第33話 聖域
「あの……生きてる?」
ソラノは小さな声で呼びかけてみるが、全く反応が無い。長い金髪が水に揺蕩い、ぐったりと全身から力が抜けていた。どうすればいいのかソラノには全く思い浮かばなかい。
すると女の子のそばから一匹、ニュルっと何かの生き物が出てくる。バスケットボール位の大きさで、よくよく見ると吸盤がついた八本の足を持っている。タコだ。
「タコ?」
そのタコが女の子とぺしぺしと叩くと、わずかに女の子は身じろぎをして呻いた。
「……水……」
「水? 水が欲しいの?」
この女の子の見た目は紛れもなく人魚だ。人魚など生まれて初めて見るが、牛の頭を持つ人間や獣耳を持つ人間がいるのだから、人魚がいても全くおかしくないだろう。
ソラノが覚えている数少ない魔法を使い、水を出す。
「
女の子の傍に掌を差し出し、桶に水を満たす。どんどんと水かさが増し、溢れんばかりになりそうな時、タコの脚が一本ソラノに絡みついた。
ーー
「!?」
タコが何かの呪文を唱えたとたん、ソラノは自分の手から湧き出る水を制御できなくなった。蛇口をひねって水を出していたら、蛇口が壊れて水が滂沱とあふれ出てきたような感じだ。桶の中はあっという間に満杯になり、溢れた水は行き場を求めて室内を水浸しにしていく。
「ちょっとこれ、どうすればいいのっ」
ソラノは原因を作ったタコに聞くが、タコは女の子を見つめるばかりでソラノの方など見てすらいない。水がソラノの膝まで迫った時、ついに女の子に動きがあった。
右の手がピクリと動き桶の淵を掴む。閉じられていた瞳が開いて力強い意思が宿った。そうして顔を上げて今なお水を生み出し続けるソラノを見て、女の子は口を開いた。
「
膝までだった水が一瞬で室内を満たし、ソラノは水中に投げ出された。水の性質までも一気に変わり、ソラノの肌にまとわりつく。口に入った水は多量の塩分を含んでいた。溺れまいと口を閉じたソラノに、追撃の魔法をかけてくる。
「
柔らかい光がソラノを包み、刺すように冷たい水はまるで空気のように自然な存在となった。
「目を開けて、呼吸もできるわ」
女の子はソラノに言った。言われた通りにしてみると確かに、何の苦も無く目の前が見え、呼吸もすることができた。女の子は先ほどまでの生気のない状態とは一転してしっかりとしている。両腕でタコを抱き、魚の下半身をゆっくりと動かして直立の姿勢を保ち、宝石のように美しい青い瞳でソラノを見つめていた。歳の頃はソラノと同じか少し幼いくらいだが、ビックリする程の美少女だった。金髪が水中で自然に広がり、人魚という種族も相まってどこか神秘的な雰囲気を醸し出している。
「助けてくれてありがとう。私はフーシェ。あなたの名前は?」
「私はソラノ」
「そう、ソラノ。良かったわ……あなたが来てくれて。ここは随分海から遠いみたいで、力が出なくて困っていたの。ここがどこだかわかるかしら?」
ソラノは首を横に振った。フーシェは残念そうな顔をする。
「やっぱり。貴方も攫われたのね。メリーディエースまで行けば近くに住む仲間が迎えに来てくれるんだけど……まあ、ネレイドがいれば何とかなるわ。ともかくここを脱出しましょう」
「メリーディエース?」
ソラノは聞き返した。聞き慣れない地名だった。
「南西諸島の最南端にある島よ。ほら、あの珊瑚がきれいな海域の。本国から船ですぐ行けるでしょ?」
フーシェはすらすら答えるが、どうも話がかみ合わない。そもそも海にいるはずの人魚が大陸のほとんど中央に位置するグランドゥール王国に生息しているのだろうか。一応グランドゥール王国も海に面した領地があるはずだが、そこからフーシェの言う船ですぐ行ける南西諸島などという場所は無かった気がする。
「本国……ここは大陸にあるグランドゥール王国だから、その南西諸島って場所に行くには結構な距離があると思うけど」
「えっ……グランドゥール王国?」
今度はフーシェが驚いて聞き返してきた。
「そう。ねえフーシェ、貴方が住んでいたのってどの辺りなの?」
「どこってそりゃ、グランドゥール王国からずっと南の方の海よ! えっ、何? 私、そんなところまで来ちゃったの!? どうやって!?」
大混乱なフーシェの腕の中で、タコもウネウネと吸盤の付いた足を動かしていた。どうやらタコにとっても衝撃的だったらしい。相手が混乱している時は逆にこちらは落ち着くものだ。ソラノはひとつひとつ、確認していくことにした。
「南の海から王国まで、大体どのくらいの距離があるのかわかる?」
「すっごい遠いわよ。船で行ったら一か月くらいかかるわ」
「その船って海を行く船の事?」
「そうよ」
「じゃ、フーシェが攫われたのっていつ頃?」
ソラノは今現在ソラノが知っている日付、つまり攫われた日の日付を教えた。フーシェは少し考え、首を横に振る。
「私が最後に日付を確認した日から七日くらいしかたっていないわ」
「なるほどね。フーシェは攫われてからずっと同じ場所にいるのね?移動させられたりしてない?」
「して……ないと思うわ。ずっとまどろみの中にいたからはっきりしないけど。ネレイドはわかる?」
フーシェが腕に中のタコに尋ねると、タコは首を縦に振って頷いた。そして足元を吸盤の付いた足で指さす。
「ずっとここにいるみたいね」
ソラノは納得した。遥か南の海にいるはずの人魚が攫われ、たった七日でソラノと同じ場所にいる。ということはつまり、この場所は。
「私たちは今、多分飛行船の中にいる」
「飛行船って空を飛ぶあの船?」
「そう」
それを聞き、フーシェは驚きつつもその事を受け入れた。
「そう……通りで力が出ないはずだわ。だって空の上って、海から一番離れてるじゃない! そんな所に人魚を連れてくるなんてひどすぎると思わない?」
「思うけど……一体どこに連れてかれるんだろ。何で私まで攫われたのかな。っていうか攫ったやつって誰なんだろう」
「そんなの決まってる。ラヴィル男爵よ」
「誰?」
「サンゴを乱獲する悪魔みたいな奴よ。そしてそれを注意した人魚をも誘拐して売りさばく、極悪非道の外道よ! 私が最後にいた場所も、男爵領の近くの入り江だったしーーもうっ、どうしてあんな場所に行っちゃったのかしら」
フーシェは話しながら、怒りがヒートアップしてきたようだった。タコのネレイドがその腕の中できつく抱きつぶされていて苦しそうだ。ソラノは話をそらすため同じ疑問を繰り返した。
「私たちどこに連れていかれるんだろ」
「わからないけど、絶対ろくでもない所よ。若い娘が好きな変態貴族とか、珍しい人種を集める趣味のある頭のおかしいコレクターとか。私たち人魚はね、そういう奴らに狙われやすい種族なの」
「じゃ、私は異世界から来たから、物珍しさに狙われたってこと?」
フーシェはそこでまじまじとソラノを見つめた。
「ああ、異世界人なのね? へぇー、初めて見たわ。強い人が多いって聞いたことがあるけど、あなたあんまり強そうじゃないわね。どっちかっていうと弱いでしょ」
「まあ、強いか弱いかで言ったら弱いかな」
ソラノは素直に肯定した。ここでうそをついても仕方ない。ソラノに現在備わっている能力といえば弁当を売りさばく能力だけだし、そんなものはこの誘拐されている状況では何の役にも立たない。
そこを踏まえた上でなのか、フーシェは大して気にした様子もなく次の言葉をつづけた。
「まあいいわ、さっさとここから出ちゃいましょう。ソラノ、私の言うことを聞いて。絶対二人で助かるのよ」
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