第6話 コロッケ定食

「お嬢ちゃんまた来たのかい」


「また来ました!」


 翌日の昼過ぎ、空乃は再びカウマン料理店を訪れていた。

 

 昨日同様客の一人もおらず、昼のかきいれ時を過ぎたところだというのに店は静かなままだ。カウマンさんが皿を二つばかし洗っているだけだった。


「今日は何しに来たんだい?」


「お昼を食べに。あと、昨日のビーフシチュー代を払いに来ました」


「それはいい心がけだが、昨日の代金は受け取らねえぞ。あれは俺が勝手にやったことだからな」


「でもそれじゃ悪いですよ」


「なんと言われようが、俺は絶対に受け取らんからな」


「ソラノちゃん諦めなよ。うちの人こう言い出したら聞かないからね」


 マキロンさんまでもこう言うようでは本当に受け取ってもらえなさそうだ。空乃としては現在、支給されたお金とはいえ現金を持っているので渡したいところなのだが、ひとまず昨日の代金については何か別の方法で恩返しを考えよう。


「じゃあ、今日のお昼を食べますっ。それはちゃんと支払いますからね!」


「はいよ、メニューどうぞ」


 マキロンさんがカウンター越しにメニューと水を渡してくる。メニューは厚紙に手書きで書かれており、シェフ特製ビーフシチューからはじまりミートドリア、魚のムニエル、カツレツなど洋食メニューが並んでいる。中には名前だけだとなんだかわからないものもあった。

 洋食は正直食べ飽きている。しかもどれも二千ギール前後と結構な値段がした。空乃に支給された一月分の生活費は五万ギールだ。昨日市場を見て回った感じだと、物価は日本とほとんど変わらない。と言うことはこの店、結構お高い部類の店になる。少なくとも空乃がよく行くファミレスやファーストフード店よりはランクが上だ。

 贅沢に外食三昧ばかりしているとあっという間に資金が底をついてしまうが、今日は昨日のお礼もかねてここで食事をしようと決めていたのだ。あと、ここのビーフシチューがおいしかったから、ほかのメニューも食べてみたいという気持ちもある。そんなことを考えながらメニューを眺めていると、目を引かれる料理があった。


 コロッケ定食 1300ギール

 

「コロッケ定食ってもしかして、ご飯付き?」


「そうだよ。ミソシルも付いてるよ」


「ええっ、すごい!じゃ、このコロッケ定食ください!」


「はいよ」


 カウマンさんが料理をしている間、マキロンさんが話かけてきてくれた。


「そいで昨日はあの後どうしたんだい?」


「空港職員のルドルフさんがついてきてくれて、王都の役所で一時滞在の手続きをしました」


「ここに留まるんだね。王都はいいところだから、ゆっくりみて回るといいさね」


「はい!市場に行ったら、出汁とか味噌を扱ってるお店があって買い込みました。でもこのお店でもご飯と味噌汁が出てくるなんてびっくり。和食って結構、普通に食べられるものなんですか?」


「ああ、ヘルシーで栄養たっぷりだからね。これも異世界から来た食べ物だって聞いてるけど、王国でも浸透してる食べ物だよ」


 たしかに、街中のそれほど大きくない市場で食材が売られているくらいだから浸透しているのだろう。

 昨日は掃除を済ませた後に食料や歯ブラシなどの日用品を買いに近くの市場に出向き、いろいろ買いこんでアパートへと戻ればすっかり夕暮れになっていた。和食の食材を扱う店があり、当然味噌や出汁を買い、和食に合う食材も買った。一週間ぶりに食べるご飯とみそ汁が死ぬほどおいしくて、空乃はアパートで一人涙を流した。郷愁にかられた涙ではない。単純に和食がおいしくて感動したのだ。


 会話をしていると、コロッケを揚げるいい匂いがキッチンから漂ってくる。ジュワジュワ、ぱちぱちと油に沈んだコロッケが揚がっていく音まで聞こえてきた。


 それにしても、全然客が来ない店だな。空乃は店の中を見回した。

 店内は現在空乃が陣取っているカウンターに七席、それに二人がけの丸いテーブル席が五つある。テーブルも椅子も年季の入った木製で、空乃が座っている背の高い椅子は脚のすり減り具合が違うらしくただ座ってるだけでガタガタした。ぶっちゃけ座り心地が悪い。

 黄色い壁紙は色あせて変色しているし、一部はげているところさえあった。

 かといって不潔なわけではなく、掃除は行き届いて床はピカピカ、照明も埃ひとつないし、出てくる食器類も新品のような輝き具合だ。やる気がないわけじゃないらしい。


「ボロっちい店だろ」


 店を眺める空乃に向かってマキロンさんが苦笑混じりにそう言った。


「色々綺麗にしたいところなんだけど、なんせ客が来ないから、修繕する費用もなくてねえ。昔はこれでも繁盛してたんだけどね」


「なんでお客さん、来なくなっちゃったんですか?」


「なんでかねえ。原因はいろいろあるさね。昔と違って空港内に店がたくさんできたし、降りてすぐの王都郊外も発展しちまった。客も、昔は飛行船に乗る客と言ったら、王国が派遣する世界各地への調査員に、その警護に当たる騎士団、それに未踏の地を踏破する冒険者だったんだけどね、今じゃ旅行に行く貴族や富裕層か、もしくは金を持ってる高位の冒険者か。どっちにしろ、こんな庶民の大衆料理店を利用するような客層じゃなくなっちまったんだよ」


「ふーん」


「はいよ、コロッケ定食おまちどう」


 カウマンさんができたての料理を置いてくれる。大人の握りこぶし位のコロッケ二つに千切りキャベツとオレンジ色の輪切りトマトのようなサラダが添えてある。プレート皿に丸く盛り付けられたライスと、出汁の香りが食欲をそそるみそ汁もことりと両脇に置かれた。


「コロッケでっか」


 空乃は思わずそう口にしてしまった。こんな巨大なまん丸いコロッケ初めて見た。


「今かみさんが言ってただろ?昔ここの店に来ていた連中は、皆肉体労働者でよく食うやつらばっかしだったんだ。飛行船に乗る前、もしくは降りてきた後に熱々でボリュームのある飯を食らうのがごちそうだった。その頃の名残さ」


 箸使うか、と聞かれたのではいと答えると箸を一膳もらえた。コロッケを真ん中から二つに割ってみると、中は湯気がほかほかと立ち上るひき肉入りのポテトコロッケだ。ソースをかけて一口食べれば、サクサクの衣にジャガイモのマイルドな甘みとひき肉の旨味が引き立つ、とても美味しいコロッケだった。ご飯が良く進む味わいだ。

 こんな大きさのコロッケ食べきれるか心配だったが、これなら大丈夫かもしれない。お味噌汁をすすってみると、磯の香りがするアオサと油揚げっぽい味わいがした。  

 サクサクサクと食べ進める空乃を、温かい目で見守るカウマンとマキロン。


「店がつぶれる前に、お嬢ちゃんみたいな若いお客さんが来てくれて嬉しいよ」


「やっぱお店つぶれちゃうんですか」


「そりゃあねえ、なんとかしたいが、このありさまじゃなぁ。どうすればいいのかもわからんし」


 カウマンは完全に諦めた顔でしみじみと言っている。マキロンは渋い顔でそんな夫の背中をばしんとたたいた。


「辛気臭いこと言ってるんじゃないよ!ンなこと言ってる暇があったら、新しいメニューの一つや二つ考えろってんだよ」


「いてえな! そんなこと言うならお前だって、何かいいアイデア出してみろよ!」

 

 定食を食べ進める空乃の前で夫婦喧嘩を始める二人。ワアワア言い合うさまからは、やはりここを辞めたくないんだなという気持ちが伝わってくる。

 サクサクサク。

 コロッケはかみしめるたびに旨味が出てきてやめられない。しかも二つ目を食べたら、中身が違っていた。こっちはとうもろこしが入ったコーンコロッケだ。これはこれでひき肉入りよりも甘みが強くて好みの味だ。

 ご飯も昨日、試行錯誤しながら鍋で自分で炊いたものより数倍美味しい。アパートに炊飯器がなかったのだ。考えてみたら、炊飯器がこの世界にあるかどうかすら怪しい。

 サクサクサク。

 千切りキャベツもふわふわだし、このトマトもどきも絶妙な酸味で油でいっぱいだった口の中がさっぱりする。

 

「そういったって、何やってもうまくいかなかったじゃないの」


「だったらやっぱり下に降りてやり直したほうがいいじゃねえか」


 もはや空乃の存在は見えていないらしい。

 この二人の言い合っている様も、店のオンボロ具合も、時代に乗り遅れまくっているらしい様子も、完全に客商売として終わっているといっても過言ではない。だが空乃は、自分でも何故だかわからないが、ここを見捨ててはいけないような気がした。

 それは異世界に迷い込んだ空乃にこの夫婦が最初に優しくしてくれたせいかもしれないし、久々に食べた和食の味のせいかもしれない。それとも急に見知らぬところに放り出されて、人恋しいせいかもしれない。

 気づけば空乃は定食を完食していて、箸をカウンターに置き、こう叫んでいた。


「ごちそうさまでした! おじさんおばさん、私このお店のお手伝いします!」

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