第209話 青天の霹靂亭①
「っはぁーーーーー!! 幸せっ!!」
クララ・リントは叫んだ。三十五年間生きてきた中で最も充足感に溢れ、心の底から満たされていた。
「こんなに幸せでいいのかしら、私っ! 幸せすぎて逆に怖いわ!」
バッシ・カローヴァのご両親は非常にいいご夫妻であった。クララのことを戸惑いつつも歓迎してくれ、二人の結婚をあたたかく受け入れてくれた。非常に嬉しい限りである。同居しているソラノという女の子が淹れてくれた紅茶も美味しかった。
ビストロ店は家族経営しているらしく、ゆくゆくは私もそこに加わるのだわ……! と思うと胸が高鳴る。
それにバッシだ。紳士的なエスコートに、まさかの人気レストランの元サブチーフ。あの女王のレストランで結婚披露パーティが開けるなど、全女子の憧れだ。まさかこんな幸運が自分に降りかかるなんて……私もうすぐ死ぬのかしら。
「あぁ、クララさん結婚決まったんだって? おめでとう!」
「おめでとうクララさん! でもクララさんがいなくなると思うと寂しいわ」
「そうよ、クララさんがいなかったら、誰がこのお店の給仕を取り仕切るの!?」
「クララちゃんがいてこその青天の霹靂亭なのになぁ」
店の皆が惜しみつつも祝福を送ってくれる。すると店でひときわ声も体も大きい筋肉質な男がジョッキを磨いていた手を止め、眉を吊り上げた。
「何言ってんのよぉ、皆! こういう時は祝福してあげるのよっ。ホラホラ、おめでとうの拍手よ!」
青天の霹靂亭の店主は大柄でオネエ言葉の中年男である。その昔、王都の冒険者ギルド本部付近で営業していた酒場の副店長であったという彼は、酔っ払い客をフライパンで殴って黙らせ、店内で喧嘩を始めようとする客に肉切り包丁を突きつけて黙らせ、店の給仕の女の子にちょっかいをかけようとする客にエールの大樽を投げつけて黙らせたという伝説の持ち主だ。
その無骨な見た目にそぐわぬ口調と店内でのいざこざを許さない断固とした態度、そして意外にも経営手腕のあった彼はこうしてエア・グランドゥールの支店を任されるまでに至ったというわけだ。
そんな店長の呼びかけに、早くもクララが寿退社した後のことを考えてクララロスに陥っていた皆が「そうね!」「おめでとう、クララさん!」と気持ちを切り替えて拍手を送る。
クララはそれに元気よく答えた。
「ありがとう、皆っ!! 私、幸せになりまーす!!」
クララは満面の笑みを浮かべてエプロンを締め、本日の仕事に取り掛かる。
時刻はすでに午後十一時。夜もとっぷりと暮れた時間だが酒場にとってはゴールデンタイム。酔いが回った冒険者たちが飲めや歌えやの大騒ぎを繰り広げる時間帯だ。
「さっ、今日もがんばるわよぉーっ!!」
幸せ絶頂のクララはいつも以上に気合を入れ、本日も大量の料理を運ぶべく腕まくりをして気合を入れた。
+++
時刻は午後十一時。
ビストロ ヴェスティビュールは閉店の時間だ。
店の清掃を終えたソラノはさあ夜の賄いを食べようかな、と厨房の方を見る。するとそこでは、すでにエプロンを外して帰り支度を始めたバッシとレオの姿があった。
「あれ? 帰るんですか? 賄いは?」
「おう、それがだな、バッシさんが行きてーところがあるんだと」
レオが上着を手に持ち、バッシを振り返ると神妙な面持ちで頷くバッシが見えた。
「どこへ行くんですか?」
「クララさんが働く酒場だ」
「えっ!?」
びっくりしたソラノが二度聞すると、バッシは決意を固めた表情で言う。
「ソラノ、俺は思うんだ。クララさんのようなか弱く、儚げで、おしとやかな女性が冒険者エリアの酒場なんぞで働いていて大丈夫なのかと。俺は心配なんだ……もし彼女が野蛮な冒険者に暴力的な言葉をぶつけられていたらと思うと、夜も眠れない! だから俺は、こっそりと様子を見に行くことにした」
「でも、私たちだけでそんな酒場に行ったら浮きませんか? 何を注文すればいいのかすらわかりませんし」
「大丈夫だ、そのためにレオがいる」
言ってバッシが力強くレオの背中を叩く。
「おう、任せておけ。いやぁ、酒場は久々だな! しかもバッシさんが奢ってくれんだって。行くしかないだろ、なっ、ソラノ?」
「え……でも、どの店かわからないんじゃ」
「青天の霹靂亭だとクララさんが言っていた」
言っちゃったんだぁ、とソラノは思った。まあバッシが来るとは夢にも思ってないんだろう。鼻息も荒くバッシは手のひらに拳を打ち付け、力強く宣言する。
「俺は彼女を一生守ると決めた! 酒場で彼女がどう扱われているのか確認する義務がある!」
いや、クララさんは『強肩のクララ』と言うプロ野球選手顔負けの二つ名がつけられているから大丈夫ですよ、とは口が裂けても言えない。そもそもこの世界にプロ野球がないから、言っても意味をわかってもらえない。
どうしよう、とソラノがアワアワしているうちに二人はさっさと片付けを済ませ、そしてソラノを振り返る。
「何やってんだ? 早く行くぞ」
「クララさんを守るため、俺に協力してくれ!」
ソラノが何を言っても暴走し続けるバッシは止まらないだろう。もうどうにでもなれ、と言う気持ちでソラノは「わかりました、ちょっと待ってください!」と言って帰り支度を始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます