第36話 合流

 扉が吹っ飛んだかと思ったら魔法が部屋全体を包み込み、防ぐ手立てがないままにソラノとフーシェは身動きが取れなくなってしまった。全身が痺れて指一本動かす事ができない。フーシェの操っていた海水はその制御を失って重力のままに床を流れ、足元を水びだしにしていく。隙間から別室へも溢れだしているのでもはや先ほどのようにまとめることはできないだろう。


「小娘二人に何を手こずっていた。さっさと縛り上げて閉じ込めておけ」


 敵味方もろとも巻き込んだ魔法で船室にいた全員が動けなくなっていたが、剣を抜きやって来た男が兵にかけられた魔法を解いていた。兵たちは直ちに起き上がり、ソラノとフーシェを縛り上げる。ここまで来て、捕まってしまった。

 男はフーシェの顎を掴んで上を向かせると吐き捨てるように言う。


「余計なマネを」


口を動かすこともできないフーシェを乱暴に投げ捨て、立ち上がると兵たちに指示を出す。


「倒れた兵をかき集めろ。死んではいないだろう」


「はっ」


 男はソラノとフーシェをまとめて掴み上げ、船内を進んでいく。


「男爵はお怒りだ。もう二度とこんなマネができないよう、ばらばらに閉じ込めておいてやる。幻惑の檻に囚われて・・・売り飛ばされるまで気を失っていることだ」


 船は出港してしまい、どうすれば助かるのか全く分からない。僅かに動かせる視線で横のフーシェを見てみると、まだ希望を失っていないようだった。その目は天井に張り付くーーネレイドを見ている。そういえば先ほどから姿が見えなかったが、あの魔法から逃れていたのか。ネレイドは四本足で器用に天井に張り付いたまま進んでいて、ソラノたちに残る四本の足を向けている。助けてくれようとしているらしい。

 男がいきり立って進んでいく足を突如止め、背後を振り返る。僅かに視線をさまよわせた後に天井を見据え、そこにいるネレイドをはっきりと見て止めた。

 抜刀すると無造作に剣をふるい、今しがた放とうとしていたネレイドの魔法を無効化する。そのまま二度、三度と剣を振ると斬撃が飛び、それはネレイドが展開していた魔法結界マジックフィールドを撃ち破って直撃を与えた。


「こいつか……人魚の眠りを覚まさせていたのは!」


 ネレイドの体内から体液が飛び散り、天井から落ちてくる。


「こいつのせいで小娘どもは正気を取り戻していたのか! たかがタコの分際で、それほどの魔素を持ち合わせていたとは思わなかった!」


 男はネレイドの力に気づかなかった自分を責めているようだった。怒りに任せてネレイドに剣を打ち付ける。ネレイドの体内の魔素は尽き欠けているのか、なすがままに打ちのめされている。一方的な蹂躙にフーシェの口から嗚咽が漏れ、目からは涙があふれていた。

 

「止めだ!!」


 男が剣を振り上げた時、船の中で雷が迸った。

 耳をつんざく轟音とともに男の頭上に落雷が落ち、振りかざした剣が避雷針のようになって全身を貫いた。男の体がわずかに痙攣し、そのまま堪らず床に膝をつく。かろうじて床に剣を突き立て、攻撃の出元を探ったが、発見するよりも早く接近されて追撃の剣戟を食らう。そのまま動かなくなった。

 ソラノの体勢では、誰がこの男に攻撃を仕掛けたのかわからない。近づいてくる足音を、縛り上げられ体が麻痺した無防備な状態で聞いているしかなかった。


魔法無効化マジックキャンセル


 静かに魔法を唱えるその声はよく聞いたことのある声で、体の自由を取り戻したソラノは首を巡らせ助けてくれた人を見た。


「デルイさん!」


「遅れてごめんね」


 ソラノの両手両足を縛っていた縄を解きながら、デルイが優しい声で言う。


「痛むところはない?」


「大丈夫です。ありがとうございます」


「ならよかった」


「あの、迷惑かけてごめんなさい」


「俺のせいだよ。こうなる前にちゃんと守ってあげられなくてごめん」


 ソラノの頬に手を添え、整った顔立ちを歪めて苦しそうに言う。そしてフーシェに向き直り、彼女の縄も解いてやる。フーシェは自由になった手を床につくと、魔素を練り上げて魔法を行使しはじえた。フーシェの全身が淡く輝き、鱗のある下半身が変化していくーー。

 光が集束したとき、フーシェの下半身は魚ではなく鱗模様のスカートを纏った二本足に変わっていた。


「ネレイド!」


 フーシェは瀕死のネレイドの所へ駆けていき、抱き起こして魔法をかけた。回復魔法らしく傷がどんどん癒されていく。ネレイドが目を開け、足を三本ほど動かして無事を伝えるとホッとした様子でデルイへと向き直った。


「助けてくれてありがとう。ソラノの知り合いかしら」


「うん、空港保安部のデルイさん。フーシェ、歩けるんだね」


「変化魔法よ。もう魔素が残り少ないから二時間くらいが限界だけど……」


「人魚族は初めて見た。ラヴィル男爵に攫われてきたのか」


「そう。あいつはどこにいるの?」


「上階だ。このまま拿捕に向かう」


 フーシェが頷いた時、デルイはそれまでの優しい表情から一転して険しい顔立ちになった。


高位魔法障壁ハイ・マジックフィールド!」


 唐突に呪文を唱えて三人を魔法障壁で包み込むと、そこに何かがぶつかる鈍い音がする。その音を逃さずに魔法無効化を仕掛けると、敵の姿があらわになった。先ほどまで伸びていた男だ。


「透過魔法が使える奴がいたとは驚きだぜ。お前、俺が最初に船の捜査に来た時に極楽鳥をけしかけただろ」


「あれは笑える見世物だった」


 男は先ほどのダメージから完全に復活しているようで、斜めに構えて思い出し笑いをする。


「今ほどの警戒心があれば、仕掛けられる前に俺の気配に気づけただろうに間抜けな奴だ」


「それはそうだな。あん時は正直、油断していた」


 そしてデルイは剣の切っ先を男へと向けた。


「でも今は違う。覚悟しておけよ」


 剣を打ち合う音が激しく鳴り響く。互いに隙を見ては魔法を繰り出し、船内は再び戦場に変わった。ソラノにできることはせいぜい邪魔にならないよう下がっておくことくらいだ。


「なんか強そうな人が来てくれて助かったわ。さすがにあの男には敵わなさそうだったから」


 隣で他の敵が来ないか警戒しながらフーシェが言った。目の前の戦闘は豪快な音を立てて繰り広げられており、他の兵士がまだやってきてもおかしくはないだろう。デルイがまともに戦っているところを初めて見たが、なんだかめちゃくちゃ強かった。どうやって撃ち合っているのかソラノの目では追うことすら困難だ。時折透過し姿が見えなくなる敵に対し、音や気配を頼りに的確に応戦しているところなど神がかっている。普段のどこかふざけた雰囲気は鳴りを潜め、真剣に敵に向かう姿はかなり新鮮だった。


 バタバタと音がして、下から敵がやってきた。びしょ濡れなところを見るに、フーシェとここにやって来るまでの間に吹っ飛ばした兵士だろう。剣を抜いてデルイへと接近しようとしているので、フーシェと二人で応戦する。


「ハイドロブラスト!」


 何度目かわからないほどのハイドロブラストで、ソラノの攻撃力も多少上がったようだった。フーシェと二人でならば足止めくらいできるようになった。スライム一匹倒すのに十分かかっていた頃を思えば大した成長だ。デルイも喜んでくれるに違いない。

 ハイドロブラストは圧縮した水を砲弾のように撃ち出す魔法なので直接的な殺傷能力には欠けているが、水圧の威力で遠くに敵を飛ばせるので遠ざけた隙に逃げるのには向いている。殺意をもって攻撃する意思をあまり持たないソラノにも適した魔法と言えた。


 フーシェと二人で頑張っていると、デルイ側にも動きがあった。


 透過魔法を使う相手と戦うのは初めてだったが、現在デルイの五感は極限まで研ぎ澄まされている。消えた相手の足音や気配を察知し、或いは完全に姿が消える前に魔法無効化の魔法をかけることで相手の優位を許さなかった。右手で猛然と剣を振るい、左手で器用に魔法を操るその様に相手の男は次第に焦り、攻撃の手は単調になっていった。


「馬鹿な、俺は男爵家の護衛隊隊長だぞ! たかが空港の職員なんぞにやられるか!」


「空港の保安部を舐めんなよ! こっちは毎日、高ランク冒険者や空賊と戦ってんだ!」


 バチバチを紫電を帯びた剣がうなりを上げ、男の腹を切り捌いた。無防備な腹部を横一文字に切られた男は口から血を吐き剣を取り落とす。デルイが止めの一撃を振り下ろすと、男の体はその剣に付与された雷の魔法によって真っ黒に焦げた。ぷすぷすと煙を上げる体がどうっと前のめりに倒れると、今度こそ男は動かなくなった。

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