第88話 春野菜の温玉サラダ

本日のおすすめ

前菜:春野菜の温玉サラダ

スープ:新玉ねぎのオニオングラタンスープ

魚料理:アクアパッツァ

肉料理:ロールキャベツ

デザート:タルトフレーズ


「間も無く当飛行船はエア・グランドゥール空港の第一ターミナルに着港します。ご乗船いただきありがとうございました」


 飛行船が着港し、乗客がぞろぞろと接続口からターミナルへと吐き出されていく。

 その中に一組の男女がいた。男の方は腰に長剣を帯び、シワが目立ち始めた顔を中折れ帽で隠している。足運びは優雅で、かつ足音すら立てていない。女の方はまだ幼く、恐らくは十代前半といったところだろう。一目見て上質だとわかるラベンダー色のワンピースと揃いのつば広帽子を被っていた。帽子の中にきっちりと髪をしまいこんでいて髪の毛一筋見えない。その帽子から覗く瞳も同じく薄紫色で、まだあどけない印象を与えるが美しい顔立ちをしている。


「お……嬢様、本当にいいんですか? お相手の方がいつ現れるのかは我々にも知らされていないんですよ?」


「いいのよ、ロレッツォ。だからこそ相手の本当の姿が窺いしれるというものだわ」


「しかしお……嬢様。それでは現れるまで毎日のようにここへ来るということにはなりますまいか」


「そうよ、毎日来るわ。何か不都合でもあって?」


「不都合だらけかと。ここは空港、日々違う人間が行き交う場所。毎日いらしては少々目立ちます」


「まあそれもそうですけれど、そこを見咎めるのは空港の職員くらいなものでしょう?王都が誇る優秀な空港職員がそのような些事にいちいち目くじらをたてるものかしら」


「優秀だからこそ毎日来る人間を怪しいと思うものではないでしょうか、お……お嬢様」


「もう、その変な間は何なのよ。ロレッツォのその呼び方の方がよっぽどおかしいわよ」


 ラベンダー色のワンピースを翻し、片方の手を腰に当てもう一方の手でロレッツォと呼ぶ男をビシリと指差す。胸元についている花のコサージュが揺れた。


「いい? その呼び方が嫌ならフローラと呼んでちょうだい」


「ああ。その方がいささかホッといたします。フローラ様、フローラ様。なかなかしっくりきますな。ではフローラ様、どこでお待ちするつもりなのですか?」


「そうねぇ」


 淡い紫色がよく似合う可憐な令嬢フローラは顎に指を当ててキョロキョロと周囲を見回す。そして一つの店に目を留めた。 


「あのお店なんてどうかしら? ガラス張りだし、店内にいてもターミナルがよく見えますもの」


「なるほど、では行ってみましょうか」


 近づいてみればその店は横の壁に料理の絵が描かれていて、店から漂ういい香りも合間って何とも食欲をそそる。店名はヴェスティビュールとある。王都の出入口である空港にあって<玄関>という名をつけるとは中々に洒落てるわね、とフローラは感心した。


「フレンチのお店かしら。にしてはカジュアルな感じがするけれど」


「ここはビストロみたいですな」


「ビストロ?」


「気取らずフレンチを食べられる店のことですよ。ドレスコードなし、年齢制限なし、多少マナーを知らずとも問題なし。料理は一品ずつのオーダーでコースのように決まった順で出て来るわけでもない」


「それはとても興味深いわ」


 フローラは興味をそそられた。料理といえばコース仕立てが定番だと思い込んでいたからだ。好奇心の赴くままに開けられている扉から店内へと入ってみる。


「いらっしゃいませ」


 店に入るとモスグリーンのワンピースを着た給仕係がにこやかに出迎えてくれる。フローラは何か言われる前に自ら席を指定した。


「こちらの窓際の席に座りたいのだけれど。窓の方を向いて椅子を動かしてもらってもいいかしら?」


「はい、かしこまりました」


 給仕係はさっと動いて指示通り席を作り上げる。引いてもらった椅子に腰掛けるとメニューを手渡された。


「本日のおすすめは前菜が春野菜の温玉サラダ、スープが新玉ねぎのオニオングラタンスープ、魚料理がアクアパッツァ、肉料理がロールキャベツ、デザートにタルトフレーズです」


 言われて少々面食らう。料理は一品ずつのオーダーとロレッツォが言っていたが、オススメを聞けばコース仕立てでも美味しそうだ。そもそも一品ずつと言ってもどう頼めばいいのかしら。そんな食事の仕方をしたことがないのでフローラにはわからなかった。


 前菜だけってわけにはいかないわよね。肉料理だけ頼むのは変かしら。デザートしか頂かないのであれば、お店に失礼になるのでは?


 そう悶々と考えた挙句、フローラは全部を頼むことにした。お腹も空いているし、時間も潰せるから丁度いい。


「では本日のおすすめを前菜から順に持ってきて頂けるかしら」


「かしこまりました。お飲み物はいかがしますか」


「そうねえ。シルベッサのジュースを頂けるかしら。ロレッツォはお酒を飲む?」


「いえ、本日は遠慮しておきます。私もシルベッサのジュースを」


「かしこまりました」


「あ、味わって頂きたいからなるべくゆっくり持ってきてくださる?」


「はい。お二人ともでしょうか?」


「いや、私は……」


「当然よ」


「はい。では少々お待ちくださいませ」


 そう言うと去って行く給仕係。ジュースと果実水を持ってきて踵を返したところでロレッツォがこそっとフローラに話しかけてきた。


「よもやわたくしめも共に食事をするということはありますまいな?」


「何言ってるのよ、食事するに決まってるでしょう?一人で食べたってつまらないじゃない」


「なんと……」


ロレッツォは白髪混じりの頭を左右に振ってため息をついた。

 そうこうしているうちに先程の店員が前菜を持ってくる。


「お待たせいたしました、春野菜の温玉サラダです」


「まあ」


 思わず声が出てしまった。

 皿の上には白と緑のアスパラ、アーティチョーク、人参、新じゃがいもと彩豊かな野菜たちが品よく並んでおりその上にふるふるとした温玉が乗っている。


「なんて春らしい一品なの」


「ありがとうございます。当店では味だけでなく見た目にもこだわった料理を提供しております」


「素敵なこだわりね」


「なるほど。ここまで美しい見た目の前菜はなかなかお目にかからない」


 一緒に食べるのを渋っていた隣のロレッツォもそう相槌を打ち、積極的にフォークを手にとっている。


 フローラは試しにアーティチョークにフォークを刺して口に運んでみた。ホクホクとした口当たりにほんのりとした甘味。酸味のあるドレッシングがアクセントになっている。

 次に温玉にぷすりとフォークで穴を開ければトロリと黄身が流れてきた。これを絡めて、アスパラガス。アスパラガスの独特な苦味がマイルドな温玉で包まれている。

 人参もじゃがいもも火の入れ方が絶妙で、わずかに歯応えを残した食感により噛み締めるほどに野菜の甘みを感じた。


「すごいわ、うちの料理人が作る前菜とおなじくらい美味しい」


「いやはや、さすが我が国が誇るエア・グランドゥール。飲食店ひとつとってもレベルが高い」


 なんだかんだで食事を楽しむロレッツォもそう感想を漏らした。

 食べ進め、ハッとフローラはお皿の中身が少なくなっていることに気がつく。


「しまった、あまりに美味しくてすぐに食べ終わってしまうところだったわ」


 一度落ち着こうとナイフとフォークをテーブルに置き、ジュースに口をつける。シルベッサのジューシーな甘みが幸せな気分にしてくれた。


 自分たちは今日ここに食事を楽しみに来たわけじゃない。とある人物がやって来るのを待っているのだ。

 けれどこの前菜を食べただけで、嫌が応にも他の料理への期待が高まる。続くスープ、メイン、デザートは一体どんな見た目でどんな味なのだろう。


「ねえロレッツォ」


「何でしょうかフローラ様」


「このお店に入ってよかったわね」


「全くもってその通りですな」


 目的を忘れたわけではない。ただ、目的以外に楽しみがあるというのは存外に嬉しい気持ちにさせた。

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