第65話 スペシャルプレート/貴族令嬢
「あら、素敵なお店」
「いつの間にできたのかしら。入ってみる?」
第一ターミナルの店前、壁に描かれた料理の絵を見て貴族令嬢の一人が言う。
「アフタヌーンティーの時間にはもう遅いし、軽く頂くのにちょうどいいわ。行ってみましょ」
もう一人の令嬢も頷き、入店の運びとなった。
「いらっしゃいませ」
貴族令嬢二人を迎えたのは、愛想のいい給仕係だった。
「お二人様ですね?こちらのお席へどうぞ」
椅子を引き、着席を促されたので裾の長いドレスをつまんで上品に腰掛ける。続いて運ばれた水にはほのかな柑橘類の味が染み込んでおり、長旅にホッと一息つけた。
「こんな小さな店なのに、ちゃんと果実水なのね」
「出発した時、こんな店はなかったわよね?」
「そう思うわ」
令嬢二人は学校の長期休暇を利用しておよそ一月の旅行に出ていた。二人とも婚約者がいる結婚間近な令嬢なのでこれで友人との気ままな旅行も最後になるだろう。
一人の令嬢はベルベットのドレスに首元には豪華なブローチをつけ、もう一人はフリルの愛らしいパフスリーブのドレスを身にまとっている。
「旅はいいわね。煩わしいことを全部忘れさせてくれるわ」
「そうね、勉強のことも結婚のことも忘れさせてくれる」
旅が終わり王都へ帰ってきた今、うら寂しさが込み上げてくる。これから自分たちは顔もよく知らない男の元へと嫁がねばならない。貴族の家に生まれた以上仕方がないことだが、政略結婚というのは気が乗らなかった。ベルベットの令嬢はカウンターにいる給仕係を見た。細々と忙しそうに働くその姿はしがらみなどなさそうで、羨ましくさえ思える。
「いっそ平民に生まれたかったわ」
「本当に。それか結婚相手が素敵な殿方だったらよかったのに」
「あなたはまだいい方でしょ。確か三十代の子爵家の息子でしょう?私のお相手なんて四十過ぎのオジサマよ」
「でも公爵家だと言っていたじゃない。生活の質は今より上がるわよ」
「そりゃそうですけど」
ベルベットの令嬢は赤い口紅が塗られた口を上品にすぼませた。
「モンテルニ家のルドルフ様やリゴレット家のデルロイ様なら喜んで結婚しますのに」
「そういえばお二人とも、こちらの空港で働いていらっしゃるとか。偶然どこかでお会いできないかしら」
パフスリーブの令嬢が弾んだ声で言う。件の二人は人気があるが社交界に滅多に顔を出さない。家柄よし、顔よし、職も安定しているのでどこの令嬢たちも密かに婚約を狙っている優良物件だ。
「あの、ご注文はお決まりでしょうか」
「あら、ごめんあそばせ」
給仕係がおずおずと訪ねてきたので、二人はここにきてやっとメニュー表を開いた。おしゃべりに夢中でメニューなどまだ見ていない。
開いてみれば、随分と詩的なメニューが並んでいるではないか。これはこれで迷ってしまう。ベルベットの令嬢は給仕係をちらりと見る。両手をエプロンの前で揃えて握り、すっと背筋を伸ばして立っていた。歳の頃はおそらく自分たちと同じだろう。令嬢は自分たちの結婚に憂いているというのに、この給仕係はニコニコと愛想を振りまきこちらを見ている。
令嬢たちの注文を待つこのお気楽そうな給仕係に少しばかり意地悪をしてみたいと思ってしまっても、仕方がないだろう。
ベルベットの令嬢はメニュー表から顔を上げて、給仕係へ言った。
「ねーえ、わたくしはこちらに書いてある、前菜の生ハムとアスパラのブーケも鮮魚と野菜のミルフィーユ仕立ても、それからカプレーゼハンバーグもロブスターのグリエも、勿論デザートのベルマンテのタルトも全ていただきたいと思っているのだけれど。こんなにたくさんは頂けないの。どうにかしてくださらない?」
「全てですか?」
「そう、全てよ。けれどそんなにお腹に入らないでしょう?」
「お連れのお客様もでしょうか」
「ええ、勿論」
パフスリーブの令嬢も言わんとしていることがわかったらしく、唇の端を持ち上げてそう話を合わせた。
給仕係はふと考え、そうして「少々お待ちいただけますか」と言ってカウンターにとって返したかと思うと、なにやらシェフと話をしてから再び戻ってきた。
「シェフに相談したところ、全ての料理を半分の量にしたスペシャルプレートを作ると。それでよろしいでしょうか?」
「え……?」
てっきり断られると思っていた令嬢たちは驚き、少し拍子抜けした。
「本来ならばメニューにはありませんが、お二人で分けて召し上がるなら丁度いいかと。
勿論分けると言ってもそれぞれのプレートに綺麗に盛り付けをいたします。いかがでしょうか」
「……ならそれをお願いするわ」
「メニューは前菜の生ハムとアスパラのブーケ、鮮魚と野菜のミルフィーユ仕立て、カプレーゼハンバーグ、ロブスターのグリエ、デザートにベルマンテのタルトですね」
「え、ええ」
適当に目についたメニュー名を言っただけなのでなにを注文したのかなど覚えていない。この給仕係もメモなど取っていた様子がないのに、たった一度で覚えたというのか。
「デザートは食後にお持ちいたします。先にそのほかのお料理を全てプレートに盛り付け、ご提供する形でよろしいでしょうか」
「そうね」
「それで構いませんわ」
本来ならば一皿一皿運ばれるのが基本だが、そういったプレートが中心街で流行していると聞いたことがある。
「お飲み物は?」
「わたくしは赤ワイン」
「わたくしはシャンパンを」
「かしこまりました」
一礼して去っていく給仕係を見る。
「見事な切り返しね」
「嫌な顔一つしませんでしたわね」
思わず褒めてしまった。貴族社会ではオブラートに包んだ話術による嫌がらせなど日常茶飯事だが、まさかこんな店で働く給仕係がああも見事に切り返してくるとは思わなかった。てっきり「召しあがれる量をご注文ください」とでも言ってくると思っていただけに驚きもひとしおだ。
ややあってから先にワインとシャンパンが運ばれ、それぞれの前にサーブされる。グラスを持ち上げ旅の終わりに乾杯をし再び話に花を咲かせていると、給仕係がやってきた。
「大変お待たせいたしました。スペシャルプレートでございます」
「あら!」
「まあ、素敵!」
そこに盛り付けられていたのは、芸術品かと見紛うほどの美しい料理の数々。生ハムを纏ったアスパラガスはまるで花束のようだったし、パイ生地にサンドされた野菜と鮮魚も控えめながら確かに存在を主張している。半分に切られたハンバーグの上にはモッツァレラチーズと輪切りトルメイ、そしてハーブがちょこんと飾られている。ロブスターにしても斜めの断面が美しい。添えられたソースはグリーン野菜をピューレにしたものだろうか、ロブスターの赤とソースのグリーンの対比が見事だった。
給仕係は笑顔を絶やさずこう告げた。
「当方のシェフは女王のレストランでランチプレートを開発した者でして、プレート料理ならば自信がございます。ご賞味ください」
そう言われてしまっては期待しないわけにはいかない。女王のレストランの名を知らない若い娘などいないだろう。ましてそこでランチプレートを開発したなどと言われたら、期待値は天井知らずだ。
前菜から一口。
「美味しい……!」
そこからはもう、手が止まらなくなった。二人とも料理の品評をし、お酒を楽しむ。給仕係は絶妙なタイミングで飲み物のおかわりを尋ねにきた。すっかりプレートが空になる頃にベルマンテのくし切りが美しい光沢を放つタルトを持ってきて、空の皿と引き換えにテーブルへと提供される。
「こんなに食べるはずじゃなかったのに。夕食は遅めにするようじいに言わないと」
「わたくしもよ。もう何も入りそうにないわ」
けれど二人は大満足だった。
「なんだか結婚で憂いていたのがバカみたいね」
「そうね。美味しい料理とお酒を頂けばもう何もかもどうでもよくなってくる」
すっと目線で合図をすれば、給仕係がやってきた。お会計をすませる際、ベルベットの令嬢はこんなことを尋ねてみる。
「あなた、わたくしの家の使用人になる気はないかしら」
この小一時間、なんのストレスもなく食事ができた。最初の機転といい、細やかな気配りといい。誰にでもできることではない。給仕係は少し困ったような表情をした後、こういった。
「私はしがない料理店のいち店員です。もしここをクビになるようなことがあれば、その時は訪ねさせてください」
ありがとうございました、とお辞儀をする給仕係に見送られ店を後にする。
最初から最後までスマートな子だったわね、とベルベットの令嬢は思った。
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