第160話 また来るわ
「余計なお世話だったのではなくて?」
食後の紅茶を供されながら、リリアーチェはソラノへとそう声をかける。ソラノはキョトンとした様子だったが、すぐさま先ほどのロンバート子爵のことかとあたりをつけて返答をしてきた。
「確かに、余計なお世話かもしれないと思いました」
茶葉を蒸らした紅茶をカップへ注ぎながらけれど、と言葉を続ける。
「どう見ても勘違いが発生しているようでしたので、解決のお手伝いをして差し上げたいなと思いまして……旅の終わりか始まりなのか、そこまでわからなかったんですけど、やっぱり旅行の思い出は楽しくあって欲しいじゃないですか」
それがたとえ、空港での食事であっても。旅行という非日常的な出来事に一点のシミもあって欲しくないというささやかな願い。
「それにお店に入ってお食事をする以上、その場を楽しく過ごして頂きたいというのが店の願いです」
テーブルに砂糖とミルクを置くとソラノは一点の曇りもない眼差しでそう言った。社交界でリリアーチェが普段相手にしている魑魅魍魎「ちみもうりょう」とは違う、純粋な想いが溢れる瞳だった。
ごゆっくりどうぞ、と丁寧に頭を下げてさっていくその後ろ姿を目で追う。
自分たちの正体を知ってなお、彼女はリゴレット伯夫妻を贔屓するような真似をしていない。他の客と同じように扱い、あくまで平等だ。目線でこちらの態度を伺うようなこともしなければ、気に入ってもらおうと取り入るような態度も取らない。
会話と会話の合間の絶妙なタイミングで料理を持ってきて、ワインのおかわりを尋ね、不備がないか目を走らせるが、それは他の客にも同じことをしている。
よく見られたい相手を贔屓しないということは非常に難しい事だとリリアーチェは知っている。長きにわたって社交界を渡り歩いているリリアーチェの眼力をこんな小娘風情が誤魔化すことなど不可能で、つまりそれは心の底から自分たちをいちお客として扱っているということに他ならない。
「ねえ、リゴレット伯夫人」
隣のテーブルに座るフロランディーテ殿下が声をかけてくる。とっさに礼をしようと構えをとったリリアーチェとライオネルだったが、殿下の白魚のような手がそれをさっと押し留めた。
「今日は作法は無用よ、私達これでも一応、お忍びなのだから。それよりも」
その大きな紫色の瞳がテーブル脇に控えているソラノを見つめる。
「私のお気に入りのお店の店員を、どうかいじめないで差し上げてね。彼女には随分、助けてもらったのよ」
「……承知致しました」
「よかったわ。彼女は良い方だから、きっと気にいると思うわよ、ね?」
「ああ、僕たちはこのお店にとても世話になっている。ガレットは彼女がいなければ生み出されなかった料理だよ」
国の王女とその婚約者である王子にそう言われてしまってはリリアーチェに反論する術などない。
噂は、本当だったというわけね。
リリアーチェは老執事がもたらしたまことしやかな噂の真偽についてようやく合点がいった。
向かいの席ではライオネルがムムゥと唸っていた。
「しかしこのコース仕立ての料理達は我々好みのものばかりだったな。事前に予約しただけあって、下調べがされていると言うことか」
「そうねえ、偶然にしては出来すぎているから、きちんと調べたのでしょうね」
ブーシェ・ア・ラ・レーヌ
ビーツのポタージュ
クネル・ド・ブロッシェ
尾長鴨ソテー
どれを取っても美味しく、見た目も美しく、そして季節の旬のものを使用している。
ライオネルはその無骨な見た目から薪で焼いた骨つき肉をバリバリ齧っているのが大層似合う男だが、王都にいる時にはもっと優雅な食事を好んでいた。ギャップの激しいことこの上ないが、戦場では常にその場しのぎの食料で済ませていることから平和な時には良いものを食べたいという思いがあるらしい。
淹れてもらった紅茶はこの時期に採れるダージリン。ふくよかな香りはストレートで飲むのがふさわしく、ゆっくりと鼻腔に広がる芳醇な香りを楽しみながら口をつけた。
「お前の中でのあの娘の印象はどう変わった?」
ライオネルに尋ねられリリアーチェはほっそりした指を顎に当てて思案した。
「そうね、気立てのいい子だと思うわ。社交界にはあまりいないタイプの人間で……デルロイが気にいるのも無理はないわね」
素直な感想を口にする。
あれほど実直な人間は、笑顔の下で腹の探り合いをする上流階級にはまずいないだろう。それゆえに、末息子が好感を覚えたとしてもなんら不思議はない。
「そうか」
国の末王女の覚えめでたき人間をないがしろにしたとあっては体裁も悪いだろう。
「ま、貴方が余計な約束をしてしまったから、あの子が本当に森竜を討伐して帰ってきたらどうするのかは考えないといけないけれど」
「約束は約束で、儂としては破りたいとは思わんが」
「けれどシャインバルド家のお嬢様との縁談はそれより先にしていた約束よ」
そう言い返せばライオネルは黙り込んでしまった。
王女も贔屓にする店の給仕係と、名家のご令嬢。どちらを取るかと言われれば当然後者になる。
このソラノという子には悪いけれど、手を引いてもらう方法を考えたほうがいいわね、とリリアーチェは優雅な笑顔の下で冷静に考えた。
「ご来店ありがとうございました」
「ご馳走様、美味しかったわ」
「うむ、なかなかいい料理だった」
デルロイが帰ってきた時に派手な親子喧嘩を繰り広げた人物と同じとは思えないほどに落ち着いて食事をしたライオネルとリリアーチェは、会計を済ませて挨拶をする。
ソラノは相変わらずニコニコとしており、他の客にするのとなんら変わりない挨拶してくる。
「では、またのご来店をお待ちしております」
「あら、また来てもいいのかしら」
「はい、勿論。いつでもお待ちしております」
真意からそう言っているのであろうこの娘にリリアーチェは笑顔で応える。
「ではまた来ることにするわ」
「はい! ご来店ありがとうございました」
気持ちのいい笑顔で見送られ、リリアーチェは自分が不思議といい気分になっていることに気がついた。
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