第175話 賄いのミートボール煮込み
「おはようございます! あーっ、寒かった!」
その日の勤務時間に合わせて店へとやって来たソラノは開口一番そう言った。
季節は、冬。
王都には寒風が吹きすさび、枯葉が石畳を賑わす季節となった。雪もちらほらと降るような時分にソラノは着ていたアイボリーのダッフルコートを脱ぎ捨ててくるくると小さく纏める。
王都の気温とは無縁の空港の中でも、店の中はとりわけ暖かい。ホカホカと湯気が出る鍋、熱々のフライパン、熱を発するオーブン。厨房は冬でも汗をかくほどの気温だ。
「今日の賄いは何でしょう」
「今日は煮込み料理だ。ミートボールの赤ワイン煮込み」
バッシがドスンと出してきたのは深皿に盛られたたっぷりのソースを被ったミートボールだった。ごろりと大きめのミートボールが三つ入り、ゼップ茸や玉ねぎまでも煮込まれている。上にはドラゴンパセリが散らされており、ハーブの香りと煮込んだ肉と
「頂きまーす」
厨房の隅に座って賄いを頬張れば、ミートボールからジュワッと肉汁が出て来る。ジューシーな味わいは噛めば噛むほどに肉の旨味が楽しめて、美味しい。
「そういえばフローラさん達にお出しする送別料理、決まりました?」
「いやぁ、中々決めきれなくてな」
賄いを食べながらソラノはバッシに話題を振った。
先日王家から使者がやって来て、いよいよフロランディーテとフィリスの二人がオルセント王国へと旅立つ日が迫っているという。ついては出立前にこの店で食事をしたいという申し入れがあったのでつつがなく受諾した。
しばしば食事をしに来ていた二人だったが、丁度デルイの両親がやって来た日に来店したのを最後に姿を現していない。他の客に存在を気づかれ、お忍びスタイルにかなり無理があったので仕方がないといえばそうなのだがソラノとしては少し寂しかった。
そんな折での来店予約だったので、皆一も二もなく頷いたというわけだ。
「とはいえ、下手なものは出せないからな。思い出に残るメニューにしたい」
「そうですねぇ。今まで出したお料理だけ……っていうのも味気ないですしね」
「デザートは温かいものにしようと思っててな。フォンダン・オ・ショコラなんてどうかと考えている。店でも出そうかと試作中だ」
「いいですねぇ。デザートは冷たいものが多いから、冬ならではって感じがしますね」
丸い小ぶりのショコラケーキの中からとろりと流れるフォンダン・オ・ショコラを想像してソラノは口の中が甘くなった。
「バッシさんのデザートは紅茶に合っていて美味しいって評判ですよ」
「おう、提供する飲み物に合わせて味を変えるものだと女王のレストランで菓子職人が言っていた。フルーツも添えよう」
そんなことを話していると、裏の扉がノックされる音がした。
「失礼します、商業部門の者ですが。前日の売上集計を頂きに参りました」
「はい……あれ、ガゼットさんじゃないんですね」
「新しく商業部門で働くことになりましたハウエルと申します」
裏口から入って来たのは土気色の顔に、少し薄くなった髪を七三にぴっちりと分け、顔から表情という表情を全て消した中年の痩せた男だった。
「あ、そうなんですか。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いいたします」
応対したソラノが頭をさげるとハウエルも同じくお辞儀を返す。
「はい、はい。お待たせ、売上票ね」
ぬっと出て来たマキロンが手にした売上票をひらひらと振りながら手渡す。ハウエルは「確かに受け取りました」と言うと丁寧に頭を下げ、来た時と同じように裏扉から去って行った。
「何だか愛想のない人だったねぇ」
「そうだなぁ」
マキロンの言葉にカウマンが同意した。確かににこりともしない人だったが、裏方で事務職をこなすのであればあのくらいでも問題ないのだろう。アーニャは喜怒哀楽が激しく、エアノーラに「いちいち感情を顔に出さないで」と叱られると言って泣いていた。
「じゃあま、アタシ達の仕事はこれで終わりだから上がらせてもらうよ」
「ついでにそこにある黒麦の袋倉庫に運んどいてくれないか」
シャムロック商会の人が運んでくれた袋を示してカウマンが言う。
「はいよぉーっと……!? ……あ”あ”っ!!??」
勢いをつけて黒麦の袋を持ち上げたその瞬間、マキロンが奇声を発し持ち上げた黒麦の袋が手から滑り落ちた。
そこからの光景はなぜか非常にゆっくりと展開された。
立ったままのマキロンがバランスを失い、後ろにひっくり返る。
それを支えるべくカウマンとバッシが作業を放り投げて駆け出し、両手ですくうようにマキロンの巨体を受け止める。
二人が放り出した包丁が宙を舞い、レオがそれを器用にキャッチする。
そしてソラノはーーなすすべもなく目の前で起こった非常事態を見つめていた。
「いっっったあぁぁあー!!」
昼下がりの客がいる店内に、マキロンの絶叫が木霊した。
+++
「ギックリ腰ですね」
カウマンとソラノの二人で店でぶっ倒れたマキロンを空港の救護室へとかつぎこむと、症状を見た回復師は冷静にそう言った。
「ギックリ腰ですか」
「ええ。患部を冷やしてしばらく安静にしていれば治ります」
「え、魔法でパパッと治せないんですか?」
あまりにも現代日本と酷似したギックリ腰の対処法にソラノが思わずそう問うと回復師の女性は眼鏡の奥から非常に渋い目線をよこして来た。何となくデルイを見るルドルフの目線と似ており、その視線の鋭さにひやっとする。
「何でも魔法で治るわけじゃないから……この場合、筋肉の炎症だから痛み止めでポーションを渡しておくので、それを飲んで大人しくしているのが一番早く治ります。お金をかければ上質なポーションでもう少し早く治せますけど。無理して動くとすぐに振り返しますよ」
「そうなんですか……」
傷の類を治すのとはまた別なのだろうか。ベッドで寝込むマキロンを見やると「寝てるから大丈夫さ」とあっけらかんと言っているが、額には冷や汗をダラダラとかいている。痛いのだろう、可哀想に……。
「少し休んでから俺が家へ連れて行くからソラノはもう店へ戻っておけ」
「はい。マキロンさん、お大事にしてください。ゆっくり休んでくださいね!」
「ああ、ごめんね……イタタ」
痛がるマキロンを励まし、ソラノは店へと戻る。
新年を祖国で迎えようと空港の利用客は冬の始まりと共に増加の一途をたどっており、店もなかなかに忙しい。正直ここでマキロンがいなくなるのは非常に痛手だった。
どうしようか。
頭を悩ませるのは、手っ取り早く誰か雇えばいいという問題ではないところだった。
何せ店にはフロランディーテ王女とフィリス王子がやってくる予定がある。国の王女と王子が来る店に適当な人間を雇うわけにはいかなかった。
「素性を調べて、ふさわしい人を雇う……? 時間かかるよねぇ」
今すぐ、今すぐにでも人手が欲しいのだ。これからどんどん空港のお客が増えるとルドルフもこの間店に来た時に言っていたことだし、夜営業の接客はレオとソラノの二人で何とかなっても午前から昼の営業まではまかなえない。
ウンウンと唸っても一人ではいい案は思い浮かばない。
あとで皆に相談しよう、と考えつつ店への道のりを急いだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます