お店の日常編

第63話 オムレツ/貴族の親子

「間も無く当飛行船はエア・グランドゥール空港の第三ターミナルに着港します。ご乗船いただきありがとうございました」


 飛行船が滑るように音もなく空港へとその巨大な船体を寄せる。豪華なエントランスからゲートが接続し、扉が開けば空港へと人々が続々と降りていく。


「あーっ、やっと帰ってきたなあ!」


 シルクハットに燕尾服の中年男性が、伸びをしながら言った。少し前に出っ張ったお腹でワイシャツのボタンがはち切れそうだ。


「旅行も良かったけれど、王国が一番ね」


 旅行用のパニエがあまり膨らんでいないドレスを着た夫人が、ホッとした様に言う。


「しかし飛行船は長旅だな。三日は乗っていた」

 

「快適といえば快適だけれど、やっぱりずっと乗っていると飽き飽きしてしまうわね」

 

「ねえ、お母様、お腹が空いた」

 

 七歳ほどの男の子が夫人を見上げ、言った。繋がれた手をブンブン振っている。


「んー、そうねえ」


 護衛と使用人を複数名引き連れたこの家族は、中流の貴族家庭だ。由緒はあるが大貴族というほどではなく、こうして旅行に出るのは年に一度、あるかないかだ。


「空港で予約しているお店はないし、この後王都まで降りて、馬車で家に帰るまで我慢して頂戴」


「えーっ、無理だよ!」


 時刻は午後の四時。中途半端な時間であるからして、店の予約などとっていない。空港内の富裕層向けのレストランは軒並み予約制なので、こういう時困ってしまう。

 男の子は第三ターミナルの端っこまで歩き、そこでしゃがみこんでしまった。


「もう無理、歩けない」


「まあまあ」


 夫人が困った声を上げる。お腹が出ている夫の方もため息をついた。


「だから船内でアフタヌーンティーも頼んでおいたほうがいいとあれほど言ったんだ」


「あら、すぐに下船だから必要ないって、あなたも最後には納得していたじゃありませんか」


 揉める三人を見かねて使用人の一人が、「あの、坊っちゃまは私がおんぶしましょう」と申し出る。ひとまずおんぶをされた男の子は、使用人の背中でブーブー言いながら運ばれて行った。機嫌をとるため、使用人が背中越しに話しかける。


「馬車の中で軽食を用意させましょう」


「無理、だってもう一回飛行船乗るんでしょ?我慢できないよ」


 長旅の疲れが出ているのか、男の子はわがままを言いたい放題だった。そして第一ターミナルまで一団が歩いて行った時、ふと端っこに異彩を放つ建物を見つけた。


「あら、あんな店あったかしら」


 夫人が目を留め、言う。ガラス張りの壁から店内の照明が漏れ出てあたりがオレンジ色に優しく光っている。


「店の類は中央エリアに集まっていると思ったんだがなあ」


 夫の方もまじまじとその店を見つめる。人が出入りしているが、冒険者も貴族もない交ぜになっている様だった。


「店の壁に……料理の絵が描いてあるぞ」


 思わず近寄ってみる。壁にはセンス良く様々な料理の絵が描いてあった。


「メニューみたいだな。ローストビーフとグリーンのサラダ、ロブスターのグリエ ソース仕立て、ひき肉のパイ包み焼き」


「僕、花畑の巣篭もりツィギーラのオムレツがいい!」


 使用人の背中から男の子が元気よく叫ぶ。


「食べるまで絶対、帰らない!」


「まあ、じゃあ入ってみようかしら、あなた?」


「そうだな」


「わーい!」


 息子の機嫌が直るのならばなんでもいい、と言わんばかりに二人は店内へ足を踏み入れる。使用人と護衛は第一ターミナルの待合所で待機だ。男の子は使用人の背中からするりと降りて、父と母の間に挟まれて店へ入った。


「いらっしゃいませ。三名様ですか?」


 入店にすぐに気がついた、モスグリーンのワンピースを来た給仕係が近寄って来て丁寧なお辞儀をする。


「ああ」


「ではこちらへどうぞ」


 空いているテーブル席へと通された。椅子を引き、座る様に促される。


「お客様、クッションを使いますか?」

 

 男の子の身長を見て、給仕係は提案をして来た。


「お願いしますわ」


「かしこまりました」


 夫人の返答にさっと息子の椅子にクッションを敷き、にこりと微笑む。


「メニュー表です。お決まりになりましたらお声掛けください」


 小さな店にしては気が利いているなと夫の方が思った。さすがエア・グランドゥールへ出店しているだけある。


「じゃ、僕オムレツね。あとシルベッサのジュース」


「せっかくですからわたくし達も何か頼みませんこと?」


「じゃあ、ワインとパテ、バゲットでも頂こうか」


「随分と詩的な名前のパテですのね」


 メニュー表には王都の秋 三層に分かれたパテ と書かれている。一体どの様なパテなのか。

 夫が目線で合図すると給仕係はすぐに気がつきやって来た。メニュー名を告げるとお待ちください、と言い去っていく。

 

「小ぢんまりしているけれど、随分小洒落たお店だこと」


 夫人は天井を眺める。通常の倍の高さはある天井からつりさがる照明は、間接的な明かりを店内へ投げかけている。ダークブラウンを基調にモスグリーンがポイントで使われている店は、空港内や王都に数多ある高価なレストランとは異なり暖かみがある作りだった。


「お待たせいたしました。お先にお飲み物とパテ、バゲットです」


 給仕係がまず息子の前にジュースを置いた。シルベッサのくし切りがグラスのふちに飾ってある。飲みやすい様ストローが短く切られている。続いてグラスを音も無く置き、ワインを注ぐ。

 置かれたパテを見て、あっと声が出た。


「綺麗なパテ……!」


 見事な三層に分かれている。


「上からひき肉、野菜、木の実の順に具が詰まっています。ゆっくりご賞味ください。オムレツは今調理しています、すぐお持ちいたします」


 息子が少し不満顔になったのを見たのか、愛想のいい笑みを浮かべながら給仕係が言った。そうしてすぐにオムレツを持ってくる。


「大変お待たせいたしました。花畑の巣篭もりツィギーラのオムレツです」


 息子の前に置かれたオムレツは、これまでのオムレツの常識を覆すものだった。真ん中に乗った黄色いふんわりとしたオムレツ。そしてそれを囲うようにグリーンリーフや色とりどりの温野菜が所狭しと乗っている。温野菜は花の形に切られているという芸の細かさだ。上にかかったオレンジ色のドレッシングがまたいい色のアクセントになっている。


「わ、すごーい!美味しそう」

 

 そう言う息子はスプーンですくって真ん中のオムレツを食べ始める。


「美味しいよ、卵がフワフワで甘い!」


 次に野菜に手を伸ばした。顔がパッと明るくなる。


「うん、野菜も美味しい」


「まあ、この子がこんなに美味しそうにお野菜を食べるなんて」


 夫人は感動したように言う。息子は偏食で野菜はあまり食べないのだが、ここのものはお気に召したらしい。次々に口の中に放り込んでいる。


「パテもワインによく合う味わいだな」


「本当に。見た目だけじゃないのね」


 夫婦は上品にパテとバゲットをかじって、ワインを一口。ゆっくり味わっている間に、息子の方はオムレツを完食してジュースを飲み干してしまっていた。くし切りのシルベッサまで食べてしまっている。


「ごちそうさま!美味しかったー」


「あらあら。本当にお腹が空いていたのね」


 二人がワインを飲み干すと給仕係がすかさずやってきた。会計金額を告げ、ぴったり金額を受け取るとお辞儀をする。気持ちのいい笑顔だった。


「ありがとうございました。またお越しくださいませ」


「たまにはこういう店もいいものですね。若い頃あなたとお忍びでデートした頃を思い出しますわ」


「お母様、またあのオムレツ食べたい」


「料理長に作らせようか」


 息子はすっかりご機嫌だ。最後の最後にいい旅の思い出ができた、と三人は微笑んだ。


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