二年目・冬編

第174話 潜入者

 イオネッタ・ドゥミタレスグは激怒していた。

 昨年には人魚と異世界人の密売を暴かれ、そして今度は貴重な魔物であるキマイラを捕縛された。

 それもこれも全てはエア・グランドゥールという空港のせいだ。

 たかが国の一交通機関が西方諸国で名を馳せている豪商・イオネッタの邪魔をそう何度もしていいはずがない。

 

 報復しなければ。


「ハウエル」


「はっ」


 グランドゥール王国でも随一の豪華さを誇る宿、夜明けの金盞花亭の一室にてイオネッタは一人の男を呼ぶ。その男は土気色の顔に何の表情も浮かべず、直立不動でイオネッタの前へと進んだ。


「入職の手はずを整えた。エア・グランドゥールの商業部門だ」


「かしこまりました」


 九十度のお辞儀を返すハウエルに向かって一つの小瓶を差し出す。


「あの場所には多くの飲食店が集っている。信頼を得てから各店にこれを差し出せ」


「これは……」


「先般退治されたバジリスクの血から調合された毒薬だ」


 イオネッタは金歯が目立つ歯をむき出しにしてニヤリと笑う。無色透明、無味無臭な毒薬。元来であればバジリスクの血には人族を即死させる能力を有しているが、これは極限まで薄めて作られているためそこまでの力は無い。

 遅効性のこの毒薬は半日かけて人体へと浸透し、ゆっくりとーー内部から破壊していく。強烈な吐き気に催され、発熱、脱力、激しい倦怠感。どんな屈強な人であろうが数日間は動けなくなる。

 それが客に提供されればどうなるか。


「何、商業部門が手に入れた新しい調味料という話にして店へと配ればいい。冬の間に信頼を勝ち取り、春の訪れとともに薬を撒く。お前は仕事が終われば国外逃亡、事件が起こる頃には雲の上という算段だ。我々の協力者には事前に知らせておき、該当日には空港の利用を避けてもらう」


 恐ろしい計画をハウエルは眉一つ動かさずに聞いている。そして再び「かしこまりました」と言うと、勤務開始日など細かい話を聞いてから部屋を退去する。

 イオネッタは満足して肘掛け椅子に身を預けた。

 仮面のハウエル。

 ある事件をきっかけに感情の一切を表に出さなくなったあの男は今回の計画にぴったりな人材だ。仕事は優秀で何でも小器用にこなすし、人と関わり合うことを避けるために余計な情報を漏洩する心配もない。

 何よりもーー計画実行後に躊躇わず切り捨てることが出来る。


 イオネッタはほくそ笑む。この自分のお気に入りを二度も奪ったかの空港を許すわけにはいかなかった。

 報復は静かに、かつ的確に。

 いくら頑強な警備網を持つ場所といえど一度内部に潜入してしまえば瓦解は容易いものだ。

 どんな組織であれ穴は必ずある。それが巨大であればあるほど、抜け穴というものは無数に存在している。

 裏社会で生きるイオネッタからすればそこを突くのは至極簡単で、部下一人を潜り込ませるなど朝飯前の芸当だ。


 世界に名だたる空港で連続毒薬事件が起こったとなれば大騒ぎになるだろう。一人勝ちしている大国の大動脈に、メスを入れる機会だ。


「さあ……ショータイムといこうではないか」


 座り心地のいい椅子から立ち上がると窓辺に歩いていく。

 眼下では、雪がちらつく王都の景色が広がっていた。

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