ビストロ店、誕生編
第41話 エアノーラの決断
その日、エア・グランドゥール空港商業部門の部門長であるエアノーラは年度末の各店舗の決算報告を聞いていた。齢四十になる彼女はその優れた手腕で数々の人気店を空港に誘致し、あるいは各ターミナルに散見していた店舗を中央に集約するという大胆かつ効率的な大改装を提案し、成功をおさめて商業部門長までのし上がった人物だ。冷徹、数字の鬼で有名なエアノーラに逆らえるものはこの商業部門内に存在しない。
広い会議室に富裕層、冒険者層にわかれた部門の長がおり、さらには物販、飲食課の各課長が居並んでいる。この一年間の各店舗の前年比、純利益などを報告する重要な会議であり、不採算店舗の進退などもこれを参考に決定する。室内には独特の緊張感が漂っていた。その中で一つ、とびぬけた数字を持つ店舗が報告され、全員の度肝を抜いた。かくものエアノーラでさえ声を上げざるを得なかった。
「前年比売上高、二千パーセントですって……!?」
尋常ではない伸び率だった。二千パーセントというのはつまり前年に比べて二十倍の売り上げを達成したと言うことになる。大規模な改装をしたわけでも、大きな宣伝をしたわけでもない店が達成できるような数字ではない。
「二百パーセントの間違いではないの?」
報告書をめくりながら担当の課長にそう尋ねる。
「いえ、我々も何度も確かめましたが正しい数字です」
もともとの数字が大したこと無いので売上高的には相変わらず全店舗の中で最下位だったが、それでもこの驚異的な躍進は一体どうしたことなのか。
「純利益もすごいですね。コストを徹底的に抑えられている」
「人件費がほとんどかかっていないのか……」
「原価率も非常にいい。何をどう工夫すればこんなに効率よく売上を伸ばせるのか」
各部長課長たちも口々にそう関心の声を上げる。
「この店舗の担当者は?」
「恐れながら、私の部下でございます。冒険者エリア部飲食課の主任で、ガゼットという男です」
「呼んできなさい」
「はい、ただいま」
そう言ってあわただしく出ていくと、数分後に一人の男を伴って戻ってくる。ガゼットという名の男はこの重大な会議の席に呼ばれたことに大層恐縮し、冷や汗をだらだらと流しながら口を開いた。
「お、お呼びでしょうか、部門長」
「貴方が担当しているカウマン料理店という店、売り上げが前年比二千パーセントを超えているわ。この一年間で何か変わったことがあったのかしら」
「はい、何やら、異世界人がやってきて働くようになったと聞き及んでおります」
「異世界人?」
エアノーラが目を吊り上げ、記憶を探った。
「そういえば以前、一度報告に来たことがあったわね。走りながら売っているとかなんとか」
彼女の驚異的な記憶力はたった一度の些細な報告を正確に覚えていた。
「はい。その後私の部下に注意に行かせ、以降その売り方はしなくなったようでして。半年前から空港の職員向けに弁当を売り出しているようです」
「なるほど。職員向けにね」
エアノーラは腕を組んで頷いた。
「あなた、今日中にこの店の半年間の月別売上報告書を私の所へ持ってくるように。下がっていいわ。ご苦労様」
「はいっ」
ガゼットは頭を下げて部屋から退出した。閉めた扉の先から、あわただしく走り去る足音が聞こえてくる。
「この店の事は置いておいて、話を先に進めましょう。次の報告をお願い」
「はい」
会議は粛々と進んでいく。午前いっぱいかけて各部の売上高を聞き、会議は一度昼の休憩を挟むこととなる。
エアノーラは書類をまとめて席を立つと、まっすぐに歩いて第一ターミナルへと向かう。件のカウマン料理店の視察だ。王都までの飛行船が就港するこのターミナルはエアノーラも毎日使っているが、この料理店の存在など頭の片隅にすら置かれていなかった。
ボロボロの壁紙は灰色がかっているし、ここだけ照明が薄暗い。けれどもそんな廃墟同然のような店構えにもかかわらず、店舗の前には複数の人が絶えず並び、何かを買っているようだった。並んでいるのは見慣れた制服を着た空港職員、あるいは作業服を着た船技師、それにあまり質の良くない装備品を身に着けた冒険者が数名。
「俺にコロッケサンド三つ!」
「俺にはローストビーフサンド二つ!」
「はい、コロッケサンド三つで千二百ギールです。後ろのお客様は八百ギールですね。ありがとうございます!」
扉の開いた店先で、そんな客を相手に明るく接客をしている少女がいた。慣れた手つきで着々と売りさばき、代金を手にしてお釣りと商品を渡しては笑顔で応対している。珍しい黒髪、おそらくこの娘が異世界人だろう。
「あ……エアノーラ部門長、お疲れ様です」
「お疲れ様」
一人の空港職員がエアノーラに気づきお辞儀をした。首に下げた職員証をちらりと見ると、商業部門の人間らしい。アーニャと書いてある。
「貴方達、ここへはよく来るのかしら」
「は、はい。美味しいし、値段が手ごろなので」
「そう」
部門長直々に話しかけられ、落ち着かないのかそそくさといなくなってしまった。一通り客がいなくなったのを見計らい、エアノーラが少女の前へ進み出る。
「おすすめは何かしら」
「はい、女性の方にはこちらの幕の内が人気です。いろいろなおかずが少しずつ入っていて、色んな味が楽しめますよ」
そう言って弁当箱の蓋を外せば、確かに小さな器の中に色とりどりのおかずが整然と詰まっている。
「じゃ、これを一つ頂けるかしら」
「はい、五百五十ギールになります」
エアノーラが代金を渡せば、少女はお弁当とカトラリーを手渡してきた。
「ありがとうございます!容器は本日中に当店まで返却をお願いします」
気持ちのいい笑顔でそう言われ、お辞儀をして見送られる。この店の売り上げを二十倍に伸ばしたというので、一体どんな辣腕を持つ人物かと思えば、ただの売り子をやっている小娘にしか見えない。本当にこの娘のおかげなのか怪しいものだ。陰に誰かがついているのだろうか?
一旦自席へと戻ると、ガゼットが早くもカウマン料理店の月別売上報告書をもってやって来た。平身低頭で差し出すそれを受け取ると、パラパラと眺めながらお弁当を食べる。
なるほど、見た目が美しいだけではなくどれも味がしっかりとしており美味しい。これで五百五十ギールならば売れないはずがないだろう。報告書を見ても、この半年間の売り上げにあまり変動は見られない。堅調に顧客を維持している証拠だ。
「けれど、駄目ね」
エアノーラは食べ終えた弁当の蓋をぱたりと閉じていった。
そう。料理がおいしく、職員を着実に顧客に取り込んでいる。売上高は前年比二千パーセントまで上げることができた。一見すれば素晴らしい成果だ。
けれど、それだけでは駄目なのだ。ここは世界最大のハブ空港エア・グランドゥール。利用客は富裕層に高ランクの冒険者。そんな場所に於いて、この店はーー存在する必要が無い。
そしておかげで素晴らしいアイディアを思いついた。
「退店を促し、跡地に停滞していた女王のレストランを入れる計画を進めましょう」
女王のレストラン。それは現在王都で大流行している店の名前だ。空港に呼び込むには話題十分の店で、誘致に成功すれば確実に客を呼び込むことができる。どこの立地に出店させるかが問題で、冒険者エリアにはニーズが合わず富裕層エリアに出すのはなぜか難色を示されていた。けれど、第一ターミナルならば良い。ここは文字通り世界各国に就航する飛行船と王都とをつなぐ玄関口で、様々な人が通る場所だ。
「早速話を進めなければね」
あのガゼットという男に、カウマン料理店の即刻退去を命じなければ。エアノーラは完璧に巻いた藍色の髪をなびかせ、颯爽とした足取りで午後の会議へと向かった。
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