第57話 改装工事②

怪しいセリフを吐いたソラノに、画材道具一式を持ってホイホイ付いて来たこのメガネをかけた猫耳族の女の子の名前はジルというらしい。さすがに説明なしに連れて行くのは無理があったため、あらましだけは伝えてあった。改装する店前に飾る看板メニューの絵を描いて欲しいと言ったら、目をキラキラさせて商売道具をたたみ付いてくる用意をしてくれた。

 ジルはボサボサの頭から猫耳がピョコと生え、メガネをかけて、あちこち絵の具がついたエプロンと服を着ている。まんま美術学校に通う学生のような見た目だが年齢は二十歳を超えているらしくソラノより年上だった。画家として認められるべくストリートで絵を描いてはあの市場で売っているらしいのだが、なかなか上手くいっていないらしい。上手い下手はともかくとしてそもそも描いている絵がニッチすぎてニーズがなかったのだろう。大体の人はもっとダイナミックな絵を好んで買って行くという話だった。


「描く料理って、どんな料理なんですか?」


 ジルが大きな鞄を持って付いて来ながら質問する。半分持とうかとマキロンと二人で提案したのだが、大切な商売道具だからと断られてしまった。


「フレンチですよ。ビストロのお店なんです」


 ソラノが気軽に答えた。


「ビストロ……! 全然馴染みがありませんが、なんだか高級そうですね。私なんて毎日かつお節をかけたご飯しか食べていないです」


「すっごいイメージにぴったりなものを食べていますね」


 苦学生っぽい見た目にぴったりな食生活だった。


「着いたよ。お入り」


「お、お邪魔しまーす」


 家の中に入ると、いい匂いがした。これは鶏肉を焼く匂いだ。


「ただいま戻りました。画家さん連れて来ましたー」


「さすが仕事が早いな」


 並び立つジルを見て、カウマンとバッシがニカッと笑いかける。濃い牛人族の顔面に多少面食らいつつもジルがお辞儀をして、自己紹介をした。


「画家のジルです。お料理の絵を描かせていただけると聞いて来ました。よろしくお願いします」


「よろしくな。俺はカウマンで、こっちは倅のバッシだ」


「じゃ、ひとまず描いてもらおうか」


 そうして提供した料理はソラノの予想通りに鶏肉の料理だった。


「チキンの香草パン粉焼き 粒マスタードを添えて」


 カリッと焼きあがった表面にマスタード、パセリの入ったパン粉をまぶし再びオーブンで焼き上げる。ソースを引いた皿に盛り付けて周りにはカットした小型の玉ねぎを花びらのように散らした一品だ。


「すごっ、これがお料理……!? これはもう芸術品ですよ!」


 ジルが感動したように言う。


「描き終わったら温め直すから食べでいいぞ」


 バッシの言葉にジルは再び目を輝かせた。そしてキャンバスを取り出し、画材道具を広げる。集中して描くこと二時間といったところだろうか。出来上がった絵は本物にそっくりで、けれど暖かみのある絵に出来上がっていた。


「こんな感じでいかがでしょう」


 ジルが絵を見せながら尋ねてくる。


「いい感じだな」


「さすが嬢ちゃんが探して来た画家だな」


「おお……ありがとうございます。私、初めて認められました」


 だいぶ苦労していたらしいジルは、涙目でそう答える。


「スペースに限りがあるから、描いてもらう料理は十種類くらいになるな。厚紙に描いてもらってそれを店に持っていって貼る形になる。紙の素材は施工してくれる業者にも相談したほうがいいな」


「じゃ、お店に行って聞いてみましょう」


「その前に皆んなでこの料理食べていけや」


 バッシが人数分のチキンの香草パン粉焼きとバゲットを用意してくれた。温め直し湯気が立ち上る肉をナイフとフォークで切り分けて口に入れれば、マスタードのピリッとした辛味と肉の脂身が程よくマッチして口の中でジュワッと弾ける。端的に言ってめちゃくちゃ美味しい。


「私、こんなに美味しい料理初めて食べました……!」


 ジルが滂沱の涙を流しながら言った。その気持ちはソラノにもとてもわかる。最近視察でいいものを散々食べたが、この二人の料理に敵うものなどない。ソラノはジルの言葉に同意した。


「カウマンさんとバッシさんの料理は世界一です」


+++


 空港へ行き、工事中のドワーフを捕まえて壁に貼る紙の素材を確認する。貼った時にヨレにくくシワにならず、破れず、剥がれにくいような素材で、かつ店のテイストに合うような色合いのものにしないといけない。エルフデザイナーさんに同行してもらったらいいんじゃない?という話になって、連絡をつけてもらった。

 相手の予定に合わせて日にちを決め、ジルとソラノ、デザイナーの三人で出かけることとする。シックな店の外観に合うような重厚感のある深いブラウンの紙を選び、それをカウマン宅に運んで庭に広げて描くことになった。

 庭の雑草が伸び放題なので、これを駆除しなきゃならないという大変な労働から始まった。ジルは「どうせ暇なので」と言って草むしりから手伝ってくれた。労働は報酬に上乗せだ。


「火の魔法で焼き尽くしちゃったらダメなんですか?」


 一時間くらい地道にむしったところでソラノが立ち上がり、泥だらけの手をパンパンと叩きながら言った。やってもやっても終わらない作業に若干苛立っていた。


「制御が効かなくなって家にまで燃え移ったら困るからねえ。街中でそういう魔法を使うのは基本的にダメさね」


 マキロンが腰を叩きながら立ち上がり、言う。何でもかんでも魔法で解決するわけではないらしい。というか、ソラノが魔法の恩恵に預かっていることの方が少ない気がする。一般魔法は使えるようになったが、やはり魔物と戦ったりする人じゃないとそれほど魔法を使わないものなのか。それともソラノが興味を抱いてないだけなのか。おそらく両方なのだろう。

 そんなわけで庭の草むしりで一日の半分を潰した後に、ようやくシートと紙を広げ、せっせとカウマンとバッシが作っていた料理を庭先に並べる。みんなでどの料理をどこに描けばいいのかあれやこれや考えて、配置して、そしてやっと絵に着手した。


 描くのは一日で終わらないため、初日以外は毎日一品ずつ作り、描くことになる。ジルは真剣そのもので、ソラノたちは邪魔しないよう自分たちの仕事を進めることにした。


 一ヶ月あってもやることは山積みだ。カウマンとバッシはワイングラスについて議論している。ワイングラスにも色々と種類があるらしく、提供するワインによって使い分けるのが普通らしい。


「ワインの味わいはグラスによって変わるからな」


「赤ワイン、白ワイン、それからシャンパーニュ用の五種類だっけか?」


「うーん。頑張って覚えないと」


 並んだグラスを眺めながらソラノも会話に入っていく。マナーは一通り叩き込まれたが、提供する側の話となるとまた別だ。ワインの世界も奥が深い。そこまでこだわってやるのも考えものだが、こだわりがないもの良くない。何せ舌が肥えた人々に提供するのだから、適当に済ませればいいってもんではないのだ。


「まあ、お嬢さんなら開店前に覚えちまうとは思うが、もしわかんなくなったら聞いてくれ」


「はい」


「ソラノちゃんよりアタシの方がやばいよ……この歳になってこんなに覚えることを詰め込むなんてあんたは鬼息子だね」


 バッシの披露してくれた知識を書いたメモを眺めながら、げっそりした様子でマキロンが言った。


「母さんも頑張ってくれ。余裕ができたらバイトを雇おう」


「早いとこ頼むよ」


 営業時間は十時から二十二時だが、四人全員でこの時間ずっと張り付いているわけではない。カウマンとマキロンが午前、バッシとソラノが午後を担当する予定だ。そうすれば朝は以前よりも開店時間が遅くなるものの職員向けのお弁当を売り出せるし、午後は店内の客に注力できる。

 ジルを入れての五人で連日カウマン宅に居座り、店の準備を慌ただしく進めていく。途中から、ジルが帰るのが面倒になったと言い出したのでソラノの部屋に寝泊まりすることになった。これはこれで合宿みたいで楽しかった。バッシは中心街で借りていたアパートをとうに引き払っていたため、カウマン宅は人が大勢いていつも賑やかだ。施工業者も頻繁に出入りする。


 そして、そろそろ夕飯にしようと言う頃合い、予期せぬ来訪者がやって来た。

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