第172話 肉じゃがが煮えるまで

 グツグツと鍋が沸騰する音がする。

 ソラノは火力を落として落し蓋をした。もうこれでほとんど完成、あとは火が通ったら味が染みるのを待つだけだ。


 約束通りにソラノは休みの日にデルイの家へと赴き、肉じゃがを作っていた。

 何せ半月ぶりくらいの手料理なので張り切っている。システィーナに出した肉じゃがだって張り切って作ったが、今回はそれ以上に気合が入っている。この肉じゃがの味が染みたら、きっと渾身の出来栄えに違いない。

 自画自賛しながらご機嫌に肉じゃがを作るソラノだったが解せないことが一つあった。


「あのー、デルイさん」


「ん、もう出来る?」


「はい、もう待つだけですけど……この体勢はなんでしょう……」


 いつもなら隣に立ってなんやかんや手伝ってくれるデルイだが今日はなぜだか料理するソラノをじっと前から見つめていて、かと思えば今は後ろから抱きついてきている。

 近い。密着しすぎだ。腰に回された腕から熱が伝わってきて、もう涼しい季節なのにソラノは首筋に汗が伝うのを感じた。

 こうした行動を取られると、経験値が極端に低いソラノとしてはどうしていいかわからない。何が正解なんだろうか。


「それにしても、システィーナさんの方から縁談を白紙にしてくれたみたいでよかったですね」


「うん、何か心が折れたらしいよ」


 とりあえず話題を振ろうかとソラノは聞いた話を思い返した。デルイはあのあと実家へ縁談に関する話をつけに行ったところ、縁談が白紙になったと聞かされたらしい。シャインバルド家からは丁寧な謝罪があったそうなのだが、こちらとしては万々歳だ。


「結局ソラノちゃんのお手柄だったね」


「でも他の縁談も今後一切無しになったんですよね? なら森竜討伐に行ったデルイさんのおかげじゃないんですか」


「どうだろう……ウチの親はソラノちゃんを気に入ったらしいから」


 複雑そうな声音でデルイがそう言った。たった一度のお食事で自分のことを気に入ってもらえたのなら何よりだ。嫌われるより気に入られた方が嬉しいに決まってる。


「また来るって言っていましたよ」


「げ、俺としてはそれは嬉しくない」


「またまたー、仲良くしましょうよ。親子なんですから」


 体を捻って顔を合わせれば、心底嫌そうな顔をするデルイがいた。そんなデルイにソラノは言う。


「会いたくても、もう会えない人もいるんですから」

 

 その言葉にデルイは何かを察したらしく、腰に回した腕に少し力を込めた。


「……ごめん」


「いえいえ」


 デルイが肉親と仲が悪いのは知っているが、もう少し歩み寄れないものかとソラノは考える。余計なお世話かもしれないけど、いがみ合うのはあまりよくない気がする。ソラノの両親はあまり家にいなかったけど家族仲が悪いわけではなかったし、兄のことは大好きだ。ふとした時に会いたくなるし、会えないという事実がたまに無性に悲しい。

 だから、いつでも会えるところにいるデルイには仲良くしてほしいな、と思ってしまう。

 そんな思いが通じたのかデルイはそれ以上家族のことを言わなくなった。


 静かな室内に鍋が煮える音だけが響く。


「デルイさん、肉じゃが以外に食べたいものあります? 私に作れるものなら何でも作りますよ」


「うーん、ないかなぁ」


「思い出の味とかないんですか?」


「思い出の味……」


 デルイが記憶を探るように考え出すも、最後には首を横に振った。


「無い」


「それも悲しい話ですね……」


 二十六年生きてきて記憶に残る思い出の味が無いなんて。誰しもが何かあるものだと思っていたソラノとしては少し寂しく感じる。


「一年の半分くらいは野営して過ごしてたから、携帯食料が思い出の味かな。あとは夜会で出る高級食材を使った料理……でも会話をいなすのに集中しててほとんど何食ってたか覚えてないしなぁ。邸で食べるのは料理人の作った料理だろ、まあ美味かったけど記憶に残るほどかって言われたらそこまででもないし」


 だから、と言ってデルイは抱きしめる力を少し強めて言葉を続ける。


「ソラノちゃんの作る料理が俺にとっての全部」


 それはそれで嬉しいな、と思ってしまう。口元が緩むのが抑えられない。

 深みにハマって肉じゃがばっかり極めていないで、他の料理ももっと鍛えなければ。

 かつおぶしを削るのが上手くなって喜ぶのは猫妖精のクーだけで、デルイとしては別に嬉しくもなんともないだろう。

 レパートリーを増やそうと、心に誓った。


「頑張って美味しい料理覚えますね! バッシさんにお店の料理も教わってるんです。レオ君と一緒に」


「レオ君上達してんの?」


「はい、覚えが早くてバッシさんも満足そうです」


「それは良かった。お店も安泰だね」


 はい、とソラノが答えると会話が途切れた。

 静寂とこの間がなんだか落ち着かない。どうにかしないと、とソラノが口を開く前に今度はデルイの方から話しかけてきた。


「ね、もう待つだけなんだよね」


「はい、一時間くらい」


「じゃあさ」


 ソラノの腰に巻き付いていたデルイの腕がすすすと上へ伸びて来た。そのまま顎を捉えるとゆっくり横を向かされる。目と目があったと思ったら、そのまま唇を塞がれた。


「!」


 抗えずにされるがままにされていると、キスの合間に腕の中で器用にも向きを変えられてしまう。

 やがて解放されたかと思ったら向き合った状態、間近で切れ長の瞳に射抜かれる。


「あの……ち、近い。近すぎませんかっ」


「誰も見てないし恋人同士なんだから気にしない」


「それにしてもちょっと、いつもより距離感が……!」


 今日はなんだかいつもよりデルイがぐいぐい来る。久々に会ったせいなのか、めでたく両親に認められたせいなのか。

 しかしこれはちょっと心臓に悪い状況だった。

 ソラノの体はデルイの両腕の中にすっぽりおさまっており、キッチンのカウンターに手をついたデルイはにこにことこちらを見ていて逃す気はさらさらなさそうだった。


「ねえ、ソラノちゃん」


 見下ろす優しげな眼差しの奥に有無を言わさない強い意志が見て取れて、思わず体が硬直した。

 猛禽類に相対してしまったかのような、緊張感。

 

「……一時間、俺だけ見ててよ」


 そのいつもと違う低く掠れた声にソラノがはい、ともいいえ、とも言えずにいると再びその見慣れた美麗な顔が迫ってくる。

 これはもう逃げられない。

 覚悟を決めたと同時にソラノは目を瞑る。



 肉じゃがが煮えるまで、あと一時間。 

 室内には、鍋が煮える音だけが静かに響いている。




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これにて二年目・秋編終了です。

お読みいただきありがとうございます。

閑話を挟んで次は冬編に突入します。

お気軽に秋編の感想などいただけるとやる気につながりますm(_ _)m

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