第163話 コミュ力おばけ①

「ティーナ。もうデルイさんは諦めたほうがいいニャ」


「なっ、なんでよ」


 時刻は昼過ぎ、システィーナが自室にてくつろいでいるとクーがふわふわと飛んできてそんなことを言い出した。なぜか口の周りをペロリと舐めている。ソファでゆったり紅茶を飲んでいたシスティーナはもちろんこの言葉に憤慨する。


「あのソラノって子にティーナじゃ勝てニャい」


「あんな冴えない子に? 何で?」


 クーにはこの七日間、店を見張るようにお願いしていた。最初のうちは渋々だったクーだが、なぜか途中からノリノリになり、ここ三日ほどはかなり深夜になるまで帰ってこなくなった。もともと夜行性ではあるがやる気のないクーにしては相当な変わりようで、一体何があったのかと訝しんでいたところだ。

 まさか、あのソラノという子の秘めたる力でも見つけたというのだろうか。


 クーはスタッと向かいの椅子に座ると至極真面目な顔を作り、厳かに言った。


「あの子は……」


「あの子は……?」


「コミュ力おばけ」


「なっ……!」


「デルイさんの両親と、あとナントカって子爵と、王女様も好意的に見てたニャ。ティーナじゃ土台無理な芸当だニャー。諦めたほうがいいと思う」


 クーのもたらしたその情報にシスティーナは衝撃を受けた。

 家柄も才能も美しい容姿も暖かい家族も持っているシスティーナが唯一持っていないもの、それがコミュ力だった。

 システィーナは考えたことがそのまま口から出てしまったり、自分の感情に素直に動きすぎてしまう性格だ。それ故に学校へ通っている時にも友人に恵まれなかった。


「ソラノ、たった一回の食事に来たデルイさんの両親をもてなしただけで心を開かせたんだニャ、それってすごくないかニャ? 王女様もよく店を利用してるみたいだし、息をするように人と仲良くなる才能があるニャ。クーもソラノはいい子だと思う」


「どうしてクーまでそんなことを言い出すのよっ」


 するとクーは再び口の周りをペロリと舐めた。


「ソラノが削るかつおぶしは美味しい。かつおぶしへの愛を感じる」


「あなたまさか餌付けされたの!?」


 システィーナはぶったまげる。初めての召喚獣にして唯一無二の友人であるクーまでもがソラノの毒牙にかかってしまったというのか。

 なんたることだろう。


「この間リゴレット家に問い合わせたら、肝心のデルイさんがいないから縁談の日程を再調整したいって言われたのよ……そんな理不尽許されると思う?」


「このままいくと、次は『縁談を白紙にしたい』と言われるニャあ」


「冗談じゃないわ!」


 何のために五年も不毛の地で一生懸命勉強していたと思っているのか。全ては、デルイとの縁談を心の支えに頑張って来たのだ。ここに来てそれが覆されるなんて、そんなの冗談じゃない。絶対に許せない仕打ちだ。


「行くわよ、クー!」


「行くってどこに」


「決まっているでしょう!」


 システィーナは勢い込み、ソファから立ち上がって猛然と扉へ突進した。


「ソラノがいる店よ!」



+++


「いらっしゃいませ」


 邸から馬車でまっすぐに来てもそれなりに時間がかかるエア・グラドゥールに着いた時には少し早めの夕食の時間になっていた。

 肩をいからせながら店に入るなり、気がついたソラノがやって来て丁寧な挨拶をする。

 あいも変わらずの地味な黒髪に、同じモスグリーンのワンピースの上から何の装飾もない白いエプロンをつけている。

 顔に笑顔を浮かべているのが、気にくわない。


「お食事ですか? お一人様でしょうか」


「ええ、食事よ。一人じゃないわ、クーがいるもの」


「ニャあ」


「ではカウンターのお席へどうぞ」


 ソラノは手で空いている席を指し示してそこまで案内をする。笑みを絶やさず、クーはソラノのあとをふよふよついて行っている。 

 恋敵を目の前にしてそんな表情を浮かべるなんて、余裕綽々ね。

 胸中で毒づきながら、ストレートな言葉を出すのをグッと堪えた。

 水をカウンターへと置き、メニューの説明をしようとするのを手で遮る。先手必勝だ。


「地竜のステーキをお願い」


「申し訳ございませんが、当店では用意がございません」


「では鱘魚の皇帝エンペラー・スタージオンのキャビアをくださる?」


「そちらも用意がなく……」


「コカトリスの卵くらいなら、ございますわよねぇ?」


「申し訳ありませんが……」


「まあ! 天下のエア・グランドゥールに出店しているにも関わらず、その程度の食材も扱っていないの? 一体それでどうやって、この店に来る上流階級の方々をもてなすおつもりなのかしら」

 

 片眉を吊り上げ、唇に手を当てて嫌味たっぷりに言ってやる。

 怒って取り乱すといいわ。前回は「食事をしない」と言ったせいで追い出される羽目になったが、今回は違う。れっきとしたお客としてここにいるのだ。

 ソラノが怒れば「店員の分際で生意気だわ」と言い返すことが出来、周りにも失態を犯した店員と印象付けることができる。

 何よりもシスティーナの溜飲が下がるというものだ。


 しかしソラノはシスティーナの思惑とは異なり、バッと頭をさげるとこう言う。


「申し訳ございません、お客様がおっしゃるような食材を当店でお出しすることは出来ません。ですが、必ずお客様を満足させるお料理を提供することをお約束いたします」


 頭を上げて目があったソラノの大きな黒い瞳は自信に満ち満ちていて、それがハッタリではないことをうかがわせた。システィーナはわずかにたじろぐ。

 学校では、システィーナがこうした物言いをすれば逆らう人間などいなかったのに。皆、システィーナの家格や才能に恐れて言うことを聞いていたのに。

 なのになぜ、この何の力も持たないただの給仕係風情がこんなにもシスティーナと対等に渡り合おうとするのだろう。


「高級食材はございません。けれど、お好きな食材や苦手な食材をお教えいただければ好みに合わせて料理をお作りいたします」


 その気迫に、システィーナは思わず飲まれる。


「……パ、パイ包みが好きだわ。苦手な食材は、魚よ」


「かしこまりました。お飲物は如何しますか」


「お任せするわ」


「では少々お待ちください」


 ソラノはそうして厨房の方へとオーダーを通しに行く。店はそこそこの賑わいを見せており、厨房では大柄な牛人族の男がフライパンをゆすり、ソラノともう一人の長身の青年が店内で接客に勤めていた。

 不思議な空間だった。

 よくよく考えてみると、こうしてカウンターに一人で向かって食事をするなど初めての経験だ。学校では大広間で食事をするのだが、一人だと影でコソコソと何を言われるかわかったものではないので皆誰かを誘って食事をしていた。

 膝の上にはクーがいるものの、変に思われないかと辺りを見回す。しかし、誰もシスティーナに注目などしておらず、めいめい食事を楽しんでいるようだった。カウンターには金髪をひっつめにし、唇を赤く塗った色っぽい女の人が一人で座ってお酒とパンペルデュを楽しんでいる。目があうと軽くウインクをしてくれて、思わずどきりとした。


 大人な空間なんだわ。

 学校の食事風景とは一線を画するこの場所にシスティーナは戸惑いを覚えた。

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