第240話 春野菜のべニェ 抹茶風味
「ここがその、ヴェスティビュールって店だな」
「……そうみたい……だね」
フゥファニイ兄弟アランとトリスタンは、店が休みの本日、翌日の準備を終わらせてから早速エア・グランドゥールへとやって来ていた。
第一ターミナルには店が一軒しかないため、目当ての店はすぐに見つかった。
ガラス張りの壁からは店内のオレンジ色の明かりが滲み出て、ここだけ空港に設られている照明とは異なる柔らかな光に満ちている。
行き交うのは中心街とは異なる人々。旅装をした冒険者、商人、護衛を連れた貴族が、談笑しながら道を歩いている。
仮に二人の店がこの場所に出店するとして、果たして足を止めてもらえるのだろうか?
アランは考えた。
今アラン達の店に来るお客様は、店で休んで軽食を取るか、全種類のクロワッサンを買って帰るか。そうした目的の客が多いから、このエア・グランドゥールで通用するかははっきり言って微妙だ。
しかし、やってみたい。
この場所で評判を呼べばーー文字通り世界中の客を虜にする事ができる。
物を作っている人間として、これほどやりがいに満ちた事はない。
少し離れたところから佇んで見ると、たった今目の前で若い男女の二人組が店へと入っていくところだった。
一人は人間族、一人は猫耳族のようである。猫耳族の方は声が大きく、聞く気はなくとも会話が聞こえてくる。
「ヴェスティビュール、久しぶりね。ね、カイト!」
「そうだな、俺たちもここしばらくは忙しかったし」
「私のお菓子作りのヒント、何かあればいいんだけど……」
「マノンは最近、行き詰まり気味だもんな」
どうやら猫耳族の方はお菓子職人であるらしい。行き詰まり気味とは奇遇だな、とアランが思う。そのまま二人は店の中へと吸い込まれていった。
「よし、俺たちも入ろう」
「う、うん」
まずはこの第一ターミナルにあるのはどんな店なのか、確かめるのが先だ。
開いている扉から店内に入ると、モスグリーンのワンピースを着た黒髪黒目の給仕係がやって来た。
「いらっしゃいませ、お二人様でしょうか?」
はい、とアランが告げると、現在テーブル席が埋まっているのでカウンターに横並びでも良いかと聞かれたので頷いた。
カウンターも既にほぼ満席で、牛人族二人と先ほど男女二人組の間に腰を下ろすと、給仕係がメニューの説明を一足先に隣の二人組の客に話しているのが聞こえてきた。
「本日のオススメは、海老のビスクと春野菜のべニェ 抹茶風味です」
「え……抹茶?」
二人組のうち、男の方の客が耳をピクリと動かしてマッチャという単語に反応した。
アランも耳慣れない食材に、なんだろうと耳を済ませる。
「抹茶を使った料理が食べられる?」
すると、話についていけない猫耳族の女性が首を傾げた。
「マッチャって何? カイト、知ってる食材?」
「ああ、俺たちにとっては馴染み深いんだ。な、ソラノちゃん」
話を振られた給仕係が深く頷きながら説明をする。
「はい、そうなんですよマノンさん。抹茶は元々は飲料として開発されたものなんですけど、今回は料理に合わせてみました。爽やかな苦味が特徴の抹茶を衣にを溶いて練り込み、ほんのり風味づけに使っています。王国で採れる春の野菜の味わいを上品に引き立てる仕上がりになっていますよ」
「なら、その春野菜のべニェをもらおうかな」
「私も、面白そうだからそれにするわ」
「かしこまりました」
マッチャの粉末? 衣に練り込む?
会話を聞いたアランは、トリスタンと目配せをした。
マッチャというのは初めて聞く食材だ。一体、どのようなものなのか。
こちらに来た給仕係がメニューの説明をするより早く、アランは問いかける。
「あのー、マッチャってどんな食べ物なんですか?」
「抹茶はお茶の一種で、和食で使われる食材です。紅茶とは異なる独特の香りと苦味が特徴で、そのまま飲むと好みが分かれますが、お料理に使う事によって風味の良さが引き立つんですよ」
初めて聞く食材にアランの胸が躍った。マッチャ。どんなものなのだろう。
隣を見ると、トリスタンも同じような表情をしている。アランは迷わず頼んだ。
「なら、その春野菜のべニェ、僕達にもお願いするよ」
「かしこまりました」
料理を待っている間、店の様子を伺う。
洒落た作りの店内は満員で、複数人いる給仕係は忙しそうに働いていた。妙に牛人族が多いのが気になるが、アラン達のように一族経営なのだろうか。
そんなことを考えていると、横に座っていたこれまた牛人族の客に話しかけられる。
「お前さん達、もしかしてフゥファニィさんのとこの息子さんじゃないか?」
「え? あ、はい」
言われて横を見ると、そこには見知った顔があった。
「酪農家の……!」
「いつも世話になっているねぇ」
「まぁまぁ、相変わらず立派ねぇ」
そこには、店御用達の酪農家夫妻が座っていた。あいも変わらずのんびりした佇まいの二人は、ゆったりと料理を楽しんでいた。
「店は順調かい?」
「はい、おかげさまで。いつも質の高い乳製品を卸して頂き、ありがとうございます」
「いんや、礼を言うのはこっちの方だよ」
「本当に、うちの乳製品を使ってくれてありがとうねぇ」
「まさかこんなところで会うとは思いませんでした」
「この店は実は親戚がやっていてな。前々から来たいと思っていたんだ」
「そうそう。このところ評判がいいから来てみたら、店も料理もお洒落だし私たちもびっくりしているのよぉ」
なるほど親戚の店だったのか。確かに前に牧場にお邪魔した時、親戚が料理店を営んでいるという話をしていた。
フゥファニィ一家は古くから付き合いのある取引先を大切にしており、年に何度か長期休暇を取っては農家や酪農家などを訪れていた。二人にとってこの牛人族の夫婦は子供の頃から知っている人物で、ある種の絆が生まれている。
「二人は何を頼んだんだい?」
「春野菜のべニェを」
人見知りの弟は何も話さないので、アランが受け答えをした。基本的にトリスタンは、外で喋ることがほとんどない。
「ほう、春野菜の……それは美味そうだねぇ」
「お待たせいたしました、春野菜のべニェ 抹茶風味でございます」
会話をしていると、ちょうどカウンターの上に料理が差し出される。
揚げたてのべニェからは湯気が立ち昇っており、揚げ衣の香りに混じってほんのりと嗅いだことのない香りがする。これが、マッチャの香りか。
皿に綺麗に盛り付けられた野菜は、三種類。
アスパラガス、葉付きの人参、アーティチョーク。
各二つずつ皿に乗っているそれを、まずはアスパラガスから食べてみた。
衣に包まれて揚げられたおかげで野菜のほくほくとした食感が残っている。
厚めにつけられた衣は、メレンゲを使っているのか軽めの食感だ。
そして後味にかすかに感じる苦味。
それは、苦いはずなのに嫌な感じがしない、今までに味わったことのない感覚だった。
独特な後味、しかし残っているのは一抹の清涼感。
これは一体何なんだ? アランは戸惑う。
「兄さん、これが、マッチャなのかな……!?」
「そうみたいだ」
いつもは外で喋らないトリスタンも驚きのあまり声を漏らした。長い前髪の隙間から見える目は驚きに見開かれていた。
マッチャ。
なんて新鮮な食材なんだ。これ一つで飲み物にするとおそらく主張が強すぎるだろうが、こうして料理に混ぜて使うと、絶妙な引き立て役となっている。
アランの本能が告げていた。
このマッチャを使えば、きっと今までに作ったことのないクロワッサンが出来上がるだろうと。
「あの、店員さん」
アランはカウンター内に目を向け、今しがた料理を出してくれた給仕係に話しかける。振り向いた給仕係ははい、と言いながらこちらへ向かってきた。
「いかがいたしました?」
「このマッチャについて、ちょっとお尋ねしたいんですけど
+++
コミカライズ8話が更新されました。
https://comic-growl.com/episode/2550912964793534389
本年もありがとうございました。
また来年も異世界ビストロをよろしくお願いいたします!
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