第77話 ミートローフ②
結局往来のど真ん中で吐こうとした食い逃げ犯の青年はソラノに確保されて店まで連れ戻された。せっかく食べたものを吐き戻すまいと両手で口を押さえ、カウンター席でうずくまること数十分。ようやく落ち着いたらしく今は提供したコップ一杯の水を真っ白な顔で握りしめながらソラノとバッシを見つめている。
「すまねえ」
「すまねえじゃないですよ。何考えてんですか、もう!食べた分の代金はきっちり頂きますからね」
ソラノは隣の席に座ってプリプリと怒って言った。このロクデナシのせいで本日は残業確定だ。自分たちの夜食もまだだし、さっさと支払いを済ませてもらって閉店作業に取り掛かりたい。バッシが伝票を叩きつける。
「ミートローフ十一人前とボトルワイン三本で五万ギールだ」
「ごっ……五万だと!?」
バッシの言葉に青年がガバッと顔を上げ、真っ白な顔をさらに白くした。唇が紫色になっている。
「そんな金持ってねえ」
「嘘つけ。それっぽっちの金もねえのに飛行船に乗れるか」
「本当だ。俺は金を持ってねえ。有り金全部を飛行船代に使っちまったんだよ」
「なんでそこまでして飛行船に乗ってきたんですか」
ソラノは訝しんだ。見た所冒険者のようだし全財産はたいてまで飛行船に乗り込み王都までやってくる意味がよくわからない。
青年はたてがみのような髪をかきむしる。そして身の上に起こったことを語り出した。
+++
青年の名前はレオ。十七歳のBランク冒険者だ。
十一歳で冒険者になった彼は剣士としての頭角を現し、めきめきと実力をつけてあっという間にBランクまで登りつめた。その間かかった期間は約一年。弱冠十二歳でBランクとなった彼は期待のホープとして王都のギルドでも一目置かれるようになった。
そしてレオは段々とこの王都でこなす依頼に物足りなさを感じるようになってくる。
「俺の実力はこんなもんじゃねえ」
王都近辺のBランクの依頼はたかが知れている。暴走牛や毒蛾の討伐だとか森の深くに自生する植物の採取など、慣れてしまえば刺激と面白味に欠ける依頼ばかりだ。こんな依頼をコツコツこなしてAランクを目指すなどアホらしい。めちゃめちゃ時間がかかるじゃん。Aランクになる前にジーさんになっちまう。
「おし、西方諸国に向かおう」
Aランクを目指す方法は二つある。一つは規定数のBランクの依頼をこなしてギルドで昇級試験を受ける方法。もう一つはAランクの依頼を複数こなして昇級試験を受ける方法。
Aランクの依頼は危険なものが多く、Bランクになったばかりでまだ幼いレオには受注許可が下りなかった。そもそも王都周辺のAランクの依頼は数も少なくベテランに押さえられてしまうという問題もあった。そこでレオが思いついたのは飛行船に乗って西方諸国に向かうという方法だった。
「レオ、本当に西方諸国に向かう気なの?」
「当たり前だろ、止めんなよ」
「西方諸国は魔物の巣窟だ。治安も良くないようだし、まだひよっこのお前が行ったところでどうにもならんだろ」
「あんだと?」
共にパーティを組んでいた仲間に止められるもレオは聞く耳を持たなかった。
「見てろよ、AランクどころかSランクになって帰ってくっからよー!」
全財産をつぎ込んで高い飛行船に乗り込んだのが十三歳の時。
以降レオは西方諸国で冒険者として活動をすることとなる。
最初のうちはまあ順調だった。この地では万年人手が足りておらず、レオのような少年でも実力があればパーティに引き入れてくれる人間が多い。魔物もグランドゥール王国と違って凶悪な奴がうようよいるので討伐依頼には事欠かなかった。
レオは嬉々として魔物討伐に明け暮れる毎日を送った。
「へへへー! これならAランカーになるのも簡単だな!」
十四歳になった時だった。
調子に乗ったレオはある日、Aランクの中でも手強いキマイラの討伐依頼に行くことにした。未だBランクのレオであったが今ならイケんじゃね?という根拠のない自信の元に参加を表明したのである。この地では若年齢に考慮して依頼受注を断るなどという親切な制度はない。何かあったとしても自分の責任だ。
そして迎えたキマイラ討伐。ライオンの頭にヤギの胴体、蛇の尻尾を持ち翼まで備えた魔物であるキマイラは、事前情報では五体ほどと言う話だったが実際はそれ以上、少なくとも二十体いた。火山火口付近の灼熱の地での決戦でレオはキマイラの吐くブレスを避け損ね、続けざまにやってきた鋭い鉤爪が足に食い込み深手を負う。戦線を離脱したレオは這々の体で逃げ延び、最寄りの街までなんとかたどり着いた。生きているのが不思議なくらいの傷だった。
キマイラから受けた傷が熱を持ち、三日三晩高熱にうなされた。ひどく悪い夢ばかりを見て、生死の狭間を彷徨った。目を開けた時、自分がどこにいるのかわからなかった。
「ここは……」
「気づいたか。火山近くの街じゃよ」
「そうか、俺はキマイラにやられて……イテッ」
起き上がろうとすると全身に痛みが走った。特に左足がひどく痛む。
「起き上がらん方がいい。お前さんひどい怪我をしておる。治るまでここでゆっくりしておられよ」
白いあごひげを蓄えた爺さん回復師がレオのベッドの傍らでそう言う。レオはベッドにボスンと身を横たえた。布団は古くカビ臭かったが一応は清潔だ。見上げる天井はひび割れている。この国ではまともな建物の方が希少だった。
「ああ、すまねえな」
「何か食うか? パン粥ならすぐに出せるが」
「何から何までありがたい」
「何、怪我人を癒すのが回復師の仕事。何も気にすることはない」
「爺さん……」
澄んだ青い瞳でそう言う爺さんにレオは感激した。この国は万年魔物の脅威に怯えていてスレた心の持ち主が多い。けが人など打ち捨てられて死んでいくのが普通だった。こんなに親切にしてもらったのは久しぶりだった。この恩に報いらなければ。そう思った時、爺さんがこういった。
「全快したら治療代五十万きっちり支払ってもらうからの」
半月型に目を歪めてウヒョヒョと笑う爺さん。物価の安いこの地で五十万といえば独り身であれば二年は余裕で暮らせる金額だ。命の恩人とはいえ法外な値段の請求をしてくる爺さんは全然親切じゃなかった。金にがめついクソジジイだ。
しかし腕は良かったらしいジジイの治療の甲斐があってレオの怪我は概ね治った。
「左足だけは負荷をかければまた痛むじゃろうな。キマイラの直撃を受けてこんなもんで済んだだけ奇跡じゃ。まあ五十万稼ぐくらいなら大丈夫じゃろう」
フォッフォッフォと笑いながらジジイはレオの腕に枷をつけた。
「おいクソジジイ! これは何だ!?」
「こりゃ『契約の腕環』じゃ。お前さんが五十万稼ぐまで外せんようになっておる。万が一国外へ逃げた場合には爆発するから気をつけられよ」
「なんつーモンをつけやがるんだ!」
「怪我を治してやったんだ、つべこべ言わずにさっさと金を稼いで来い!」
「アガッ!」
蹴り飛ばされて診療所から追い出され、仕方なしに冒険者ギルドへと足を向ける。そこからは地獄のような日々だった。小汚いボロ宿に泊まって少しでも金を浮かせて五十万稼ぐために依頼を受けまくる。言われた通り、日常生活や簡単な討伐依頼ならば問題なくとも無理をすると左足がズキリと痛む。踏ん張りがきかないながらも油断をすれば死んでしまうから、ごまかしながら黙々と依頼をこなした。
この時のレオは十五歳。ここから生活費を差し引いて五十万稼ぐまでにかかったのは約一年半。約束の金額が溜まった時には十六歳になっていた。
「随分時間がかかりおったな。お前さん冒険者の才能ないんじゃないか?」
金をきっちり支払い終え、腕環を外してもらった時にそんなことを言われた。
「ウッセェな、足の傷が邪魔して上手く走れねえんだよ」
「そんならお前の実力はそれまでじゃったということじゃ」
「実力ならあるよ! 怪我さえしなけりゃ俺は今頃Aランカーだ。あんなにキマイラがいると思わなかった、運が悪かったんだ」
「運も実力のうちと言うじゃろう」
ぐうの音も出なかった。そうだ、俺は運がない。いや、勇み足でキマイラ討伐に向かったのは自分だ。だからこれは自分自身が招いた結果だ。
「俺は諦めないからな! ぜってえAランクになってやる!」
「フォッフォッフォ。無理だろうて。お前さんのような奴はこの諸国にはごまんとおる」
火山付近の街を飛び出し他に拠点を移して頑張ったが、結果を言えば無理だった。
高ランクの依頼を受けるには足の怪我が邪魔をする。負荷をかければかけるほどに痛みが増し、普通にしてても痛むようになった。コツコツ稼ぐ分には問題ないが、それでは一体なんのために遥々西方諸国まで来たと言うのだろうか。
さらに一年経つ頃には魔物に蹂躙され土地も人の心も荒れ果てたこの国に嫌気がさすようになった。盗みや殺人が日常に横行し、スラム街には人が溢れている。病気の人間や怪我をした冒険者があちこちに溢れ、食うものを奪い合うような場所すらあった。奴隷同然の人間までいる始末。
回復師の爺さんを散々恨んだが、助けてもらっただけでも奇跡みたいなものなんだと気がついた。
話には聞いていたが、実際に見てみるとその凄惨さはまだ年若いレオの心を抉った。
この時十七歳になったレオは自身の夢が大成しないことを悟っていた。
「もうグランドゥール王国へ帰ろう……」
夢が潰えたレオがこの国でする事などもう無い。有り金全てをはたいてレオは王国王都行きの飛行船へと乗り込んだ。
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