第129話 ガレット・コンプレット
次の店休日は準備が万端だった。ちなみに最初にガレットを作ろうと考えた時からすでに二十日は経過している。何かをやろうと思い立ち、通常の仕事の合間に時間を見つけて縫うように作業をしていると時間の経過が早すぎる。
「つまり、専用の道具を使うことと生地を寝かせるのがポイントのようです」
「なるほど」
「いや、寝かせる事に気がつかなかったのは不覚だった」
カウマンが心底悔しそうな顔をしながら言う。
「パンで言うところの発酵だな。いやぁ、もっと早くに気づいていれば……」
「大丈夫です、気がついたのでこっちのものですよ!」
明るくソラノは言った。そう、料理を提供する前に気がつけばいいのだ。
そんなわけで前回の店休日に見つけ出した完璧な配合の生地を昨晩に作っておき、一晩寝かせたものを箱から取り出した。一応他にも数種類、配合を変えたものを用意している。寝かせた事で生地の質感が変わり、味が変わってしまっていては大変だからだ。またいい塩梅のものを見つけるにしても一晩を費やす羽目になり時間のロスも甚だしい。
「これを、このクレープパンで焼きます」
魔法石のコンロが四口あるのでクレープパンも四つ買って来た。使い方をマノンから教わったソラノがまず焼いてみる。
前回満場一致で決まった配合の薄茶色の生地の素。きっちりとおたま一杯ぶんを掬い、これを熱したクレープパンへと注いでいく。生地がパンへと流れたら素早くT字ヘラで均一に広げる。この時点でもう前回までとは違いを感じた。
生地が伸びやすく、広がりやすい。
じゅうじゅうときつね色に焼けていく生地。四人はその様を静かに見守った。
ヘラをグッと差し込んで、ひっくり返す。そのまま一分、そして出来上がった生地をそっと持ち上げお皿へと載せた。
「出来た……!」
渾身の出来栄えだった。
薄すぎず濃すぎない黒麦本来の色味が滲み出ている焼き色。持ち上げたら向こうが透けて見えるほどの薄さなのに、破れない絶妙な厚さの生地。
四等分にして皆で食べてみる。パリッとした食感に、サックサクの歯ごたえ。口の中に広がる黒麦の独特な味わい。
「うん、これだ」
食べてみて納得した。これこそがソラノが食べたこのとあるガレットにもっとも近しい味だった。自信を持って人に出せる味わいになっている。
「やったな」
レオが右の掌を差し出して来たので、ソラノはガレット生地を加えたままに掌を合わせる。パシーンといい音が響いた。
「あとはここに具材をのせて焼けば、ガレット・コンプレットの完成です」
「じゃあせっかくだからこのクレープパンで焼く練習をしよう」
「四つあるから捗るな」
「他の配合の生地も勿体ないから焼いちまえ」
ワイワイ言いながらも料理人二人と料理人見習い一人とただの接客担当一人がクレープパン片手にガレット生地の作成を始めた。新たな道具を手にした三人は楽しそうだった。
「寝かせたら生地が伸ばしやすくなったな」
「親父、生地の伸ばし方に繊細さが足りないんじゃないか。端が薄すぎる」
「俺どうよ」
「お、レオは意外にいいじゃねえか」
色々と言いながら生地を次々に焼いている。
「ガレット作りの進捗はどうさね?」
レオが店に来たことですっかり接客の前線から退いて経理面の人間へと落ち着いたマキロンが、庭先で洗濯物を干しながら尋ねてくる。
「やっと満足いくものが出来上がりそうです」
「それは良かった」
どっしりとした体型のマキロンが振り向き笑う様は、肝っ玉かあさんそのものだ。
料理人である二人はコツを掴むとすぐに安定した品質の生地を作れるようになった。綺麗な丸い薄焼きのガレット。
遅れてレオも及第点をもらう。クレープパンに乗せた生地をT字のヘラでならし、くるりと円を描いていく。その手つきは繊細だった。
「レオくんってさ、意外に器用だよね」
「まーな。弟はもっと器用なんだよ。薬草の扱いも丁寧だし」
じゅうじゅうといい香りをあげて焼けていくガレット生地をひっくり返し、焼ける様を見つめながらレオが話す。
「俺、冒険者でずっと命かけたやり取りばっかしてて、街で過ごすのなんてつまんねーって思ってだんだけどさ」
「うん」
「こういう何気ないんだけど毎日の中で一喜一憂できるってのいいな」
剣の代わりにヘラをくるりと回したレオがすっきりとしたいい笑顔で言ってくる。出会ったばかり、食い逃げしていた頃と比べると見違えるようだった。憑き物が落ちたようだとはこういう事を言うのだろう。
ソラノは自分が焼いているガレットをひっくり返しながら頷いた。
「私もそう思うよ」
生地作りが思いの外うまくいったので昼過ぎには具材をのせたガレットの作成に取り掛かる。
何度か試してみて、生地が片面焼けたらそこに具材をのせて焼けばいい、という結論に至った。
片面焼けて表面が乾いて来たら卵をそっと割り入れて、上からハムを両端に乗せて上に細かく削ったチーズをふんわりとかける。
そして隅を軽く折り曲げて、四角く折りたためば完成だ。
「完成だな」
「ああ」
カウマンとバッシが頷き合った。
マキロンの分も作って、五人で食卓について出来上がったばかりのガレットを食べることにした。
チーズを被り、半熟に焼けた目玉焼きにナイフをプスリと入れる。トロッと黄身があふれ出した。それをハムとカリッカリに焼けたガレット生地に絡めて、一口。
程よい塩気のある、外側はカリカリ、中心部に行くにつれてモチモチの程よい薄さのガレット生地。ふくよかな黒麦の味に包まれた、ハムとチーズと半熟卵のマリアージュ。
それは、小麦では決しで味わえない黒麦ならではの力強い味。
カリッ。
サクッ。
トロッ。
そしてビヨーンと伸びるまろやかなチーズ。
渾然一体と口の中で混じり合い、素晴らしいハーモニーを奏でている。
最高の出来だった。
「美味い」
「これなら確かに美味いな」
「あの黒麦がこんな料理に変わるなんてスゲェな」
「これなら何枚でも食べられるねぇ」
四人も一様に驚いているが、食べる手を止めると先ほどから黙って食べ進めているソラノを恐る恐るといった様子で見つめた。
「で、ソラノ的にはどうなんだ?このガレットの出来栄えは」
レオの問いかけに、ソラノは口に残ったガレットを飲み込み、弾ける笑顔で言う。
「完璧! これぞまさしく
四人のおぉーっという声と安堵のため息が漏れた。
「よっしゃ、これで店で殿下達にお出しできるな!」
「祝いに林檎酒を開けよう」
「バッシさんナイスアイデアだぜ。なんだかんだ飲めてないから楽しみだ」
「アタシも林檎酒飲んでみたかったんだよ」
すっかり祝宴モードへと突入し、ガレットを肴に林檎酒で乾杯をした。
ぐいっと飲むと、それは林檎の甘い味わいがする飲みやすいお酒。癖のある黒麦にぴったりのお酒だった。
「俺は決めたぞ」
カウマンが機嫌よく盃を空けながら話す。
「王女様達の思惑通りに事が運んだら、これをランチメニューとして提供しよう」
「おー、俺もこの料理だったら手伝える」
レオが賛同した。
「どのみち殿下達が召し上がるとなったら、また注目が集まるだろうしな」
「そういえばいつ頃お見えになるんでしょうね」
ソラノは顎に人差し指を当てて考える。特に連絡は来ていないが、また唐突に現れるのだろうか。店にあるメニューを提供するわけではなく、ガレット用に準備が色々とあるので事前に連絡が欲しいところだが。こちらから連絡しようにもどこに取次を願えばいいのか皆目見当がつかないし、五人で唸る。
「まあ、連絡を待つしかないだろう」
「そうですね」
バッシの言葉にソラノが頷く。
ガレットは、出来た。あとは王女達の連絡を待つばかりだ。
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グルメ小説コンテスト用に本作の番外編を投稿しました。
ぜひご覧ください。
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