第154話 ソラノがやるべき事

「じゃ、ちょっと行って来る」


「本当に行くんですね」


「行くよ、それが条件だから」


 夏が過ぎ去り、秋の日差しがたっぷりと降り注ぐ王都の郊外。爽やかな風が街に吹き、向かい合う二人の間を駆け抜けた。石畳には黄色く色づいた葉が風に吹かれて渦を巻きながら舞い散っている。

 ソラノは乗り合い馬車の来る街路路の前でデルイと別れの挨拶を交わしている。右頬の痣はほとんど治り、よくよく見ないとわからないまでになっている。

 トントン拍子で話が進み、デルイは今から騎士団の駐屯所へと赴くらしい。空港の通常業務と並行して魔物討伐部隊に同行する話を進め、取りまとめたということだった。


 わずか十五日という日程で王都から遥か北にある大森林近くの街へと行き、近隣の平原で森竜を迎え撃つ手筈になっていると聞き及んでいる。ちなみにこの大森林、馬で行けば十五日はかかる場所なのだとか。飛獣がどういった生物なのか知らないが随分と速度が出るようだ。


「にしても、こんなに簡単に騎士団に同行できるものなんですか」


「現地の人間を案内役につけたり、高位の冒険者に協力を依頼することもあるから、素性の知れた人間なら同行は可能だよ。俺は騎士団の大団長の息子だから問題ないんだろうな」

 

 どこか自嘲気味に言うデルイはいつもと違う濃緑に金縁刺繍がされている騎士団の制服を着ている。


「さっさと行ってやっつけて帰って来るから。そうすればこの制服ともオサラバできるし」


 詰襟の襟元を窮屈そうに引っ張りながら冗談めかして言うけれども、見送るソラノの気持ちは重い。なんとなく視線を足元に向け、カサカサと靴の周りに散っている木の葉を見つめる。色はイチョウに似ているくすんだ黄色だが、形は星のようだった。視線を落としたままに心なしか暗い声を出す。


「すみません、本当に……役に立たなくて」


「そんな言い方しないで、笑顔で見送って欲しいな」


 対するデルイはいつもと変わらずごく気軽だ。沈み込むソラノを元気付けようとしているのだから、一体ソラノが何をしに来たのかわからないくらいだった。

 餞別にサンドイッチでも作って持って行こうかと思ったのだが、旅の行程がわからない上に食料の持ち込みが許されているのかもわからなかったので自重した。

 確かにソラノに今出来る事は、デルイが望む通りに笑顔で見送る以外に何もない。

  

 顔を上げるとデルイと目が合った。唇を弧に描くと、精一杯の笑顔を浮かべる。そして努めて元気に言った。


「行ってらっしゃい、頑張ってくださいね!」


 それはいつも店に入って来たデルイに言う言葉とは対極にある言葉だ。


「うん、行って来る」


 笑顔を残したデルイはタイミングよくやって来た乗り合い馬車に乗り込んで去って行った。

 次に会う時にはまたいつものように「お仕事お疲れ様です」と言いたい。

 ソラノは心の底から切にそう願った。




+++


 天井の高い店内にアコーディオンとサックスの音が鳴り響く。その調べは落ち着いていて、どこか物悲しげな音色に聞こえた。

 猫人族の音楽家兄妹の奏でる音楽に客は食事の手を止めて聞き惚れていた。この間だけはソラノもあまり客の動向に目を配らなくても済む。定期的にやって来るおかげで二人の存在は徐々に認知されており、最近ではこの二人組の来店に合わせてわざわざ王都から足を運ぶお客もいるほどだった。


 猫人族の二人は今日もブイヤベースを注文し平らげていた。本日のブイヤベースにはメインにカサゴとブロッシェと呼ばれる淡水魚、それとエムル貝という細長い貝が入っている。

 この演奏中はドリンクを注文する客がいるくらいで、ソラノにとってもしばしの休憩時間のようになっていた。


「シュベルリンゲンの四季、秋の曲ですね」


「そうなんですか」


「ええ、冬が近づくわびしさを表現した曲です」


「確かに少し悲しい雰囲気の曲調だと思いました」


 店ではルドルフがカウンターに座っており、音楽にかき消されそうなギリギリの声量でソラノへと話しかけてきた。すっかり眼鏡姿が定着したルドルフはブイヤベースにも使ったブロッシェのバターソースがけを肴に白ワインを楽しんでいる。彼が一人でこの店に来ることは珍しく、恐らくはソラノの事を慮「おもんばか」ってくれているのだろう。


「デルイは行ったらしいですね」


「ええ、行っちゃいました」


 旅立ってからまだ数刻。笑顔で見送ったのはいいもののソラノの気持ちの大部分が心配で締められており、見送るのは中々に辛かった。店で仕事をしながらもふとした瞬間に不安が胸の中をよぎる。

 行動的なソラノはトラブルがあれば自分で解決する性格なため、こうして待っているだけというのは性に合わなさ過ぎてしんどい。


「ものすごい大怪我して帰ってきたらどうしましょう。もしかしたら生きて帰ってこないかも……」


 皿を拭きながら珍しくネガティブな事を言うソラノにルドルフが同情めいた視線を送ってくる。切ないメロディの音楽も相まってソラノの不安を掻き立てた。ワイングラスをカウンターへ置き、慎重に言葉を選びながらも話し出す。


「森竜討伐に行く魔物討伐部隊は毎回騎士団の精鋭が揃っているので、大ごとにはならないと思いますよ。無傷でというのは難しくとも、命を落とすほどの事態にはならないでしょう」


「そうなんですか……」


「そうです。あいつは普段ふざけた感じですけど、腕は立つしいざとなれば相当に強い。だからそんなに心配しなくても、ソラノさんは普段通りに仕事をしてればいいですよ。十三日経てばまたヘラヘラ笑いながら帰ってきます」


 付き合いがソラノなどより遥かに長いルドルフがそういうのであれば、そうなのだろう。


「それにしても私、今回なんの役にもたたなさそうでちょっと凹みます」


 デルイはああ言ったが、ソラノとしてはまだ気持ちを引きずっていた。身分の差、というものがよくわからなかったのだがこんなことになるならばもっと何かできることをやっておけばよかったのではないか。テーブルマナーだけは完璧だったが、それだけではとてもあのシスティーナに太刀打ちできまい。

 デルイの言葉に甘えて、例えば高校の友人が先輩と付き合うような感覚で過ごして来たのだがきっと大きな間違いだったのだ。

 ルドルフはそれを否定も肯定もせずにソラノへと話しかけた。


「ソラノさん、知ってますか。あいつが能動的に動くのは、ソラノさんが絡んでいる時だけなんですよ」


「そうなんですか? 結構、お仕事だと率先して切り込んで行ったりすると聞いたんですけど」


 以前、妖樹という魔物が船を乗っ取った時には嬉々として戦っていたと聞いたが。しかしルドルフは首を横に振る。


「それはあくまで仕事の範疇で、腕を振るう機会があれば名乗り上げますけど、例えば出世をしようという欲はあいつには全くない。入職以来五年共に働いてきましたが、実家を出るという目的を果たしたあいつは享楽的で受動的。こんな事をソラノさんに言うのは気が引けますが、かなり酷い生活をしていたんです」


 昔の事を思い出したのかルドルフの顔に影が差した。薄々気が付いていたが相当デルイに迷惑をかけられていたらしい。


「そんなあいつをソラノさんが変えたんです」


「私が……」

 

 いまいち自覚がないソラノは首を傾げる。


「好き勝手生きてきたあいつが、自分以外に大切なものを見つけて、幸せを掴むために奮闘している。待っているのと不安でしょうけど、信じてやってください」


 そう言うルドルフの眼差しは真剣で、力強い。


「あいつなら森竜の一体くらい倒せますよ、大丈夫です」


 長年一緒に組んで働いてきたルドルフが言うと説得力が違う。ソラノははい、と頷いた。ルドルフは柔らかく微笑んでワインを一口飲み、そしてふと口を開く。


「……そういえばあいつ、親のことについて何か言ってましたか?」


「ご両親のことですか? いえ、特には」


「あのバカが、視野が狭くなってる」


 唐突にこの場にいないデルイの事を小声で詰<なじ>りため息をつく。


「いいですか、ソラノさん。デルイの母親は社交界の女王とまで影で言われるほどの人物でしてね、一見たおやかな見た目のご婦人なのですが非常に切れ者で、隙がない。つまり」


「つまり?」


 眼光鋭くルドルフが視線を上げ、ソラノに対して極めて真剣な眼差しを向けた。


「……ソラノさんのことを調べ上げ、ここに乗り込んで来る可能性があります」


 なんと、そんな可能性があるのか。

 ソラノは息を飲んだ。確かに、自分の息子が恋人のために縁談を蹴るとなれば、それがどんな娘なのか気になるのは至極当然のことだろう。調べ上げ、そして取るに足らない平凡な人間であるとわかればーー不可解に思うはず。ここに足を運び実際にお目にかかりたいと思ってもなんら不思議ではない。


 ソラノはルドルフと目を合わせてしっかりと頷いた。


「望むところです」


 待っているだけというのは性に合わない。もし相手からこちらに乗り込んで来るのならば、受けて立つところだ。ソラノが向こうにいくとなれば不利なことこの上ないが、店に来るならやりようはいくらでもあった。

 店に来るということは食事をしていくということになる。ならばソラノの接客術でおもてなしをして満足のいく食事体験をしてもらい、そして自分を認めてもらおう。

 ソラノに出来ることは少ない。得意なことを挙げるとすれば片手で足りるくらいである。だから自分に出来ることを精一杯やるしかない。


 自信を持って言葉を発したソラノをルドルフが優しく見つめる。


「ソラノさんは頼もしい。もう一ついいことをお教えしましょう。あいつの母は……あいつにそっくりな見た目をしています。見れば絶対に誰だかわかるでしょう」


「ありがとうございます、ルドルフさん」


「いえ」


 ルドルフは眼鏡のつるを人差し指で押し上げた。


「応援していますよ、お二人を。何せソラノさんはあの破天荒なデルイを変えてくれたんですから」


「一体どれだけデルイさんに迷惑かけられてきたんですか」


「それはもう」


 思わず聞いたソラノにルドルフはどこか遠くを見つめながら言った。眼鏡の奥のその目は、どことなく虚ろだ。


「凄まじく散らかった家を片付けて家事を教えたり、職務中に勝手に突っ走るあいつをフォローしたり、あいつに惚れただの何だの言う女性複数人に囲まれ、糾弾してくるところを窘めたり、そんな俺を囮にして逃げるあいつを追いかけたり。数えだすと枚挙にいとまがありません」


「わぁ……」


 想像以上に被害を被っていたルドルフに思わず同情した。ソラノから見ればデルイはこの上なく優しくて頼りになる存在だが、ルドルフには結構ひどい振る舞いをしていたようだ。


「だから、あいつが元に戻らないためにもぜひこのままの関係を続けて欲しいんです」


「わかりました、頑張ります」


 魂を込めて言うルドルフに力強く請け負う。ソラノは勢い込んだ。恋人の両親に好かれたいと思うのはごく自然な感情だろう。だからもう。


 来るなら来い、デルイさんのご両親!


 音楽が止み、店内はささやかな拍手の音で満たされる。と同時にそこかしこで注文の合図である手が上がった。


「今参ります!」


 音楽が始まった時より随分と軽くなった気持ちでソラノは接客を再開した。

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