第84話 夜鳴きラーメン①

「ラーメン♪ ラーメン♪」


 閉店直後に速攻で仕事を終わらせたソラノは上機嫌で歩いていた。いつもならば閉店後に返却されたお弁当の容器を洗っていたのだが、レオが皿洗いしてくれていたおかげで本日の作業は少なくて助かった。

 足取りは軽やかで、若干スキップしている。


「そんなに美味しいの?」


「そりゃもう! 私の生まれた国でラーメン好きじゃない人なんていません」


 異様にテンションが上がっているソラノにデルイが尋ねてきたので、ソラノはそう断言した。間違いない。ラーメンは日本における正義だ。国民食だ。


 夜鳴きラーメンを食べにいくメンバーはノブ爺にジョセフ、ソラノ、レオ、デルイ、スカイ、ローズの七人だ。ラーメンと聞いて目の色を変えたソラノの姿に興味を覚え、職員が芋づる式についてくることになったのだ。ヴィクトーは怨嗟の声をあげながら管制塔へと戻って行った。バッシは「明日の仕込みがあるから」と言って断っていた。

 随分な大所帯だがそんなことは歯牙にもかけていない。ソラノの脳内を占めるのはラーメンのことだけで後のことなどどうだっていい。一年以上ぶりにラーメンが食べられるというだけあって、ソラノの心は高揚しっぱなしだった。

 


「そこの角曲がったとこだ」


 ノブ爺がしわがれた指で角を指差した時、ラッパの音が聞こえて来た。



 ♪チャラリ〜ラリ チャラリラリラ〜♪



「! ちゃ……ちゃるめら!」


 生で聞くのは初めてだった。

 令和のJKソラノにとってチャルメラも屋台ラーメンも化石みたいなものだった。漫画やドラマでしかみたことがない。


♪チャラリ〜ラリ チャラリラリラ〜♪


 再び聞こえてくる、どこか間の抜けたラッパの音。

 嫌が上でも期待が高まった。神経を研ぎ澄ませればかすかにダシと醤油の香りが漂ってくる。

 やばい。

 走り出したい気持ちをグッとこらえ、片足を引きずっているノブ爺の歩調に合わせてゆっくりと歩く。

 そして角を曲がれば、全貌が明らかになった。

 

 王都郊外の公園の一角に陣取った移動式のラーメン屋台。リヤカーに屋台が取り付けられており、カウンターに席が五つほど。そして周りにベニヤ板で作った低めの机と丸い椅子が数個置かれていた。屋台の中では寸胴からモクモクと湯気が立ち上っていて、その奥では店主が麺の湯切りをしている。


「ノブ爺さん……屋台! ラーメンの屋台がありますよ! 私初めて見ました!」


「初めて? 今の日本には無いのか?」


 この世界に来て四十年という年月が経っているノブ爺がいぶかしむように聞いた。


「ありませんよ。いや、探せばどこかにあるのかもしれないけど……私の住んでいた地域には無かったです。ついでに焼き芋を積んだ軽トラも豆腐売りの荷車もありません」


「そりゃまた風情がねえなあ」


 博多辺りには屋台がまだまだあるという話を聞いたことがあるが、少なくともソラノが住んでいた地区では絶滅している。そんなわけで、初めて見るラーメンの屋台と一年ぶりのラーメンにテンションが最高値に達しているソラノは並み居るメンバーを置き去りにして走り出した。もう屋台が見えてるんだから一足先に行ったっていいだろう。


「すみません、ラーメンください!」


「んん?」


 屋台にいたのは獅子の顔をした厳<いか>めしい獣人だった。モサモサのたてがみにねじりハチマキを巻いている。手には先ほど湯切りをしたザルを持っていた。

 それをストンと薄茶色のスープが入ったどんぶりに入れ、上に具材をのせていく。ナルト、チャーシュー、メンマ、ネギ。鮮やかな手つきだ。それをカウンターに座っている客の前に出す。それからソラノに向き直って渋い顔をした。


「ここは小娘が来るとこじゃねえぞ。夜も遅い、危ねえから帰れ」


「おーい、俺の連れだよ」


「おっ、爺さん」


 獅子の獣人のオッチャンはソラノに向けたのとは打って変わって明るい表情を浮かべる。


「爺さんの連れ? んん? 孫か?」


「職場の近くで働いてる飲食店の子だ。ラーメン食えるって言ったら喜んでついて来た」


「おお、そうだったのか。いや悪い」


 オッチャンはそう言うと途端に愛想の良さそうな顔になる。


「人数多いな……用意するからテーブル席に座ってろ」


 そうして七人で低めのテーブルを囲んで待つ。狭い。ぎゅうぎゅうだった。隣に座るローズから香水のいい香りがふわりと漂ってきた。

 待つ間もそわそわしてソラノはノブ爺に話しかける。  


「ラーメン、一種類なんですね」


「夜鳴きラーメンつったらそういうもんだ」


「でも、ラーメンあるならもっと早く教えてくださいよ。全然見かけないからここには無いのかと」


「こんだけ食文化が流入されてるのに無いわきゃないだろ。珍しいけどな」


「中華は少ないですよね。フレンチはすごいのに……」


「貴族が好んで食べるものが率先して作られていったんだろうなぁ」


「お貴族様もラーメン食べればいいのに……」


「いやぁ中々無理あんだろ」


 他愛もないことを話していると、お盆に載せたラーメンがやって来た。


「お待ちどう」


 ソラノは自分の前に置かれた丼には、先ほど見たものと全く同じものが入っている。薄茶色のスープに縮れ麺、その上に具材。


 レンゲを手に取りスープから口にして見た。一口含めば、久方ぶりに口内に広がる鶏ガラと醤油の味。パンチがあるのにあっさりとした味わいはまさしく醤油ラーメン。

 続いて麺。箸で掴んで丼から引き出し、熱々のそれに息を吹きかけ少し冷ましてから一気に啜る。ちゅるんと口に入った麺はコシがあり、噛むほどにスープの旨味が広がった。

 上に乗ってるチャーシュー。決して肉厚ではなく、むしろペラペラだがしっかり味がしみている。

 ナルト。あっさりとした味わいがラーメンの中で箸休め的な感覚で食べられる。

 メンマはこりこりとした食感で、醤油の味が深い。

 シャキシャキのネギはいいアクセントになっていた。


 完全にラーメンだった。昔ながらの、中華そば。


 もう箸を握る手が止まることがなかった。手繰るほどにスープが絡む縮れ麺。この、スープまで飲み干したら絶対に塩分取りすぎなのはわかっているのに、飲まずにはいられない絶妙な味は一体なんなのだろう。鶏ガラと醤油が合わさり合い背脂が浮いたスープの暴力的なまでの味を前に、箸を休めるなんて無理だ。


 ソラノは一言も発さずに夢中でラーメンを食べ進める。ちゅるちゅるーっという音だけが響いた。

 先日来たお客さんが半熟卵のウフマヨネーズに感動していて、それを生暖かい目で見守っていたが、なんのことはない。

 ソラノも同じ穴の狢<むじな>だったということだ。


 無言で食べていると麺がなくなっていき、スープに透けてあっという間に丼の底が見えてきた。驚愕する。


「もうない!」


 夜鳴きラーメンは普通のものに比べて量が少なかった。

 もうこれでおしまいなんて……切なすぎる。もう一杯頼もうかな。

 

「ぷっ」


 迷っているソラノの耳に耐えかねたようなローズの吹き出した声が聞こえてきた。隣を見ると、肩を震わせてその妖艶な赤い唇を抑え、必死に笑いを堪えているローズの姿。そしてさざ波のように押し殺した笑いがテーブル中、いや屋台を囲んでいるお客にも広がっていく。


「ごめっ……ソラノちゃんがあんまりにも一生懸命食べてるから……っ」


 目尻に涙を浮かべてそういうローズ。

 我にかえって見ると、食べているのはソラノだけだった。後の人たちはまだ箸すらつけていない。

 急に恥ずかしくなってきて、顔が熱を持った。

 

「なんで私が食べてるとこ、みんなで見てるんですかっ!」


 ソラノだって女の子だ。十九歳という年齢で、ラーメン食べてるところを大人数に注目されれば恥ずかしい。


「だって、すごい豪快に食ってんだもん」


「ラーメンはこうやって食べるもんなの! ですよね!?」


「おお。ソラノちゃんは間違っちゃいねえ」


「間違ってないけど、いつもとのギャップが凄いね」


 レオに反論し、ノブ爺が肯定し、ジョセフがそう言う。


 とりわけ目の前に座っているデルイがなんか困ったような呆れたような笑顔を浮かべてこちらを見つめていて、もうどうすればいいかわからない。そういえば音を出して啜<すす>るという文化がないはずなので、とても下品に見えたかもしれない。耳まで熱くなってきた。どうしよう、引かれただろうか。


「違うんですよ、ラーメン、こうやって食べるんですって……」

 

 視線に耐えられずに両手で頬を抑えて訴える。視界がぼやけたのは羞恥のあまり涙が浮かんできたせいだ。隣のローズの肩に顔を埋める。背中をポンポンとされた。

 

「嬢ちゃん、見事な食べっぷりだったな」


 そんな時、屋台の獅子顔のオッチャンが声をかけてきた。


「替え玉できるけど、いるか?」


 手には湯切りした麺をザルに入れて持っていた。それを見てソラノの心は大きく揺れた。替え玉。なんて素敵な響きなの!

 現在進行形で恥ずかしさがこみ上げてきているソラノだったが、ラーメンの誘惑には抗えなかった。丼を両手で持ってオッチャンの方にすっと差し出す。


「お願いします」


 二杯目はもっとゆっくり、みんなと味わって食べようと思った。

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