第225話 初日②
「いらっしゃいませ、ルドルフさん、デルイさん。お仕事お疲れ様です」
「ル、ルドルフ様っ?」
ソラノの言葉にミーティアは動揺し、思わず皿を取り落としそうになる。
出入り口には確かにルドルフがいた。あいも変わらず佇まいは凛々しく、それでいてミーティアに向けられた眼差しは優しい。いや、今は緑色の瞳が心配そうに揺れていた。
途端にミーティアは先ほどまでの集中力が途切れ、落ち着かない気持ちになった。
ミーティアがルドルフに会う時には、いつもめいいっぱいのお洒落をしている。流行りのドレスを身にまとい、髪型も衣装に見合うものにし、化粧も使用人がいつも気合を入れて施してくれる。どこかおかしなところはないか、皆で何度も何度も鏡の前で確認をし、そうしてようやく彼と会う。
しかし今のミーティアはどうだろう。
髪型はただただ一つに結えただけだし、化粧もいつもに比べれば薄い。ずっと立ち働いているのできっと汗をかいているだろうし、おまけに自分は今、太ってしまっている。
好きな人の前では常に可愛らしい自分でいたい、と思うのは恋する乙女として至極当然な考え方だ。
あくせく働く自分を見られたミーティアは、なんだか急に恥ずかしくなり涙目になった。
しかしルドルフはいつも自分に向けるのと寸分違わない笑みを浮かべると、やんわりと言う。
「心配して見に来てみましたが……以前に会った時よりも、イキイキとしているようで何よりです」
「わ、わたくし、イキイキしておりますか?」
「それは、もう。こうして懸命に店の手伝いをする様子を見るのは新鮮です」
カウンターの席に座ったルドルフは、ミーティアを蔑視している様子はまるでなかった。むしろ慈しむような愛おしむような、そんな表情をしている。
するとルドルフの隣に座っている青年がひょっこりと顔を覗かせ、目を細めてミーティアを見つめる。
この青年にミーティアは以前会ったことがある。デルロイ・リゴレットという名前の彼は騎士の名家であるリゴレット家の出身であり、社交界で絶大な人気を誇る青年貴族だ。年頃の令嬢は皆、彼の名前を口にしては彼との結婚を熱心に望んでいる。
観察するように見つめられ、ミーティアは落ち着かなくなった。体型が変わったことを指摘されるだろうか、笑われるだろうかと考えたが、デルロイの口から出たのはどちらでもなかった。
「ソラノちゃんに巻き込まれた?」
「……え……」
「公爵令嬢が店で働くなんて普通あり得ないから。ソラノちゃんに何か言われて巻き込まれたのかなって」
鋭い指摘にミーティアは怯んだ。どう言おうかと迷っていると、果実水とおしぼりを持ったソラノが助け舟を出してくる。
「巻き込んだって言い方だと、人聞きが悪くなりますね」
「そういうつもりじゃなかったけど。それで? ダイエット順調?」
「まだ始まったばかりですけど、今のところ順調です」
「そう。……ひと月後が楽しみだね」
そう言うと、水を置いて引っ込めようとしていたソラノの腕をデルロイが取り、ぐいと引っ張る。バランスを崩したソラノの上半身がデルロイの方へと倒れ込む。逃すまいとソラノの髪に指を滑らせて頭を抱えると、耳元に唇が寄せられた。
「ちゃんと痩せたか、夜通し確かめてあげるから」
「「…………!」」
近くにいるせいでデルイの誘惑するかのような声で囁かれた言葉がミーティアにも聞こえ、ソラノと揃って赤面してしまう。
ルドルフは二人を隠すかのように上体を傾けた。
「ミーティア嬢、見ない方がいいです。こいつの存在は目に毒だ」
「何を紳士ぶってんだよ。婚約者に全然会えないってことあるごとに嘆いていたくせに」
「今それを言うか!?」
「さっさとモノにすればいいだろ」
「お前と一緒にするな!」
「……わ、私、失礼します! 注文はおまかせでいいですか!?」
「うん。ワインだけ先にお願い」
「僕もお願いします」
「かしこまりました! ミーティアさん、あっちのテーブルのお皿下げてきてください!」
「は、はい!」
あわあわとその場を離れるミーティアとソラノ。ミーティアの耳には、レオの「仕事中にいちゃつくなよ」と言う呆れ声と、「違う! 違くないかな? ごめんなさい!」と反論と謝罪を同時にするソラノの声が届いた。
ルドルフがカウンター席に座っている。一体何を注文し、何を食べ、どんな話をしているのだろうとどうしても気になってしまい、ついつい目で追ってしまっていた。
「ミーティアさん、集中、集中」
しかしすれ違いざまにソラノに言われ、はっとした。
先ほどのやりとりを見る限り、ソラノとデルロイは良い関係性に違いない。けれどもソラノは注文を取ったり料理を運んだりする時以外、まるで彼を気にしている様子がなかった。
(これが……プロですのね……!)
ソラノの仕事に対する姿勢に感動したミーティアは己の未熟さを恥じる。ここで頑張らなければ、店の人々に申し訳が立たない。トレーを手に持ったミーティアはソラノを見習い努めてルドルフを気にしないようにしつつ、店の仕事に再び従事した。
ディナータイムが過ぎ、夜半過ぎになるまで働き続けたミーティアは、ソラノに「お疲れ様です」と言われるまで一日が終わったことに気づくことすらなかった。
はっと顔を上げたミーティアを見つめているのは、店の面々。
「よくやったなぁ、ミーティアさん」と言ったのはシェフであるバッシだ。
「途中で倒れやしないかとひやひやしたが、閉店まで持ち堪えるとはすごいな」
「バッシさん……」
「おうよ。おかげで俺は助かった」
「レオさんも」
自分は役に立てたのかと、ミーティアは安心すると同時に嬉しくなる。ソラノを見ると彼女もにこりと微笑みかけてくれた。
「お疲れ様です、ミーティアさん。飲み込みが早いので、大助かりでした」
ジーンとミーティアの胸に喜びが広がる。今までは、社交界に出るとミーティアを敵視する令嬢から棘のある言葉をぶつけられるか、「まだ結婚なさらないの? ルドルフ様もお可哀想に」と結婚を急かされるかのどちらかであった。
家族や使用人たちは慰めの言葉をかけてくれるが、こうして打算なしに優しい言葉をかけられる経験がミーティアにはほぼなかった。人に褒められるとは、こうも嬉しいことなのかとミーティアは感動する。
「おし。じゃあ、夕飯にするかぁ」
しかしミーティアは、この閉店後の賄いこそが最大の罠であることに、この時まだ気がついていなかった。
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