第73話 ウフマヨネーズ
「たのもう!」
「はい、いらっしゃいませ」
ソラノが迎え入れる前に元気にお客様が入って来た。四十代後半くらいのたくましい体躯を持つ男性で、身なりからして冒険者だろう。無精髭を生やしていてアッシュグレーの髪はざんばら気味だった。年季の入った革のジャケットを羽織り腰には長剣が一本に短刀が数本。ゴワゴワしていそうな素材のズボンにはポケットがたくさんついていて膨らんでいる。革製のあちこちが剥げた大きなリュックを背負っており、パンパンに荷物が入っていて中身が飛び出していた。リュックの背負い紐にはフライパンとランタンがぶら下がっている。
「お一人様ですか? カウンター席でよろしいでしょうか」
「ああ!」
重そうな荷物をどさりと隅に置いてカウンター席の一つに腰掛ける。ソラノが果実水を提供すると男性はなんだかワクワクした顔でこう尋ねてくる。
「ここの店の前のボードにウフマヨネーズがオススメとあったが、出してもらえるか?」
「はい勿論です。茹で加減はいかがしますか? 半熟、固ゆで」
「半熟で頼む。白身が固くなり始めて間もない、黄身がとろっとろのやつで。生卵と半熟の間くらいのやつ、殻を剥くのが困難なくらいのゆるい茹で加減がいい」
茹で加減に対して細かな注文を受け、少したじろいだ。確かに半熟は可能だが、そんなにゆるゆるに茹でることができるのか? そっとバッシの顔を見ると親指をぐっとたてていい笑顔をしていたから問題ないらしい。すでに卵を茹でる準備をしている。ソラノも笑顔で頷いた。
「かしこまりました」
「あとは白ワインを」
「はい」
冷えた白ワインを注ぎ提供する。それから他の客が帰った後まだ下げていなかったお皿を下げたり洗い物をしていたりすると、いつもより早いペースでバッシがウフマヨネーズを差し出して来た。茹でる時間が短いと提供時間も早い。
「かなりゆるいから気をつけて運んでくれ」
「おっと、はーい」
確かに持ち上げただけで卵が皿の上で上下左右にバウンドするように揺れた。ものすごい繊細な茹で加減だ。こんなのソラノだったら、殻を剥く時ヒビを入れた直後に白身が割れてしまうだろう。
「お待たせいたしました、ウフマヨネーズです」
「おお……!」
出て来たお皿を見て喜色をあらわにする男性。
ウフマヨネーズ。
それは茹でた卵にマヨネーズをかけるというとてもシンプルな料理だ。
店で出しているのは王都近郊で採れたブランド卵ツィギーラ。こってりと濃厚な味わいのそれを覆い隠すようにクリーム色の自家製マヨネーズをたっぷりとかけ、上に
男性はナイフとフォークを手にとって、そっと卵に当てる。フォークがわずかに触れただけでふるるん、と卵が揺れた。そしてナイフをすとんと卵の上から下までためらわず振り下ろせばオレンジに近い濃い色の中身が堰を切ったように溢れ出して来る。それを白身に絡めて食べる。パクリと一口含んで目を瞑り、ゆっくりと味わうように咀嚼してから飲み込んでいた。
「……っ!」
男性はなぜか目尻に涙を浮かべ、震えながらガッツポーズを取っていた。思わずソラノは見つめてしまう。
「美味い……! この、淡白な白身の味にマッチする濃厚な黄身の味わい、卵を包み隠しているマヨネーズの酸味と旨味、クリーミーさ。そしてアンショワの絶妙な塩加減! こんなに美味いものを食べられるとは! ああ……生きていてよかった!!」
「お口に合うようで何よりです」
なんなんだろう、この人?
ソラノはニコニコとしながら頷くも内心で首をかしげる。
そりゃこの店の料理はウフマヨネーズに限らず全て美味しいが、それにしても随分と大げさじゃなかろうか。男性はパクパクとウフマヨネーズを食べ進めている。溢れた黄身は皿の上でマヨネーズと一体化し、それを一滴たりとも逃さないようフォークに乗せた白身に器用に塗りつけて口に入れていた。まるで何年も卵を食べていないかのようなリアクションだ。
最後の一口になった時ハッと我に返ったような表情になり、それまで猛烈に動かしていた両手をぴたりと止めた。そして寂しげな瞳でウフマヨネーズを見つめ、それからソラノの方を静かに見る。
「お嬢さん……私がなぜこんなに感動しているのか、理由を知りたいかね」
そう言われてしまって「はい」と答える以外の選択肢があるだろうか。いやないだろう。他のお客様がいなくてよかったと心底思ってから頷く。
「はい」
何気にバッシも奥で聞き耳を立てている。
「良いだろう」
男性は両肘をカウンターの乗せ、顔の前で手を組みシリアスな顔で語り出す。
「私は冒険者として長年、文明があまり発達していない国に赴き現地の生活向上のため働いている。具体的には土木工事をしたり水路を引いたり、作物を育てる指導をしたり魔物を倒したりだ。そしてそういった場所は得てして……衛生環境が良くない」
「なるほど」
「衛生環境が良くない場所で育った鶏の卵は、雑菌が沢山ついている。だからしっかり火を通さないと食べられないのだ。だが私は、半熟卵が好きなんだっ」
男性は眉間にしわを寄せて感情がこもった声を絞り出す。
「白身に亀裂が入った瞬間、溢れ出す黄身! 皿の上に広がるそれを白身に絡めて食べるのが好きなんだ。だが、仕事で滞在している国でそんなものを食べる機会は皆無だ。だから今日、私は四年ぶりに半熟卵を食した」
「そうだったんですか」
「そうなんだ。しかもどうだろう。ここの卵はそこらのものとは違うな?コクがあり旨味が濃縮されていて、甘みも感じる」
「王都の近郊で採れるツィギーラというブランド卵を使っていますよ」
「やはり、ただの卵ではないと思った」
「ここに来たということは、王都へご滞在ですか? であれば下の街でも簡単に購入できます」
「いや……残念ながら、今回は経由で来ただけなんだ。ここから再び飛行船に乗り、また次なる未開の国を目指す」
「大変ですね……」
「これが私の仕事だからな。半熟卵が食べられない事以外、文句はない。現地の人々と共に働く楽しみ。荒れ果てた大地が整い、一つの街となった時の達成感。脅威的な魔物と対峙した時の血湧き肉躍る感覚。そしてそれを倒し、皆で祭りのように騒ぐあのひと時。どれを取ってもかけがえのないものだ」
「左様ですか」
「ああ」
「ちなみに生卵はいかがですか? お出しできますが……」
「いや、私は半熟が好きでな」
「左様ですか……」
「ああ」
男性は頷いた。よもやこんなに半熟卵好きの人と出会うとは思っていなかった。確かに地球でも、卵はしっかり火を通さないと食べられない国があると聞いたことがある。それと同じなのだろう。文化の違いというのはどこにでもある話で、この国にいればそこまで不便することはないが一歩外の世界へ飛び出せば全く違った景色が見えるに違いない。
一切れ残った白身に皿の上に弾けた黄身を綺麗に塗りつけ、最後の一口を神妙に食べ終える。余韻を十分楽しんだ後に白ワインを流し込み、口の中をさっぱりさせた後、男性はこう言った。
「後三つ、同じものをいただけないか」
これが馴染みの常連であれば「食べ過ぎですよ。コレステロール値が上がりますよ」とつっこむところだが、この男性は切実に半熟卵を欲しているようだったのでそんなことを言っては無粋というものだろう。ソラノも静かに頷いた。
「かしこまりました」
今日のおすすめがウフマヨネーズで良かったと心から思う。オススメの理由をバッシに訊ねたところ、「鶏が卵を産みすぎたようで市場で安かったから」と言っていた。男性がいくら食べようが卵は潤沢に店に存在している。
そうしてバッシは後三つ、同じウフマヨネーズを作ることになった。
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