第155話 ソラノへの解釈

「奥様、お待たせいたしました。こちらでございます」


「ありがとう」


 リリアーチェ・リゴレットは自室にて老執事が今しがた差し出してくれた一枚の書類を見つめていた。

 それは末息子デルロイの恋人だという娘に関する報告書で、内容は極めて簡素なものだった。


名前 ソラノ・キノシタ 

出身 異界からの転移者

家族構成 不明

容姿 黒髪に黒目、人間族における平均的成人身長。特筆すべき点はなし

性格 明るく社交的

職業 エア・グランドゥール第一ターミナルのビストロ ヴェステビュールの給仕係

その他 魔素不安定、武器を手に取った経験なし、特殊な技能もなし



 書類を机に置くとその手でティーカップを持ち上げ、ため息をひとつ。


「これだけを見ると徹底的に平凡な子みたいね」 


「そのようでございますな」


 白髪の老紳士は神妙に答える。

 これほど内容が薄い調査書が手元に届くとは思ってもいなかったので少々驚いている。そのリリアーチェ譲りの美貌と厳しく仕込まれた社交術で、社交界のご令嬢を片っ端から恋の渦に叩き落とした末息子のデルロイが好きになったというのだからどれほどのお嬢さんなのかと思えば、平凡を地でいくような娘のようだ。唯一変わっている点は異界からの転移者という部分であろうが、その特性が生かせているとはお世辞にも言えない。

 確かにこれなら、屋敷へと連れて来るのは憚られるだろう。


「本当にこれ以外の情報は手に入らなかったの?」


「あとは噂の範疇を出ませんが、フロランディーテ殿下と親しくされているだとか、先般王都で流行した黒麦料理の発案者であるとか、そういった類の根も葉もない話なら耳にいたしました」


「そう……」


「何れも確かな情報ではございませんし、異界から来た者とはいえ一介の給仕係に過ぎない人間に出来る芸当とは思えません」


 言って執事はその目元に浮かんだ涙をしわの目立つ指先で拭う。


「ああ、嘆かわしい! 私と奥方様であれほど完璧な社交術を教えて差し上げたのに、坊っちゃまはあろう事かこんなにも平凡な娘に夢中であるなんて!」


 歳のせいか涙脆くなった老執事はグスグスと鼻を鳴らし、「失礼いたします」と言ってそれをハンカチでかんだ。

 小器用な末息子は話術もダンスも作法も覚えが早く、上の息子二人に比べて教え甲斐があった。故にこの老執事も熱を持ってリリアーチェと共に己の全ての知識を教える勢いで指導していたのだ。

 成長するにつれ反発心が強くなっていく息子を見ていたリリアーチェとしては、いつかこんな日が来るんじゃないかと薄々感じていたが、実際こうして起こってしまうとやるせない気持ちになる。鬱々とした気持ちでティーカップを持ち上げ、何度思ったか知れない事をついつい口にしてしまった。


「あの子が女の子だったら良かったのに」


「左様でございますな」


 言ってもどうにもならない事に老執事も深く同意した。

 女の子だったら、ライオネルにあれほどしごかれる事はなかったのに。

 女の子だったら、リリアーチェの全てを教えて素敵な殿方を射止め、幸せな生活を送る事ができただろうに。

 女の子だったら、もっと仲のいい親子でいる事ができただろうに。

 女の子だったら、今こうして抱えている厄介な問題は起こらなかっただろうに。


 全てが都合のいい憶測に過ぎない事はわかっているが、それでもそう思わずにはいられなかった。リリアーチェの美貌を受け継いだデルロイは男で、それ故にライオネルに武術を仕込まれ、リリアーチェは社交術を教えた。末息子の役に立つようにと教えた事だったが、どうやら彼には要らぬお節介だったようだ。

 騎士学校を卒業するなり実家を飛び出し、六年間音沙汰がなかったと思ったら帰省するなり縁談に異を唱えた。


 そしてデルロイが夢中になっているのがこの報告書にあるソラノという娘だ。

 うまく行かないことだらけでため息が出るが、このままでいるわけには行かない。

 思ってもどうにもならないたらればの思考から抜け出し、先ほどの噂話と照らし合わせてこの書類をもう一度眺める。


「気になる点がございましたか?」


 リリアーチェの悩ましげな表情に老執事が問い返すと、彼女は年齢を感じさせない美しい唇を動かした。


「ビストロ ヴェステビュール」


 書類に手を伸ばし、その字面を綺麗に色を塗った爪でなぞる。その店の名は社交界でも最近よく耳にする。なんでも、第七王女のフロランディーテ殿下が婚約者のフィリス殿下と密かに会い、そしてこの夏には黒麦を使った新しい料理の宣伝のために利用した店であるとか。後者については王室お抱えの記者が書いた新聞にも載っていたし、夜会でも聞いたことがあるため本当の事だ。

 ならば噂が事実だという可能性も十分にあるだろう。


「ですが、殿下がこの店を利用したのは完全なる偶然でしょうし、恐れながら料理を作るのは料理人の仕事でございます。この娘が殿下を店へと引き込んだ訳でも、新たな料理を開発した訳でもないかと……」


「普通の人ならそうでしょうけど、彼女は転移者であるみたいだから」


 言いながらリリアーチェも半信半疑であった。フロランディーテ殿下と仲が良いのであればそれなりの教養を身につけているのではないか。それならここへ連れて来ても問題ないはずだ。ならば噂はやはりただの噂で、事実無根なのだろうか。

 気を落ち着かせるために香り高い薔薇の紅茶を一口飲み、頭を巡らせた。

 本来気にしていた部分へと思考を裂く。

 

「何が目的で息子に近づいたのかしら」


 仮に普通の人間ならばその可能性は無限大だ。ただデルロイの容姿に惹かれたのか、伯爵家との繋がりが欲しいのか、それとも財産目当てか。

 しかし、そんな娘を果たしてデルロイが好きになるのか?

 やはりこのソラノという娘には何か特別なものが備わっているのだろうか。


「駄目ね、情報が少な過ぎて考えても答えが出ないわ」


 ならばやるべき事はただひとつだ。

 リリアーチェは目を閉じて、夫のスケジュールを頭の中で確認する。そして決めた。

 つとその長い睫毛で覆われた瞳を部屋の隅で控える老執事へと向け、言う。


「三日後の夕食はこの店で頂くことにしましょう」


「かしこまりました、予約を致しますため使者を送ります」


 考えても答えが出ないのであれば、会いに行って確かめればいい。店はエア・グランドゥールに存在し、来る者を拒まないのだから。


「三日後が……楽しみだわ」


 にこりと優雅に微笑むその姿に、老執事はただただ頭を下げるばかりだった。



+++



 その日の夜、システィーナは自室で王都に帰って来てから買い漁ったドレスの試着大会を使用人とともにしていた。北方の閉ざされた国とは違い、大国の王都にいれば既製品であっても流行最先端の服が山ほど手に入る。

 時間の関係で一からドレスを作っていたのでは縁談に間に合わない。しかしこれほどたくさんの服があれば、システィーナにぴったりのものが見つかる事だろう。


 久しぶりに王都へと帰って来てデルイと運命的な再会を果たしたというのに、わけのわからないデルイの恋人だと名乗る女の乱入により一時は心が激しく乱されたが、落ち着いて考えればどうという事はない。あれからすぐにデルイの生家であるリゴレット家に確認を取ってもらったところ、縁談の話は予定通りという回答だった。

 胸をなでおろしたシスティーナは早速、ドレス選びに勤しんでいた。ご機嫌である。


 そんなシスティーナの自室にフッと淡い燐光を放ちながら一匹の猫妖精が姿を現した。


「あ。おかえりクー。偵察ご苦労様、どうだった?」


「なんかデルイさん、縁談を白紙にするために森竜討伐に行ったらしいよ」


「はぁぁ!?」


 システィーナは、その衝撃的な内容に令嬢らしからぬ声を上げた。鏡に向かってポーズを取っていた姿のままにクーへと振り返り、その小さな体に詰め寄るとガクガクと揺さぶる。


「縁談を白紙にするために!? 森竜討伐へ行く!? 一体どこをどうすればそんなとんでも話になるっていうのよ!?」


「あばばばば、ちょっ、やめるニャ!」


 揺さぶられたクーは頭を前後に揺らしながら抗議の声を上げる。ハッとしたシスティーナはクーからパッと手を離し、申し訳なさに目をそらした。


「ご、ごめんなさい。興奮してつい」


「つい、じゃニャい! 一仕事終えて帰って来たんだからもうちょっと労ってほしいニャ!」


「ごめんって、ほら、かつおぶしあげるから」


 部屋の奥に常備してあるかつおぶしを使用人の一人が皿にこんもり山盛りにして持ってくる。システィーナは自慢げに腕を組んで言った。


「最高級のホンカレブシよ、王宮でも使われているものを取り寄せてもらったわ」


「ニャあ」


 クーはふよふよと室内を飛び、テーブルへと着地するとハムハムとかつおぶしを食み始める。


「美味しい?」


「うーん、まあまあ」


「ワガママねぇ」


 最高品質のものを取り寄せたというのに何が不満なんだろう。ティーナが憮然としているとクーが顔を上げる。


「ティーナはわかってない。かつおぶしっていうのは削りたてが一番美味しい。かつおぶしを愛する人が手ずから愛情を持って削ったかつおぶしに勝るものなんてないニャあ」


「何言ってるのよ……」


 このかつおぶしだってクーのために邸の料理人が削っておいてくれたものだ、それに対して何たる言い草だろう。

 猫妖精って全部が全部こんなにかつおぶしが好きなのかしら、それともクーが変わっているのかしらと内心で首をかしげながらシスティーナは再びクーにデルイの事を話しかける。


「それで、森竜討伐ですって? どうしてそんなことに……」


 言ってならシスティーナはその理由に思い当たった。


「きっとあの女が唆<そそのか>したのね」


「いやぁ、話を聞いてた限りではデルイさんが自分で言い出したっぽいニャ」


「そんなはずないわ」


 システィーナは拳をきつく握りしめ、怒りにわななかせた。


「デルイさんはあの女に騙されているのよ。あんな取るにならない平凡な店の給仕係ごときが、デルイさんの恋人の座に収まるだなんてーー許せない!」


 一体どんな手を使ってデルイに取り入ったのだろう。まさか体を使ったのではなかろうかと思い、システィーナはゾッとした。

 恋は盲目だ。恋愛に夢中になっている人間は視野が非常に狭くなるし、思考が偏る。

 システィーナはそのいい例となっていて、一体ソラノのそこまで発達していない体でどうデルイに迫ったのかとか、そういう論理的な事柄は置き去りにされていた。

 そもそも店に突撃をかました時にデルイ本人に冷たくあしらわれたというのに、そこの記憶も都合よく改ざんされている。


「もう、全部あの女のせいなのよ! 気に入らないわーーそうだ、もう一度リゴレット伯爵家に縁談の件について確認をしてちょうだい」


 使用人の一人にそう命じると、了承する旨を告げて頭を下げて退出していく。それを横目で見つつもシスティーナは鏡へと向き直った。

 最先端のドレスに身を包んだ、ふわふわの金髪に青い目を持つ自身は誰がどう見ても、あの女なんかより美しい。おまけに家柄だっていいし、魔素は十分、珍しい召喚術の才能だってある。


「大丈夫よ、縁談さえ始まればあんな女に負けはしないんだから」


 システィーナは自分にそう言い聞かせると、それ以上のことは考えまいと頭を左右に振り再びドレス選びに没頭し始めた。

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