第157話 リリアーチェの注文

前菜:ブーシェ・ア・ラ・レーヌ

スープ:ビーツのポタージュ

魚料理:クネル・ド・ブロシェ

肉料理:尾長鴨のソテー ベリーソース添え  


 翌々日の夕刻、早速リリアーチェは夫のライオネル・リゴレットと連れ立ちエア・グランドゥールの第一ターミナルへと降り立った。

 齢五十をとうに過ぎているリリアーチェであるが、その美しさは年を経てますます磨きがかかっていると専らの評判で、事実こうして体格のいいライオネルを腕を組んで歩いているとさながら美女と野獣のようだ。

 若さに固執をしているのではなく、年と共ににじみ出る内面からの美しさを大切にするリリアーチェは落ち着いた色合いのドレスを身にまとい、品のいい色に爪先を染め上げ、その鮮やかなピンクの髪をシニヨンに結い上げている。化粧も上品でどこからどう見てもたおやかな淑女だ。

 しかしその頭脳はリゴレット家随一の切れ味を誇っており、故にどこか真っ直ぐ過ぎて不器用な夫を影から支え続けている。


「二人で外食など久方ぶりだな」


「そうですわね」


 ターミナルを歩きながらライオネルが言う。騎士団の大団長であるライオネルがこんな雲海上の空港に姿を表すことなどまず起こり得ないことなので、同じ飛行船に乗っていた乗客やターミナル上で船を待っている客たちは何事かとこちらを見つめていた。

 騎士は専用の軍事飛行場を持っているため、飛行船に乗る必要があるならばそこを使う。エア・グランドゥールへと来るならば、大団長が来るほどの非常事態がこの場所で起こっているということだ。


「どいつもこいつもビクビクした顔で見おって。制服を着ていないのだがら私用だとわかりそうなものだが」


「貴方の顔が恐ろしいから皆怯えているのよ」


「む……」


 歯に絹着せないリリアーチェの物言いに、ライオネルはゴツゴツした掌で自身の顔を撫でる。確かに普通にしていても凄んでいるような顔のライオネルはおまけに顔中傷だらけで、見るものを畏怖させる威圧感があった。


「まあそれはいい。お前の言っていたデルロイの恋人がいるというのは、あの店か」


「そう、あの店みたいね」


 第一ターミナルには店が一つしかないのですぐにわかった。ダークブラウンを基調とし、梁や柱にモスグリーンを使用しているガラス張りの店は小ぢんまりしているが瀟洒で、センスの良さが伺える。

 まっすぐにその店へと向かって歩いていく。


「いらっしゃいませ」


 開け放たれた扉から中に入ってみれば、黒髪黒目の給仕係がすぐさまやってきて挨拶をしてくれる。事前情報の通りならこの娘がソラノというデルロイの恋人なのだろう。

 報告書にあった通りにその娘は、とりたてて目立つ容姿をしていない。誰が見ても振り返る美貌の末息子の隣に並び立って相応しい人物かと言われれば否という他ないだろう。

 給仕係はリリアーチェの姿を見るとわずかに目を見開くが、すぐさま愛想のいい笑顔を浮かべて席へと案内してくれる。


「予約していましたリゴレットよ」


「はい、お待ちしておりました。こちらのお席へどうぞ」


 落ち着いた雰囲気の店内は閑散期だという事もあってか客数は席に対して半分ほどだった。高い天井に照明が吊るされ、そこからオレンジ色の暖かい光が各席へと投げかけられている。高級店とは異なる作りのこの場所は、気兼ねなく誰かと食事へと行くのに適した店だ。

 椅子を引かれて、そこへゆったり腰掛ける。

 給仕係が何か言う前に、リリアーチェは愛想のいい笑顔を向けた。


「貴女、ソラノさんかしら」


「はい」


 いきなり名前を問われた給仕係はしかし臆する事なく頷いた。


「結構、では、ソラノさん。予約をした時にお伝えしていると思うのだけれど……本日はお任せでお料理をお出ししてくださるかしら」


「はい、承っております。お飲み物もお料理に合わせてお持ちしてよろしいでしょうか」


「よくってよ」


 再び了承の意を示したソラノはお辞儀をすると去って行き、果実水だけをテーブルへ置いて行く。部下にすら恐れられる恐ろしい顔のライオネルに値踏みをするような目つきで見つめられているというのに、それにすら怯んだ様子は見受けられない。


「さて、何を持って来てくれるのかしらね」


 初見の好みも何もわからない客がこんな注文をすれば大抵の店の者は困るだろう。ましてやリリアーチェの正体にあのソラノという娘が気づいているならば尚更だ。

 意地の悪い注文だと自覚しつつ、リリアーチェは楽しそうに目の前に座る夫へと優雅に笑ってみせる。


「あの娘、武芸の類は何も身につけていないな。筋肉量が低すぎる。魔素も微弱であるし、リゴレット家に相応しい人間だとは思えん」


 ライオネルは独自の観点からソラノに対しての評価を下していた。どう見ても一般人かそれ以下の彼女はライオネルのお眼鏡に叶う事は難しいらしい。

 デルロイにはいきなり殴りかかったライオネルだったが、騎士道精神に反すると言って女性に手をあげることはしない。まあここで殴りかかるようなことをすればすぐさま空港の保安部職員が飛んで来て捕縛されてしまうだろうから、さしものライオネルとて大人しくしている。

 それくらいの分別もなく騎士団をまとめ上げることなど出来ない。


「それよりリリー、儂は隣のテーブルが気になる」


「あら、わたくしもよ。ついでにその隣のテーブルまで気になるわ」


 顔には出さなかったが、指定された席へと座ってまず驚いたのは隣のテーブルに座っているのがフロランディーテ殿下と婚約者のフィリス王太子であるという事だった。

 

 お忍びらしき服装をしてはいるが殿下のことを知っている人からすれば誰がどう見てもバレバレだ。

 魔法は万能ではない。

 姿を誤魔化す魔法は「ここにこの人がいるはずがない」という認識を強くする類のものであり、先般のフリュイ・デギゼと黒麦のガレットにより王女がこの店を贔屓にしている事が広く知れ渡っている状態だと効き目が薄い。

 その証拠に、殿下を挟んでさらに先のテーブルへと座る客もチラチラと殿下のことを見つめている。


「あれはロンバート子爵とその婚約者様ね」


 若い子爵とその婚約者は互いの雰囲気がぎこちない。ロンバート子爵は隣に座るフロランディーテとフィリスの正体に気がついているらしく、食事の合間にチラチラと様子を伺っているし、そんな子爵の様子を見て婚約者の方は眉をひそめている。あまりいい雰囲気とは言えないわね、とリリアーチェは内心で評価した。


「お待たせいたしました」


 さほど待たされずにソラノが戻って来て、料理が差し出された。

 それを見てリリアーチェはーー思わず息を飲む。


女王様の一口パイブーシェ・ア・ラ・レーヌです。シャンパンと合わせてどうぞ」


 ソラノは丁寧にお皿をサーブすると隣に細口のグラスを置き、そこにトクトクとシャンパンを注いだ。


「ごゆっくりどうぞ」


 頭を下げると他の接客に回るべくソラノは去って行く。

 泡が立ち上る黄金色の液体が注がれたグラスを掲げ、ライオネルと目線を合わせて乾杯をした。シャンパンの味わいは中の上といったところでそこまで高価なものではないが、このパイと合わせて食べるにぴったりの味わいだった。


 問題はこの、目の前にある料理だ。

 ブーシェ・ア・ラ・レーヌ。

 別名、女王様の一口パイ。

 異界の王妃が気に入っていた料理ということでこの名がついたそうなのだが、それをリリアーチェに持ってくるという事は何を意味しているのか。

 リリアーチェが「社交界の女王」と影で呼ばれていることをーーこの娘は知っているということか。その上で「女王」と名前のつくこの料理を運んで来たというならば、中々にセンスがある。


 一皿の料理を目の前にリリアーチェが色々と思案していると、そういった思案とは無縁なライオネルがナイフで真っ二つに切ると、半分になったブーシェ・ア・ラ・レーヌを一口で頬張る。


「これは中々に美味いぞ。冷める前にリリーも食べたらどうだ」


 この手の速さでよく大団長を務めていられるものだと感心すらするが、副官がどうやらよほど優秀らしい。ライオネルは家柄に加えて卓越した剣の腕前で大団長にまでのし上がり、その魔物討伐数の実績からカリスマ性を持って騎士たちに崇められているらしいが、この夫を支える副官たちはさぞかし胃の痛い思いをしているに違いない。

 

 ともかく、言われてリリアーチェもパイを頂くことにする。

 フォークで押さえて、ナイフで二つに切る。

 中からとろりとクリーム煮にした鶏肉とクペリーナ茸が溢れ出て来た。

 それをフォークの背に乗せて、一口。

 サクリ、とパイを噛むいい音がして、続いて香ばしいパイ生地の味わいが広がった。

 サクサクとした歯ごたえに、クリーム煮にした鶏肉の味わい。

 そしてクペリーナ茸は中が空洞になっているので煮込んだベシャメルソースがよく絡み、まろやかで食べやすかった。


「お前はこうした洒落た料理が好きだよな」


「……ええ」


 否定はできない。

 夜会や晩餐会では常に一流の料理が出てくるので、ブーシェ・ア・ラ・レーヌも勿論食べなれた料理だ。

 しかしこれは、どうだろう。

 この店の価格相場から考えると使われている食材はシャンパンと同じく、王宮や伯爵邸で供されるものより数段劣る物だろう。

 だからと言って馬鹿に出来るものではなかった。繊細に折り重なったパイの生地、パイ生地に入れるのに適した濃度にまでミルクを煮詰めたベシャメルソース。品のいい一口サイズのパイにふさわしく、小さく切られた鶏肉とクペリーナ茸はしかし、その存在を確かに主張している。

 白い皿にちょこんと乗せられたこのパイは、出来のいい一品と認めざるを得ない。

 

 ライオネルはこのパイをあっという間に平らげて所在無さげにシャンパンを飲んでいた。リリアーチェはもっとゆっくりと味わってこの料理を頂く。

 適当に食べるには勿体無いほど繊細な味わいのパイだった。

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