第125話 あと一歩足りないもの
「カウマンさん、パン作りで一番大切なことは何でしょうか」
「そりゃ材料をきっちり計ることだな」
「なるほど」
「それができていないと上手く膨らまなかったり味にばらつきが出たりする。計るのは大切なことだ」
カウマンは自宅のキッチンで腕を組んで頷きながら言った。
ガレットを作ろうと思い立ってから二回目の店休日がやって来た。黒麦の追加はアルジャーノンが翌日に大量に店へと運び込んでくれた。足りねばもっと持ってくると言っていたし材料は充分にある。
店のある日はどうしてもガレット作りに割ける時間が限られる。午前の出勤前の時間にやってみようにも、一人では捗らない。こうして料理人であるカウマンとバッシの意見を聞きつつゆっくりと作成する方がよほど効率がいい。
「私もきちんと測りながら作ろうと思います」
「配合を色々と変えてみて、逐一メモしておいた方がいい。一番上手くいった配合が一目瞭然だ」
「はい」
バッシのアドバイスのもとに、バネ式のレトロな上皿はかりにボウルを置き、そこに黒麦を慎重に入れていく。
前回はいきなり完成形を作ろうとして大失敗した。なので今回はひとまずガレット生地を作り上げることに注力する。
納得のいく生地を作り上げ、その後にハムやチーズといった具材を乗せて焼けばいい。基本が出来ずして応用が作れるはずがない。
全員顔つきは真剣だったが何故か手を動かしているのはソラノだけだった。せっせと黒麦の量をはかり、水をはかり、塩をはかる。そしてボウルの一つ一つにメモを書いて貼った。
「もはやガレット作りは単なるお遊びじゃなくなった」
「ああ、俺たちに課せられた使命だ」
「ソラノ、頑張れよ」
「カウマンさんもバッシさんもレオ君も、そんなこと言うなら手伝って下さいよ!」
「手伝ってるだろ」
「アドバイスしてる」
「俺、焼くのやってみてえな」
「あんたたちはいつも楽しそうだねえ」
マキロンが洗濯物を片手に呵呵<かか>と笑いながら通り過ぎて行った。
「笑い事じゃないですよ、もう、こっちは真剣なんですから!」
「はいはい、頑張っとくれ。アタシは役に立てないからね」
そのまま洗濯をするべく庭へと出て行くマキロンを尻目に再びガレットの生地作りを再開した。はかり終えたボウルを三人に押し付ける。
「材料はシンプルなんですよ。黒麦の粉に塩、それから水。たったこれだけ」
「その三つの比率が重要だな。粉が多すぎても少なすぎても上手く焼けないから黄金比率を見つけよう。どんな料理にも必ずこれだという分量があるし、それがわかればあとは作り手が変わっても再現しやすい」
カウマンの助言に基づいて粉の量を少しずつ変えたものを用意し、混ぜていく。
「なあ、材料本当にそれだけなのか?小麦粉とか卵とか入れちゃダメなのか」
ぐるぐると材料を混ぜているソラノに、同じく横で別のボウルを混ぜていたレオが話しかけてくる。
「わかんないけど、私が食べたガレットの材料はそれだけだったと思うよ。「シンプルな方が素材の味が引き立つ」って言われた気がする」
「気がする?」
「言語が違うから正しく理解できていたかは自信ないけど……」
幸いフランス語ではなく英語だったのでなんとか聞き取れたが、少し怪しい。
「とにかく材料は三つって言ってたの。だって指をこう、三本立ててたからね」
言いながらソラノも三本指を立ててレオにずいっと見せつける。レオは「そうか……」と納得しているようなしていないような顔をしてから再び材料を混ぜる作業に戻った。
「料理を一から作るって難しいんですね」
作業をしながらソラノは言う。黒麦は水と塩を含んでねっとりとした液状になり、灰色がかった生地へと変貌した。正確には存在する料理を再現しているだけなのだが、ここまでレシピがわからなければもう新しい料理を作っているのと大差がない。
「そうだな、先人たちも試行錯誤の果てに色々な新しい料理を作り上げたんだろうな」
「俺たちはそれをなぞらえつつ、独自のアレンジを加えているわけだ」
「奥が深いな、料理」
カウマンとバッシとレオもボウルの中身をかき混ぜつつ賛同する。全部で十パターン用意してみた。
「おし、じゃあ焼いていこう」
「魔法石コンロが四口あるから同時に行くぞ」
「ソラノはちっさいから真ん中に挟まってろ」
「いつの間にか三人は息ぴったりですね」
「とりあえず強火でやってみよう」
フライパンに片手を添え、おたまの入った生地をもう片方の手に握りしめる四人。コンロの前に並び立つとキッチンがものすごく狭くなった。ぎゅうぎゅうにひしめき合いながらも調理を続ける四人。屈強なガタイの三人に囲まれる平均身長ど真ん中のソラノ。両側から来る熱量がすごかった。
カウマンの声掛けで強火で熱したフライパンに生地を流すとあっという間に焼けて行く。
「生地を伸ばし切る前に焼けていくな」
「中火にしてみようか」
バッシが渋面を作り、カウマンが次なるガレット生地作りに取り掛かる。
十パターンの配合を変えた生地を強火、中火、弱火と異なる火力で焼いて行く。途方も無い作業だったが、きっちりと計測したものを様々な焼き加減で続けざまに焼き、比較することで見えてくるものがあった。
もっちり焼ける、パリパリに焼ける、薄すぎて焦げる、逆に厚すぎて火が通らない。
水が多すぎて生地が広がりすぎる、水が少なすぎて生地が伸びない。
様々な問題点を挙げ列ね、一つ一つ潰していき、丸一日を費やしてこれが一番だという完璧な配合を見つけ出した。
「この生地が一番、ソラノが言っていたパリッとした薄焼きの生地になってんな」
百枚は焼いたであろう頃にマキロンも交えて試食会をし、満場一致で一枚のガレット生地が決まった。
「けどなんかなぁ」
「まだ何かあるのか」
ソラノがこぼした一言にレオがげんなりした顔を浮かべる。すでに日は暮れかけており、一日使ってこれぞという配合、焼き加減を見つけたというのにまだ不服そうな顔をされれば嫌気がさすのも無理はないだろう。しかしソラノはそれでも言いたいことがある。
「色が薄い気がするんだよね。あとはどうしても焼きムラが・・・」
例えて言うならそれは、パンの表面に焼き色がついてないかのような。味は美味しいけれども何かが物足りない、そんな感覚があった。
「もうこれでよくないか?」
「うーん」
確かに味はこれでいいような気がする。けれども。
「あともう一歩足りないものがある気がするんだよね」
料理として提供するならば完璧なものを。そう思ってしまうのは、ソラノがかつてガレットを食べたことがあるせいだろう。足りないものがある。それが何かはわからない。
ガレットの香りで満たされたキッチンで腕を組み、壁にもたれて考えた。
「鉄板を用意してそこで焼いてみるとかはどうですか?」
「ただの鉄板でここまで綺麗な丸を作るのは難しい」
「うーん、確かに……」
お好み焼きじゃあるまいし、生地が伸びやすいガレットでやるのは至難の技だろう。
ソラノの頭に何かが引っかかっていた。
最近、似たようなものを食べた気がする。けれどそれが何か思い出せない。
喉元まで出かかった何かが引っかかっているようなもどかしさに苛まれながら、日が暮れていくのをぼんやりと見つめた。
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