第34話 脱出作戦


 船室がミシミシと音を立てている。


「ねえこれちょっと、本当に大丈夫?」


「大丈夫よ、私を信じて」


 ソラノはフーシェの言う通り、掌からまた水の放出をしていた。先ほどタコのネレイドにされたように、今度はフーシェに限界突破の魔法をかけられてしまったのでまたしても水は制御を失って魔素の続く限り放出され続けている。ネレイドはどうやらただのタコではなく海の妖精らしく、高度な魔法を使えるそうだ。


「私の魔素を与えていたから、それが続く限りでだけどね」


 攫われて意識を失う寸前、ネレイドに魔素を与えていたそうだ。人間は海の妖精の事をよく知らないから、ただ人魚にしがみつくタコだと思われ同行に成功したらしい。


「ネレイドがいなかったら、ずっと眠り続けていた。時々覚醒魔法で起こされていたから外に魔力で声を飛ばしていたんだけど・・・空の上だったとしたら駄目ね。誰にも聞こえないわ。あ、そろそろいいかしら。止まれ ストップ」


 空乃の手からあふれ続けていた水が止まった。


「じゃ、いくわよ。久しぶりだからウズウズするわ。魔法障壁も張ってあるから、物理も魔法も多少の攻撃なら防げるわよ。ネレイドをしっかり抱いててね」


 フーシェが両手の拳をにぎり締め魔力を練り上げる。ズズズ、と音を立ててフーシェの周りの水が無数の渦を巻いた。フーシェの作戦はこうだ。この、いくら探しても扉も窓もない狭い船室をパンパンの水圧で膨張させ、四方八方に魔法を打ち込んで穴をあけて出口を作る。これならどこか一か所、作りが薄い場所位なら破壊することができるだろう。シンプルで効果が期待できる作戦だが、飛行船内に関していえば致命的な弱点がある。


「本当にやる気なの? もし今が航行中で、船体に穴が開いたら私たち船ごと落ちて死んじゃうけど! 脱出どころじゃないけど!」


「上等よ! このまま変態野郎の慰み者になるくらいなら、ここで船ごと落ちて死んだほうがましだわ!!」


 フーシェは言い返した。その瞳は怒りに燃え、確固たる闘志を宿している。ほかに手段がないとはいえ、信じるんじゃなかったかなと思ってしまう。


「安心して。落ちた場所が海だったらーー私が助けてあげるから!」


 その怒りと闘志を魔法に乗せて、フーシェは高らかに叫んだ。


「ハイドロブラスト!!」


 水中にいるのに砲弾が炸裂したような音がした。全方位に放たれた水球は砲撃のように狭い船室中に飛び出し、最もつくりの弱い場所ーー天井に大穴を穿った。


「開いたわ、行くわよ!」


 フーシェは自在に海水を操れるようで、穿った穴に泳いで突っ込んで行くと船室を満たしている海水ごと移動を開始した。フーシェの行きたい方向に海水が先手で移動するので凄まじい勢いで水流が発生している。人魚の祝福が無ければソラノは置いていかれていただろうし、あったとしてもただ流されるままに移動しているだけで何の役にも立っていない。

 

「ソラノ、敵よ! 攻撃攻撃!!」


 フーシェが移動しながら前を指さす。剣を抜き、こちらに向かってくる一団が見えた。


「ウォーターショット!」


 とりあえず知っている攻撃魔法を唱えてみるも、ソラノの脆弱な魔法など剣の一振りで打ち払われてしまった。


「ソラノッ、あなたこんな状況でふざけてる場合? 攻撃魔法っていうのはねーーこうやって使うのよ!!」


 本日二度目のハイドロブラストが敵陣に命中し、相手は扉を破壊しながらはるか後方まで吹っ飛ばされていった。

 なるほど、魔法に意思を乗せるというのはそうやるのか。

 デルイのでろっでろに甘やかした教え方とは違い、フーシェの魔法には感情が多分にこもっているのでとても参考になる。デルイはあれでソラノに危険が及ばないよう、怖い目に合わせないように優しく教えてくれているんだろうが、こう目に見えて感情で魔法の効果が発揮されるのとわかりやすい。


「海水を自分の一部だと思って、圧縮、固定、そして思いっきり打ち出す!はいっ、次の手合いがやってきたわよ、やってみて」


 ソラノは次の敵に向けて攻撃に備えるフーシェとともに魔法を練った。ここでつかまればもう脱出のチャンスはない。相手を倒すつもりでーー少なくとも目の前からは追い払う気持ちで。見よう見まねでやってみた。


「ハイドロブラスト!」


 ごっそり持っていかれた魔素とともに、魔法はこれまでソラノが撃ち出した中で最高威力を伴って敵へぶち当たった。ただ敵もそれほど愚かではないので、展開した魔法障壁により攻撃は相殺されてしまう。すかさず前に躍り出たネレイドが追撃のハイドロブラストを放ち、力押しで相手を後方へと押しやった。


「やればできるじゃない」


 そうして二人は海水とともに再び移動を開始する。ここはどうやら貨物を置く場所のようで、木箱が大量に積まれていた。迫りくる海水に一飲みにされ、木箱は室内中にその中身をぶちまけながら壁に当たったり床にたたきつけられたりして木っ端みじんにされていく。二人は知らぬことだが、ここはジョセフ達船技師が一晩徹夜仕事で必死に修理した貨物室だった。それがあっという間に再び滅茶苦茶にされていく。船技師たちが見たら泣きたくなるような光景だろう。

 海水は人工的に生み出されたものだから容量が決まっているので、ソラノたちが移動した後の船内は水浸しの瓦礫の山だけが残された。船の構造はよくわからないがとにかく扉を開けて外へ向かう。


「目指すは甲板よ」


 船がまだ空港にいるのかいないのか。ともかくそれを把握しなければ。


+++


「閣下、船内で娘二人が暴れているようです」


「何?なぜそのようなことに……すぐに鎮圧に迎え」


「御意に」


 護衛にそう報告され男爵はわずかに苛立ちを見せた。ここに来て見つかってしまえば今までの苦労は水の泡だ。小娘二人ごときが、男爵の連れてきた精鋭揃いの兵たちをどうにかできるとも思えないが、万が一にもバレればこちらの身が危ない。


「出港準備は整っているな?ならば今すぐ船を出せ」


「はっ」

 

 男爵は船員たちに命令を出す。空港からの指示など待つ必要はない。今すぐ飛び立ち、空の檻にあの二人を閉じ込めなければ。飛んでしまえば逃げ場はなくなる。後はじっくり仕留めればいい。


+++


 船内は水浸しだった。上空一万メートルの高みにあって船が海水に侵食されるなど誰が考えるだろう。男爵船に乗っている護衛の騎士たちは精鋭揃いで、南の国という海に面した土地柄上海戦も得意としていたが、それでもこの事態に多少は面食らったし、いきなりの攻撃魔法を防ぎ切ることができなかった。何より魔法の威力が凄まじい。

 人間が怒濤のように押し寄せる海水の中でその実力を発揮し切るのは難しい。魔法により水中で呼吸ができるようになり、速度倍化の魔法などで素早く動けるようになったとしても、海を縄張りに生きる人魚を相手取るには不足している。よって男爵側の兵たちはこの想定外の事態に苦戦を強いられていた。


「何をモタついている」


「隊長、申し訳ありません」


 隊長と呼ばれた男は船内で暴れ回る二人の元へと急いだ。現在二人はまだ下層階にいるが、このままでは甲板まで出てきてしまうだろう。空港の職員に見咎められては面倒なことになる。

 階段を駆け降り、破壊音が鳴り響く階へと行く。扉一枚隔てて騒ぎの渦中となっている場所まで出てから、男は剣を抜き構えを取った。相手は海中戦で無敵の人魚族だ。その体内に秘める魔素は膨大で、強力な魔法を意のままに操る。船内を海水で満たされたと報告があった以上、相手をするならまだ海水に飲み込まれていない地上から応戦するしかない。

殺さず傷つけず捕らえるのは存外に難しいが、やるしかない。男は静かに剣を振るった。


麻痺嵐パラレイシス ストーム!」


 魔法は扉を破壊して、現在水没した室内へと侵入しそこにいたすべての人間を飲み込んだ。


「!!」

 

 突如降ってきた魔法は抵抗する時間を与えず、敵も味方も全てを巻き込みその場の全員の動きが停止した。直撃を受けた娘二人も床に倒れ、制御を失った海水は形を保つのを止めて重力のままに床を流れていく。


「随分暴れてくれたが、これまでだな」


 気丈に睨みあげてくる二人に向かって、男は無情に言い放った。


 そしてその時ーー船が僅かに上下して、滑るように移動を開始した。船首が旋回し、空の海を滑るように進み出す。


「出港だ。共に西方へと向かおうじゃないか」

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