第148話 修羅場

 唐突なソラノの登場によって場の緊張感は最高潮に達した。

 いや、ここはソラノの勤める店で、彼女は勤務の真っ最中だ。システィーナはよく通る声で騒いでいたのでソラノの耳に全ての話は入っていただろうし、それが自分に関わりのある話なのだから闖入ちんにゅう自体はおかしな事では無い。

 しかし実際こうして話に入ってこられるとデルイとしては対処に困った。ソラノの表情は少しムッとしているようではあるものの、敵意がむき出しになっている訳ではなさそうだ。

 百戦錬磨の彼をしても事態がどう動くのかわからない。隣にいるルドルフなど、とうの昔に傍観を決め込んでいて一言も発していない。黙々と己の前にある料理を食べ進めている。


 恋人本人の登場に一番驚いたのはシスティーナだろう。口を開け、幻でも見るかのようにソラノを見つめている。


「ソラノちゃん」


 たまらずにデルイが話しかけると、ソラノが目線のみで合図を送って来る。その意志の強い黒い瞳は「大丈夫です」と語っていた。

 動かないシスティーナへとソラノは追撃の一手を放った。


「それで、ご注文はいかがしますか?」


「えっ」


「ご注文です。本日のおすすめはコーンスープ、炒り豆とかぼちゃのサラダ、サーモンのバジル風味に鶏モモ肉とマッシュルームのフリカッセです。秋を意識したメニューとなっていますよ」


 あまりにも予想外なソラノのセリフにシスティーナが再び硬直した。

 デルイの恋人だと名乗っておいて、直後に注文を聞くというスタイルは全く理解し難いだろう。デルイにとっても想定外の言動だ。

 ソラノはそんなシスティーナを知ってか知らずか、果実水の提供までやってのけた。喧嘩を売っておいてあくまでお客様扱いをするという相反する行動をしている。いつもよりもやや表情が硬く声色もこわばっているが、それでも店員としての姿勢を崩そうとしていない。

 システィーナは我を取り戻したのか、ハッとした様子で腰に手を当ててその大きな青い瞳を見開きソラノを不躾に眺め回す。


「貴女が? デルイさんの恋人?」


「そうですよ」


「ご冗談ではなくて?」


「冗談ではありません」


 もはや店中の視線がこの二人に集まっている。固唾を飲んで客が、あるいは店員であるバッシとレオが見守る中、ソラノとシスティーナは視線を交わして立っていた。まるで時が止まったかのようだ。

 デルイはどうしようもなくなり、その場で二人のやりとりを見守る。


「ふっ」


 極度の緊張状態の中、システィーナが肩を震わせて笑い出す。笑い声はやがて大きくなり、高笑いと呼べるまでになった。場が凍りつく中でソラノは表情ひとつ動かさずにシスティーナを見つめている。

 やがて笑いを収めたシスティーナは、まなじりに浮かんだ涙を指でぬぐいながら言葉を続けた。


「ごめんなさい、あまりにも貧相な方が出ていらしたものだから、つい」

 

 そして余裕綽々しゃくしゃくな表情を浮かべてソラノに向かって人差し指を突きつける。


「凡庸な見た目に、スライムの如き体内魔素の微弱さ。おまけにこんな小さな店の給仕係である貴女がデルイさんにふさわしいわけがないでしょう。身の程を知りなさい」


「ふさわしいかどうかはデルイさんが決める事だと思いますよ」


「貴女、階級社会のことを何もわかっていらっしゃらないのね。いい?貴族というのは婚姻による結びつきを大切にするのよ。身分、力、財力。そのどれをとっても私に劣る貴女が、デルイさんの隣に並び立てるわけがないでしょう。私がキャビアだとしたら、貴女はさしずめ貧乏人のキャビアキャビア・ド・オーベルジーヌーー名前だけ高そうで、中身は本物とは似ても似つかない偽物よ」


 痛烈な皮肉を受けたソラノは眉をピクリと動かし、はったとシスティーナを見つめた。


「キャビア・ド・オーベルジーヌは美味しいです。食べたことありますか?」


「無いに決まっているでしょう、そんな貧乏くさい名前の料理」


「ではお作りしましょうか?」


「要らないわよ!」


 システィーナはカウンターをバンと叩いて絶叫した。


「私を馬鹿にしているの? 食事をしに来たわけではないの!」


「お食事はされないのでしょうか」


 システィーナの言葉をソラノが反芻はんすうする。感情任せに言葉を発し続けているシスティーナとは違い、ソラノはあくまでも冷静だった。普段かなり行動的なソラノだが、論破したい相手がいる時には冷静になるのはエアノーラの時に証明済みだ。

 分が悪くなれば口を挟もうと思っていたデルイだったが、何もせずとも決着がつきそうだった。

 相手が悪すぎた。年下のシスティーナにソラノが言い負けるはずがない。


「しないわ」


「では」


 笑顔を浮かべながら、ソラノがとどめの一言を放った。


「申し訳ありませんが、他にお待ちのお客様がいらっしゃるので……お席を譲っていただけますでしょうか」


 デルイが振り向くと、なんともタイミングよく店前にはワクワクした顔のアーニャが立っていた。

 システィーナは言い返す言葉を失ったように口を開き、閉じ、そして先ほどとは別の感情でまなじりに涙を浮かべた。


「ーー貴女が何と言いましても、縁談はもう決まった事なんですから! 私とデルイさんの結婚は揺るぎない未来なんですからね!」


 凄まじい捨て台詞を吐いてシスティーナは店から去って行く。まるで嵐のようだった。

 デルイは息をつく。結局あの押しかけお嬢様はソラノによって撃退されてしまった。


「お食事中、お騒がせをして申し訳ありません」


 ソラノはカウンターから出て店内の客に頭を下げて周り、サービスで一杯ずつワインを注いで回っている。彼女のメンタルは一体どうなっているんだとデルイは驚嘆した。

 普通、あそこまで堂々と喧嘩を売られて仕事に従事できるものなのだろうか。よく見ると笑顔がいつもよりぎこちないから、気にしてはいるのだろうがそれでもなるべく普段通りに振舞っている。

 フォローするべくレオが厨房から出て来てアーニャを空いている席へと促し、注文取りに回り出した。


「デルイ、料理冷めてるぞ」


「ん」


 ルドルフに言われて自分の皿を見る。途中まで食べたところでシスティーナが乱入してきたため、すっかり冷めてしまっていた。

 鶏肉にフォークを刺して口に放り込む。

 クリームで煮込んだ鶏肉はプリプリしていて、噛み締めると肉の脂が滲み出てくる。

 今日賄いで私も食べたんですよ、と話していた時のソラノの屈託のない笑顔が思い出され、胸が痛んだ。自分のせいで余計な労苦をかけてしまった。


「冷めてても美味いよ」


 少し温くなったワインを口に運びながら言う。

 さてこれからどうするか。

 時計を見るとあと小一時間ほどで閉店の時刻だ。

 話し合うにしても店が終わりになるまでは無理だろう。


「お前といると面倒事ばかり起きるな」


「これ、俺のせいなのか?」


「根回しを怠ったお前のせいだろう」 

 

 そう言われると至極もっともで、ぐうの音も出ない。ルドルフはいつだってデルイに容赦無く現実を突きつけてきた。ああ本当に面倒な事が起こったなとデルイは気持ちが沈むのを感じた。



+++


「何なのよ、もう!」

 

 システィーナは怒り狂い、羞恥に顔が真っ赤になっていた。五年ぶりに想い人と運命的な再会を果たしたかと思ったら、何とデルイには恋人がいた。

 しかもその恋人というのが取るに足らない、冴えない、全く何の取り柄もなさそうな料理店のいち給仕係だったのだ。全くどうかしている。


「クー!」


「ニャに」


 ダルそうに宙を漂う猫妖精に話しかける。猫妖精は普通の猫と同じく夜行性なので夜には強いはずなのだが、このクーという猫妖精は日がな一日眠そうだった。


「あの店の女を見張ってちょうだい」


「えぇ……」


 心底嫌そうな顔をするクーにシスティーナは必死に頼み込んだ。


「お願いよ、あなたの魔法だったらバレずに見張るなんて簡単でしょ!」


「面倒臭いニャ」


「かつおぶしいっぱいあげるから!」


 その言葉にクーは耳をピクリと動かし、ビー玉のように大きな目をこちらへ向ける。長年共にいる勘でシスティーナはもうひと押し、いけると踏んで畳み掛けた。


「最高級品を買って邸で削ってあげるわ、だから!」


「仕方ないニャあ。明日からね」

 

「ありがとう!」


 いけ好かないあの給仕係が一体どんな手を使ってデルイの心を掴んだのか、見張っておかなければならない。もし人の道を外れるような手を取っているのだとしたら、それこそ騎士団に突き出さなければ。

 二人が真っ当な恋人同士だと、断じて認められなかった。そしてシスティーナは第一ターミナルで待ちぼうけを食らった家族の元へと戻っていく。


「お父様、お母様!」


「お、おお。血相変えて去って行ったかと思ったら今度はどうしたんだ」


「あなた、泣いているの?どうかして?」


 父と母は突如走り出し、そして顔を般若のように歪ませて帰って来たシスティーナを見て狼狽した。


「デルイさんに……デルロイ・リゴレット様に恋人がいるそうなのよ」


「彼に? さてなあ。そういった話は先方からは聞いていないが」

 

「きっと何かの間違いよ」


 両親はシスティーナの肩を優しく抱いた。


「仮に恋人がいたとしても、先方が掌握していない存在ならば大したことのない女性なのだろう。うちとは家同士の正式な縁談だ、ティーナに敵う存在などおりはしまい」


「そうよ、安心して。あなたは気高いシャインバルド家の血を濃く受け継いで、才能に溢れているわ。あなたの魅力に叶う人なんていない、大丈夫よ」


「それに姉様は綺麗だから!」


 久方ぶりに会う家族はシスティーナを優しく励ましてくれる。

 ええ、そうよ。

 落胆していた気持ちを上向かせる。

 恋人がいようとも、それが何だというのだろう。

 あんなつまらなそうな女より、自分の方が何倍もいいに決まっている。縁談をまとめて婚約を結び、二人でいる時間をとったならばきっとそのことに気がつくはず。


「そうね、そうに決まっているわ」


 システィーナは力強く頷く。


「早く私の魅力に気がついてもらうためにも、早速縁談の支度をしないと。邸に戻りましょう!」


 システィーナは家族とともに飛行船へと乗り込むべく足を進める。その足取りはしっかりしていて、これからの行く末をまるで疑っていなかった。

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