第162話 兄との会話

 野営地にて燃ゆる火の前に座りながら、デルイは何を見るともなしに眼前で揺れる炎をただ見つめていた。


 出立してから三日。

 明日にはファーラザードに着く予定だ。

 唐突に森竜討伐に参加が決まったデルイだが、此度の魔物討伐部隊は精鋭で編成されているため低俗な絡み方をしてくる人物はいなかった。

 ただ、手合わせをしようと提案してくる騎士は数人いたためにそれには応じた。

 舐めてかかるような騎士はいなかったが、それでも数撃、剣を打ち合うと相手の表情はみるみる内に変わっていった。

 魔法攻撃と剣技を合わせたデルイの戦闘スタイルは少々珍しい。

 五人切りを果たしたところで待ったをかけられ、そこで終いとなった。


 手には、先ほど配られた椀を持っている。スプーンですくって中身を口へ運ぶと、雑に切った野菜と干し肉を塩で味付けしたスープの味がした。

 実践好きなライオネルのせいで一年の半分を魔物討伐に費やし、野営して過ごしていた頃ならばこのスープだって十分すぎるほどのご馳走だったが、ここ最近はいいものを食べているせいか味気なく感じる。

 デルイはソラノと出会うまでは食事に重きを置いていなかった。

 邸にいれば贅沢な食事が出て来るが、森や沼地や岩場ではそうはいかない。命が繋げればいい、という考え方だったため、味も内容もどうでも良かった。

 店で注文するときにソラノにメニューを任せているのもそのためだ。自分で選ぶと肉ばかりに偏りがちになってしまうので、任せてしまった方がバランスがいい。

 ソラノはその日その日の新鮮な食材やオススメのメニューを組み合わせて出してくれるので、何が出て来るか待つ間も楽しみだった。

 

 もう一口、食べてみる。煮込まれ過ぎた芋はドロドロだし、人参は火が通り過ぎてて食感がよくない。

 ソラノが家で作ってくれる肉じゃがは、もっと綿密に歯ごたえまでもが計算されて作られている。芋は形が残るよう他の具材より後から入れているし、人参は形さえ綺麗に整えられている。考え出すと、あの肉じゃがが食べたいなと思うのだから自分は重症だ。


「隣、いいか」


「ああ……」


 話しかけられて返事をしてから見やると、そこにいるのは同じく椀を持ったデルイの兄、エヴァンデだった。父親に似て偉丈夫なエヴァンデは横にどっかりと腰を下ろすと、上体を傾けてデルイの方へと近く。


「お前、雰囲気変わったな」


「そうか?」


「ああ、五年前に空賊討伐の応援で空港に行った時には、もっとチャラチャラした感じだっただろ」


 確かにあの時は、制服は着崩しているわピアスは開けまくっているわで中々にフザけた装いをしていた自覚がある。それも昨年には身なりを正すようになり、それにすっかり慣れてしまったからこうして指摘されるとなんだか新鮮だった。


「お前の勝利回数は、俺に四回、リハエルに六回、父上に一回だったな」


 思い出したかのようにエヴァンデはその父親譲りの厳しい顔つきを意地悪くニヤリと歪めて笑い、そして指折り数え出す。嫌な予感がした。


「そんでお前が以前につけていたピアスの数も……十一個だったな」


「クソ兄貴!」


 間髪入れずにデルイの持っていたスプーンがビュッと音を立てて空を切った。エヴァンデはそれを軽々と避け、豪快に笑う。


「はっはっはっ!お前は中々可愛いところがある。だから皆で鍛え上げようとするんだよ」


「うっせえよ!」


 過去の黒歴史を掘り返されたようで、顔から火が出そうだった。ひとしきり笑ったエヴァンデは満足したのか、スプーンを突っ込んでスープを食べ始めた。


「にしても、お前が森竜討伐する日が来るとはな。いよいよ身を固める決心がついたのか」


「あ? 俺、兄貴に森竜討伐に行く理由なんぞ話したっけか」


 気を落ち着けるべく味気ないスープを食べながら会話をした。こうしてまともに話をするのは随分と久しぶりだった。エヴァンデはデルイより十二も年上なのでもう立派なおっさんだ。確か子供もいるはずだが、顔を見たのは一度か二度程度だった。


「いや、だが俺もリハエルも、ついでに父上も結婚する前にはこうして森竜討伐に行った。なんでもリゴレット家の男は竜の一体二体倒せなければ一人前と認めてもらえないらしい」


「なんだそれ……じゃあ、アレは親父の思いつきじゃなくて兄貴たちも同じことしてたのか」


「そうだ。俺は三体、リハエルは二体。そんで父上は五体、単独で倒したな」


 聞いてデルイは憮然とする。ソラノには全力でやって一体と答えてしまったが、それを聞いたら一体で済ませることなどできるはずがない。


「じゃあ俺は最低でも六体倒す」


「おっ、張り合うか。お前のそういうところが皆、好きなんだよ」


「嘘つけ、散々イジメてくれたくせに」


 昔ボコボコにされた事は忘れたくても忘れられない出来事だ。そのくせデルイに傷跡がないのは、傷ができる度に母親と執事が躍起になって治したせいだった。兄二人には「傷も男の勲章」と言っていたのに、デルイにだけは「傷が残るとご令嬢の印象が悪いわ」と言って全て綺麗に治されていた。デルイにとってはその違いも嫌だった。


「お前だってわかってるだろ、別にイジメてたわけじゃない。鍛えていたんだ。騎士になると危険が伴うし、貴族社会で生きるには処世術が必要だ」


 エヴァンデは尤もらしくデルイへと語り聞かせた。そんな事はとっくに理解している。しかしそれはそれとして、デルイは母親に何かを教わる度に、そして父親に剣術で打ち負かされる度に拭えない感情が湧いて出るのを抑えられなかった。


「皆、俺に勝手な理想を押し付けすぎなんだよ」

 

 騎士とはこうあるべき、紳士とはこうあるべき。デルイの両親はそんな理想を押し付けてきて、デルイの本来の姿を見ようとはしていなかった。


「ほお、ならばお前が双子の魔法石の片割れを送った女性は、そうではないんだな」


 言われて思わず、耳に嵌った今や一つとなったピアスに触れた。ソラノと対になっている物だ。


「そうだな、彼女はちゃんと、俺を俺として見てくれてるよ」


 リゴレット家の血を継ぐ者でも、リリアーチェの美貌を継いだ者でもなく、空港で働きお店によく顔を出す一人の人として。


「そりゃいい人に巡り会えた」


 エヴァンデが破顔する。その笑顔はかつて模擬戦時に木刀でデルイのことをタコ殴りにしていた時の面影すらない、いい表情だった。


「兄貴、丸くなったな」


「四十近くなればそりゃあな」


 エヴァンデは立ち上がり、尻についた土埃を払った。


「まあ、せいぜい頑張れや。死にそうになったら助けてやるから」


「クソ兄貴の助けなんていらねーよ」


「お前、口だけは昔から一人前だったな」


 まあ、と言いながら言葉を続ける。


「たまには家へ帰ってやれよ。そんで皆で飯でも食おう」


 御免蒙ごめんこうむるという言葉が喉先まで出かかったが、なぜか声にはならなかった。代わりに手を振り、エヴァンデを追い返す。

 呆れ顔で息をつくエヴァンデはそのまま他の騎士の様子を見るべく、去って行った。

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