第60話 開店準備

 出来上がったお店を見たときの感動をどう言葉にすればいいかわからなかった。

 全面がガラス張りの壁に、ポイントとなるモスグリーンの柱。庇に入った凝った文体の「ビストロ ヴェスティビュール」の文字。扉をあけて入ってみれば、床も壁もテーブルに至るまでダークブラウンで統一された店内。L字型のカウンターにピカピカのハイチェアが並び、上には高さが倍になった天井からこれまたモスグリーンのペンライトが吊り下がっている。カウンター上には黒板が貼られている。

 キッチンの後ろにはガラス戸が設置されており、職員向けのお弁当の受け渡しはここからする予定となっていた。

 店舗の面積は空港内に立ち並ぶ他のレストランや酒場と比べれば圧倒的に狭いが、テーブル間隔が近すぎるということはなく、これなら大柄の冒険者やパニエで膨らんだドレスを着たお嬢様が来店しても問題ないだろう。

 持参した絵を外の壁に貼り付けて眺める。


「どうだ?」


 一ヶ月に及ぶ工事を任されていたドワーフはドヤ顔でソラノたちを見ていた。


「最高だぜ!」

「ああ、全くだ!」

「まさか店がこんな綺麗になるなんて、一年前じゃ考えられなかったよ……」

「おじさんたちありがとうございます!」


 口々に言われる賛美の言葉に、ドワーフたちは満足そうな顔をした。


「商売繁盛、祈ってるぜ」


「もちろんだ。これプレオープンの招待状」


 ドワーフの激励の言葉にバッシがぐっと親指を立てて請け負い、招待状を渡す。


「営業とデザイナー、みんなで来てくれや」



 

 店ができたら中の準備をしなければいけない。


「こんにちは。頼まれてたもの持って来ました」


「おお、そこらへんに置いといてくれ」


「へーい」


 運搬業者がやって来て、今日に合わせて運搬を依頼をしておいたカトラリーや食器、グラスや調理器具、ナプキンなどの布類、洗剤、スポンジと続々と物資が運び込まれる。


「お嬢ちゃん、食器洗っといてくんねえか。しまうとこも教えるから」


「はい」


 ソラノはそれらを木箱から慎重に出して一つ一つ洗う。新品の食器はひとつ取っても今までのものより高いから、傷をつけたり間違っても割ったりしないようにしなければ。丁寧に水気を拭き取り棚に収めていく。グラスはカウンター上に取り付けたグラスハンガーに飲み口が逆さになるように脚の方を引っ掛けて、種類別に並べていく。


「ソラノちゃん、手荒れに気をつけんだよ」


 一緒に食器を片付けているマキロンが言った。


「年取ると水分持ってかれてねえ。いいクリームあったら教えとくれ」


「今度アーニャに聞いておきますね」


 いいハンドクリームがあればいいんだけど。アーニャに聞いて、マキロンにプレゼントしよう。

 ジルは脚立に登ってカウンター上の黒板に、予め決めてあったメニューのデザインを描き起こしていた。


「特製ビーフシチュー 二千ギール。花畑の巣篭もりツィギーラのオムレツ 千七百ギール。王都の春に咲くカプレーゼハンバーグ 二千五百ギール。うーん、どれも美味しそう!メニュー書いてるだけなのに、お腹が空いてきちゃいます」

 

 ここ数週間、カウマンとバッシの料理を散々一緒に食べていたジルはすっかり味を占めていた。


「もうかつお節ご飯には戻れそうにないかも……頑張って売れっ子画家になって、ここに毎日通います!」


「ここは雲の上の空港だからなあ。普通に通うには大変だぞ」


「それでも私は通いますっ! 見ていてください、絶対に売れっ子になりますから!」


 このしばらくした後、ビストロ ヴェスティビュールに端を発した画家がメニューの絵をダイナミックに描くという手法が大層ウケて、ジルには料理の絵を描くという仕事が殺到して文字通り彼女は売れっ子画家となり、暇を見つけてはヴェスティビュールへと通う常連の一人となるのだがそれはまだもう少し先の話であった。


「コンロの火力を考えねえと。あんま出力が高すぎると、煙が客席まで流れちまうな」


 コンロ前で試しに料理を作りながらカウマンが言った。隣のコンロで鍋を振るうバッシが相槌を打つ。大柄な二人が並んでも窮屈にならない程度にキッチンのスペースは確保されていた。


「いきなり高火力を使うんじゃなくて低温から徐々に温度を上げていけば煙の出る量が減るぞ」


「換気に使う風魔法の出力をあげるってのはどうだ?」


「やりすぎると店内に暴風が巻き起こる。あっという間に料理が冷めちまうぜ」


カウマンとバッシが魔法で水を出力しシンクの流れ具合を見たり、火魔法でコンロを使ったり、風魔法で換気の具合を確認したりする。明かりも自分たちで灯してみて、料理がどのように見えるのか、客席にソラノやジルを座らせて、どんな風に見えるのかを都度確認した。


「全てにおいて完璧だな」


 バッシが腕を組んで頷いた。


「プレオープンは四日後だ。明日からは食材搬入、下ごしらえ、客を入れる準備を進めよう」


「おーっ!」


 みんなで声を揃えてガッツポーズをした。


+++


 翌日には予め購入していた保存がきく食材やお酒の搬入がされ、続々と小麦粉や調味料、ハーブにワイン各種、シャンパンが運ばれてくる。お酒はラベルが見えるように棚に綺麗に並べる。その翌日には下味をつける必要がある肉と魚が運ばれ、さらに翌日は野菜が搬入されて食材の下ごしらえ。そしてプレオープンの日はカウマンとバッシが朝早くから市場に向かって、肉と魚を仕入れて来た。


「いよいよ今日だな。腕がなるぜ」


 カウマンが腕まくりをして屈強な腕を晒し、パンをこね出した。プレオープンの時間は十八時。時間はあるようであっという間に過ぎるだろう。

 バッシは生野菜を切ったり、マリネ、前菜の準備を進めている。作り置きできるものはしておき、肉や魚など直前に調理しなければならないものは後回しだ。


「パン焼いてる間にスープを作っておくぞ」


「おう」


 カウマンは大量のバゲットをオーブンに押し込み、焼いている間にスープへと取り掛かる。


「本日のスープは温かいかぼちゃのスープとホワイトアスパラガスのスープの二種類だ」


 市場で仕入れたかぼちゃはソラノ一人で抱えられないほどの大きさのおばけかぼちゃだった。


「大きくても実がみっしり詰まっていて、甘みがあるタイプのかぼちゃだ。実が鮮やかなオレンジでな、ペースト状にすると綺麗な橙色になる」


 皮を取り除いて蒸したかぼちゃを丁寧に潰し、ざるに押し当てて裏ごししていく。湯気が濛々と立ち昇っているが、カウマンは気にせずどんどんとヘラで潰していった。

 ペースト状になったら牛乳を入れた鍋に入れ、馴染むまで弱火でじっくりかき混ぜる。ここに野菜の皮やヘタの部分、肉の骨に近く食べられない部位を煮出して作った特製のスープを合わせて旨味をつければ濃厚なかぼちゃスープの完成だ。


 ソラノは床にモップをかけたりテーブルや椅子を拭いたり、ガラス窓を拭いてまだ新しい店内をさらにピカピカに磨いて行く。

 ちなみに改装にあたってソラノの服も一新した。今までの服だとカジュアルすぎるので店のテイストに合うよう、膝下まである深いグリーンのチェック柄ワンピースの上から白いエプロンを締めている。髪は邪魔にならないようつむじから編み込んだ一つの三つ編み、黒いタイツを履いた足元に靴はブラウンのローファーだ。


「ソラノちゃん、その格好だとぐっと大人っぽくなるねえ」


「あ、本当ですか? 嬉しい」


 大人っぽい、は初めて言われた単語だ。マキロンに言われて素直に頷く。


「アーニャと選んだんですよ」


 店に合うような服選んで来いと漠然とした事を言われ、二人で悩みながら選んだ。我ながら着たことのないテイストの服だったのでどう思われるかちょっと心配だったが、そう言われると嬉しいものだ。


「割と動きやすくて気に入ってます」


 毎日着るので同じものを三着買ってきた。


「アタシも若かったら同じの着たんだけどね」


「あはは」


 果たしてマキロンが若かったとして、このワンピースが似合うのか。ソラノは想像して、笑ってごまかすことにした。


 あっという間に夕方になり、ライトに明かりを灯して客を迎え入れる準備をする。


「開店しまーす!」


 扉をあけて、ソラノはワクワクしながらそういった。

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