第86話 <閑話>ねじり梅

 ソラノは人参の皮を真剣に剥いていた。人参に包丁を添え、少しだけ力を入れて刃を実に突き刺す。そのままするするするーっと皮だけを剥いていく。日本ではピーラー一辺倒だったがこの世界に来てから覚えた剥き方だった。


「……よし」


 螺旋状になった皮だけがシンクへと落ちていくのは見ていて気持ちがいい。


 ソラノが現在作っているのは肉じゃがだ。日本人なら誰しもが口にしたことがあるだろう料理はその実、奥が深い。具材、調味料、火の通し方。どれを取っても同じものはなく、まさしく家庭の味が出ると言っても過言ではないだろう。百人いれば百通りの肉じゃがが出来上がる。


 厚めの輪切りにした人参に五ヶ所切り込みを入れ、花の形になるようにする。中心に向かって切り込みを入れ、輪の外側は深く、中心は浅くなるよう気をつける。立体的になるように表面を削るように切り取る。  


「できた」


「すごいね。なんて花?」


「梅です。この飾り切りの名前はねじり梅」


「へえー、梅ね。初めて聞く」


「ここでは植えられていないんですね」


「うん、ソラノちゃんの故郷ではよく見る花なの?」


「はい。春先のまだ寒い時期に木に咲く花で、白とかピンクとかいろんな種類があって綺麗なんですよ」


 次々にできていく人参のねじり梅を長い指でつまんでデルイが聞いてくる。

 

 本日、店休日でソラノは休みで、デルイも仕事が休みだった。休みが重なることはそうそうない。そんなわけでデルイの家で夕食の支度をしているところだ。

 至極真面目な表情でねじり梅を作っていくソラノを興味深そうに見つめているデルイ。


「この飾り切りはカウマンさんたちの教えじゃないよね」


「違います。これは……義姉に教わりました」


 出汁の取り方、肉じゃがの作り方はカウマンとバッシに教わった。料理人である二人は和食好きのソラノのために様々な和食を作るようになり、当然肉じゃがも作れる。それをソラノは忠実に再現するのだが、飾り切りはカウマン達には教わっていない。


 義姉に教わった人参の飾り切り。それはソラノにとってちょっとした思い出だ。


+++


「この肉じゃがに入ってる人参可愛いですね。買ったんですか?」


「ううん、包丁で切ったのよ。ねじり梅って言うの」


「ねじり梅?」


「そ。空乃ちゃんも作ってみる?」


 兄と兄の嫁、つまるところ空乃の義姉に当たる人の晩餐会に呼ばれたのは空乃が十六歳の時。両家の家族を招いた晩餐会はとても人数が多く、空乃はキッチンに立つ二人の新婚の手伝いを買って出た。兄は次々にビールやジュースなど飲み物を運んで、姉は料理をたくさん作っていた。その一つが肉じゃがで、その中に入っていたのが人参の飾り切りだ。

 

 支度で忙しいにも関わらず、義姉は冷蔵庫から人参を取り出して切り方を教えてくれる。 


「こうやって人参を輪切りにしてね、花の形に切り込みを入れてから立体的になるよう切れ目を入れて削っていくの」


「へぇ、すごい」


 兄のことが大好きであった空乃としてはこの義姉と仲良くできるのか正直不安であった。はっきり言ってずっと自分と一緒にいた兄を横から掠め取った人、という印象が強かったからだ。

 誰とでも仲良くなれる空乃にとってこんな感情を抱くのはほとんど初めてに近く、自分でもどうすればいいのかよくわからなかった。わからないながら、こうして何となく会話をする。話せば人となりがわかるかもしれないと思ったからだ。そして兄にふさわしくないと思ったらはっきりと言ってやる。


「これ難しいです」


 見よう見まねで作ってみた初めての人参のねじり梅は全然花の形になっておらず、ボロボロだ。まるで地面に落ちて人に踏まれた後の梅の花のようだった。


「そうね。でも練習すればきっと出来るようになるわよ」


 そう優しく笑う義姉は大人っぽい。長い髪を一つに束ね、スッキリした顔周り。メイクはごくナチュラルでマスカラを塗ったまつげが長くて印象的だった。左薬指に嵌った指輪がチクリと空乃の心を苛<さいな>む。


「型抜き使っちゃダメなんですか?」


「んー。それだと立体的にならないでしょ?それに一手間かけるのも愛情だと思うの」


 そう言って輪切り人参を手にして、慣れた手つきで花の形にしていく。魔法のようだった。

 空乃はキッチンに並ぶ大皿料理を見る。ポテトサラダ、きんぴらごぼう、一晩下味をつけて寝かせてから揚げたという唐揚げ、豚の角煮、ブリ大根、小あじの南蛮漬け、そして肉じゃが。

 今時の料理なんて『すぐ出来る!時短レシピ』とか『レンジでチンして放っておくだけ!』みたいなのが多いのに、義姉の作ったものはどれも定番ながら手が込んでいて見栄えもいい。


「こんなに面倒なことしなくてもいいんじゃないですか?準備だって大変だし・・・デパ

地下でちょっと高い惣菜とかお刺身とか買ってくればいいのに」


「いいの、私料理が好きだから。それにダイ君も手伝ってくれるし。大切な人たちをおもてなしするんだから、腕によりをかけるのは当然のことよ」


 ダイ君というのは空乃の兄の大地<だいち>のことだろう。お兄ちゃんをそんな風に呼んでるんだ、ふーん、と空乃の中で不穏な感情が渦を巻く。新婚だから当たり前だがどうにも仲がいいらしい。


はな、これ運んでいいの?」


「うん、お願い」


 リビングから戻ってきた兄が義姉へと話しかける。そして空乃が作ったねじり梅を見つけた。


「お、空乃も作ってみたの?」


「下手くそで恥ずかしいから見ないで」


 自分の作った無様な梅をてのひらで覆い隠そうとするも、ひょいと先に取られてしまった。


「そんな事ないよ。こんな事出来る高校生いないって。空乃は頑張り屋だからもっと練習すれば上手に出来るよ」


 兄は顔を綻ばせて言った。


「そうかな」


「そうよ、私も教えるから空乃ちゃん一緒にがんばろ」

 

 義姉は兄によく似た優しい表情で笑う。

 空乃はまな板に並んだ梅の花を見つめた。おもてなしのために愛情を込め、心から料理を楽しむ義姉の作り上げたねじり梅は売り物のように美しかった。


+++


「ソラノちゃん、何考えてるの?」


「あ、ごめんなさい」


 デルイに目の前で手を振られてハッとした。思考の海に沈んでいた。

 

「義姉のことを思い出してました」


「そっか。どんな人なの?」


「そうですね」


 言われてソラノは考える。どんな人だったか。今ならこう言えるだろう。


「いい人でした」


 大好きな兄が選んだ人なのだから間違いない。結局のところいつまでも一緒にいるなんてできないことだし、兄がいい家庭を築くというのはとても良い事だ。


「教えてもらったねじり梅もこうして役に立っていますし」


「じゃ、俺もやってみよっかな」


 ひょいと人参と包丁を手にとって見よう見まねで皮を剥き、梅の形に切ってみせる。


「うーん、いまいち」


 出来上がったものを眺め、ソラノのものと比べながらデルイはそう口を尖らせる。

 確かに少しいびつだが、これは相当上手い部類に入る。ソラノは納得いくものを作るまでに一ヶ月ほどかかったし、その間は家で山のようにねじり梅の失敗作を作り上げては消費するという生活を繰り返していたのだ。


「初めてにしてはすごい上手ですよ。あと二、三回練習したら追いつかれそう……」


「そう?じゃああと三個作ろう」


「えーっ、追いつかれちゃったら私の立場がありませんよ!? ここまで完成させるのにどんだけ苦労したと思ってるんですか」


「いいからいいから」


 そう言いながら次を作るべく人参を輪切りにしていく。


「一緒に作った方が楽しいじゃん」


 鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気でそう言われれば何も言い返せなくなる。

 確かに一緒に作る方が楽しい。


「出来た」


「やっぱり追いつかれた、デルイさんって器用ですね」


 ボウルに入れられた梅の花はもはや見分けがつかないレベルになっていた。


「まあね。でもどうしてここまでするの?家で食べるだけなんだから普通の人参でも俺は構わないよ」


 出来上がったねじり梅を鍋に入れようとするとデルイがそんなことを聞いてきた。


「一手間かけた方が美味しくなるって、教わったんです」


 ソラノは玉ねぎを手に取りながら返事をする。


「次は何するの?」


「玉ねぎをくし切りにします。それからジャガイモ切って豚バラと一緒に煮込む」


「それで完成かな」


「まだまだですよー。さやいんげんも別で茹でますし、煮物は一度冷ました方が味が染み込むから、火が通った後は一時間くらい待ちましょう!」


「本当に結構手間がかかるんだね」


「その手間が大事なんです」


 時間があるときは手間をかけたい。その分料理に想いが込められ、食べた時に一層美味しく感じる気がした。それはお店の料理も家で作る料理も同じだ。


「デルイさんには美味しいものを食べて欲しい」


「ソラノちゃんと一緒に食べれば何でも美味しいよ」


「そういうのも大事ですね。じゃ、こういうのはどうですか?」


 ソラノは玉ねぎの皮を剥きながら会話を続ける。


「二人で手間暇かけて作った料理を一緒に食べる」


「最高だね」


 デルイは破顔して答えた。この、二人でいるときに見せる彼のリラックスした顔がソラノは好きだった。何の打算もなく心から笑っているのがわかる。

 

 トントントン、とリズミカルな包丁の音が部屋に響く。

 二人で並んで他愛もない会話をしながら肉じゃがを作る時間はたまらなく幸せだった。

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