題ないニャ」と本人が言うのでたらふく食べさせている。
「夜中に食べるお蕎麦って……美味しいですよねぇ」
「ああ、格別だな。今日のはきのこ蕎麦なんだな」
「はい、きのこ沢山あるので」
クペリーナ茸はちくわのような食感だし、ゼップ茸はしいたけに似ていた。どちらも蕎麦によく合う。バッシとレオも蕎麦を手繰っていた。レオは最初のうちは箸の使い方に苦戦していたのだが今では慣れたもので、器用に蕎麦を掴んでは豪快に啜っている。
「にしても今日で三日経ちましたね」
ポツリと蕎麦を食べる合間にこぼしたソラノの言葉に、ん、とバッシとレオが反応した。
三日。デルイが出立してから経った日数だ。
三日ということはまだ目的地には着いていないだろう。どこかで野営でもしているのか。
「ちゃんと寝てますかね、ご飯食べてるかなぁ。デルイさん、一人になると食事が適当になるからなぁ……」
蕎麦を食べながら虚空を見つめ、遠くに行ってしまったデルイへと想いを馳せる。
心配しなくていいとは言われているが、それでも心配には変わりない。
そんなソラノを店にいる三人は言わずもがな、クーまでもが見つめてきた。
「ソラノさんはー、デルイさんのこと好きなのかニャ」
「ん? そうだね、好きだよ」
初めて出会った猫妖精に何を言っているのかと思わないでもないが、聞かれたので素直に答えた。対するクーは「そっかぁ……」と言うと再びかつおぶしをハミハミと食べる。
今、何をしているのか。
それはソラノにはわからないことであったが、ともかく無事に帰ってきてほしいと思った。
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