第82話 サーモンのパピヨット
「サーモンの……パピヨン?」
「サーモンの
「ワカンねぇ……包み焼きって言っちゃダメなのか」
「そこはまぁ、雰囲気だよね。雰囲気って大事だと思う」
「うーん」
レオは料理を目の前にして納得のいかない顔をしている。納得しようがしまいがとにかくこの料理の名前はサーモンの
「じゃあ、カウンターにいるお客様に提供してみよう。私はテーブル席のお客様に運んでくるから」
「わかった」
ソラノは両手にできたばかりの料理を二つずつ、計四つ持ちテーブル席へと運んでいく。不慣れなレオをカウンターから出すわけにはいかないので、何かあっても多少のことなら目を瞑ってくれる常連さんへの提供を任せた。
「お待たせいたしました、サーモンの
テーブルに置かれた料理は紙の上に乗せられたまま。両端がキャンディーのように捻ってあり、真ん中が軽く開かれて色とりどりの野菜とサーモンが顔を覗かせていた。
下処理をして臭みを抜いたサーモンを内側に油をコーティングした特殊な紙の真ん中に置き塩胡椒をし、白ワインをふりかける。その上に玉ねぎと赤パプリカ、スライスレモンを乗せて、紙の包みをきっちりと閉じてオーブンで焼き上げる。
食材の旨みをぎゅっと紙の中に閉じ込め余すことなく堪能できる、包み焼きの完成だ。
「美味しそうね」
「ごゆっくりどうぞ」
一緒にワインを注いでからソラノは笑顔で去っていく。カウンター席ではデルイ、ヴィクトー、そして空港案内係<グランドスタッフ>のローズが同じ料理を食べていた。本日のおすすめは注文が入りやすい。ちなみにスカイは肉料理を食べていた。彼は肉派だ。魚を食べているところはほとんど見ない。
「ローズさん、お味いかがです?」
「最高ね! 苦労して仕事してきた甲斐があったわ」
ナイフで肉厚なサーモンの身を切り分ければ魚の脂がジュワッと溢れ出る。レモンの酸味と相まって爽やかな旨みを感じる一品だ。一口大に切り分けて口に入れるローズの所作は優雅そのものだった。
空港案内係<グランドスタッフ>のローズは第三ターミナルの案内業務に従事している。三十代半ばだという彼女はきっちりと後ろで結わえたブロンドの髪と赤い口紅がよく似合う大人の女性だった。胸元が大きく開いた私服は、同性のソラノであっても目のやり場に困ってしまう。隣に座るスカイがチラチラ見ていて、デルイにスパーンと頭を叩かれていた。
「いてっ!」
「失礼だろうが」
「うふふ」
そんなやりとりすらも笑ってやり過ごせるのは大人の余裕というやつだろうか。ソラノには真似できそうもない。
ローズはナイフとフォークをお皿に置き、悩ましげなため息をついた。
「あぁ〜もう、ソラノちゃん聞いてくれる?大変だったんだからぁ」
「はい、何でしょうか」
「妖樹とかいう魔物のせいでね、イレギュラー大発生だったのよ」
「妖樹ですか……」
「そ。聞いた?」
「はい。討伐されたと聞きました」
「そうなの。まあ討伐自体はすんなり終わったから良かったんだけどね、私の担当が第三ターミナルでしょお?お客様の誘導とか、他ターミナルとの連携が大変で」
空港の案内、というのは要するに飛行船に乗船する客の誘導を受け持つ職員だ。各ターミナルでチケットを確認して船へと促す。そしてもし出港時間になっても現れないお客がいたら空港中を走り回って探す。そういう人の大体は中央エリアでショッピングや食事を楽しんでいるので、そこを中心にとにかく探す。
人の目に最も触れる職業なので見目が美しい職員が揃っているが、やれ早く出港しろだの忘れ物をしたから取りに帰って次の便に乗らせろだの、あるいはまだ買い物が済んでないから出港時間を遅らせろだの無理難題をふっかけられることも多い。
ひどい時には、「ペットのフクロウが逃げたから一緒に探してくれ」と言われたこともある。
ーーー知らないわよ、自分で探しなさいよ!
そう言いたい気持ちを堪えて「かしこまりました」と言う。
そうした一切合切に対する怒りを腹の中に押し込め、笑顔で対応しなければいけないという気苦労の多い職種だった。
男性の花形職業が保安部だとすれば女性の花形職業はグランドスタッフだ。多様な言語の理解、素早い誘導、にこやかな案内。どれを取っても一流でなければならない。それ故に大変な労苦を強いられている、とはローズの言葉だった。
ローズはテーブル席に座る他のお客に聞こえないよう、グラスを置いてやや前のめりになり声を潜めて言葉を続けた。
「後から後から本来第三ターミナルで乗船する予定だったお客様がやってきて、「ターミナルが変わった話なんて聞いてない」って言ってくるのよ。中央エリアに掲示板があるんだから、それを見ろって話よね」
中央エリアには巨大な掲示板があり、そこには飛行船の着港、出港の情報が記載された札がかかっている。これは随時更新されているから、ここを見れば変更があった時にはすぐにわかるようになっている。
「他にもご丁寧に、アナウンスがかかっているじゃない?そういうの全然聞いてない人が多くって困っちゃうのよ。もうーっ」
ローズはカタカタとグラスを小刻みに揺らす。余程疲労と怒りが溜まっているらしい。
「お疲れ様です、大変ですね。そちらに座ってるヴィクトーさんも三日間帰っていないと言っていました」
「あら、三日も? それは大変ね」
「おお。お互い大変だなあ。ま、俺の隣に座っているこの二人が妖樹を討伐したらしいからこの人たちも大変だったんだな」
「俺は討伐したっていうか、先輩が切り開いた道の後ろをくっついて行っただけっていうか」
「なになに? どうやって討伐したのか詳しい話を聞かせてよ」
席順は奥からヴィクトー、デルイ、スカイ、ローズとなっている。ヴィクトーは自身の容姿のヨレヨレ具合を気にしてか店で一番目立たない隅っこに座っていた。
グラス片手にスカイに詰め寄り、討伐の話を聞き出しにかかるローズ。まんざらでもない様子でスカイは二度目の妖樹討伐の話を語り出していた。
「なんだか今日は職員達の疲労が凄そうだな」
厨房で巨大なフライパンを振るうバッシがそう話しかけてきた。
「妖樹っていうAランクレベルの魔物が出て大変だったらしいですよ」
「そうかぁ。そりゃ大変そうだな」
「大変なんてレベルじゃねーよ。おっさん達、ここで働いててなんで知らないんだ!?避難勧告とか出なかったのかよ」
レオの言葉にソラノとバッシは顔を見合わせて首を横にする。
「すげぇな、Aランクレベルならターミナル一つ封鎖すりゃすぐに対処できる事態ってことなのか・・・相当戦力の厚い場所なんだな」
「そういえばそうですね」
「普通の街なら被害は甚大だぞ。俺がこの間までいた西方諸国だったら百人死んでてもおかしくない」
レオが力を込めて言う。経験者が言うと重みが違う。
「うーん、確かにそうだな。よし」
レオの言葉に首をひねり、バッシが思いついたように何かを用意し始めた。
「空港の治安を日々維持する彼らに何かサービスで出そう」
「いいですね」
ささっと出来上がったのはカナッペだった。クラッカーの上にクリームチーズとトルメイ<トマト>をのせたものと、生ハムとパプリカがのせたものの二種類。
お皿にそれぞれ二つずつのせたそれを受け取ってレオと二人で提供した。
「みなさん、バッシさんからサービスのカナッペです」
「おっ、有難い」
「きゃあ、嬉しい」
「ついでにワインも一杯ずつサービスだ」
「バッシさん太っ腹だね」
「おっしゃ、実はもう一杯頼もうか迷ってたんすよ」
四人が喜色の声をあげ早速カナッペとワインを楽しみ出す。
ふとテーブル席に目を移せば、ワイングラスやお皿が空になっているお客様がいた。慌ててソラノはカウンターから出る。
接客しながらも、妖樹か、とソラノは思う。随分色々な部署が被害を被っているようだし、とすればおそらくもう一組疲れたお客さんがやって来るだろう。
常連の顔ぶれの中からそう思い起こし、来たらまずカナッペとワインをサービスしてあげよう、とソラノは思った。
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