第167話 ソラノの肉じゃが

 営業していないヴェスティビュールの店内には四人の人と一匹の猫妖精がいた。

 ソラノ、システィーナ、そしてレオとバッシ。

 レオとバッシは翌日の仕込みがあると言って店へと来ていたのだが、それは建前で本音としてはシスティーナがソラノに危害を加えようとしたら阻止するためだった。レオは普段持ち歩いていない冒険者時代の剣を店の裏に隠し置いてある。

 システィーナは緊張した面持ちで厨房でソラノが作る料理を見つめていた。その隣ではクーが思う存分にかつおぶしを食べている。


 もうデルイが出立してから十五日などとうに過ぎており、予定通りであるならそろそろ帰ってくるはずの頃だった。

 本日は第八ターミナルに以前ルドルフが言っていた西方諸国からキマイラを連れた一団がやってくるらしく、空港内には俄かに緊張が走っている。警備の数が心なしかいつもより多い。


 店の中は今、いつもとは違い醤油と出汁の香りで満ち満ちていた。

 ぐつぐつと煮えた鍋の中では、肉じゃがが煮込まれている。

 色とりどりの野菜と肉をおたまですくって椀に盛る。

 肉、じゃがいも、ねじり梅に切った人参に玉ねぎ。彩にさやいんげんを乗せてカウンターに座るシスティーナへと出す。

 味噌汁とご飯も一緒だ。

 ソラノが作れる精一杯の食事であり、同時に自信がある品たちだった。


「どうぞ」


「何なのです、この料理たちは?」


「何って、和食ですよ。この国にもありますよね、このメインが肉じゃがで、こっちは土鍋で炊いたご飯、それからお味噌汁」


 システィーナはあまり和食に馴染みがないらしくやや面食らっていたが、何か納得したようで出された料理に向かい合う。

 箸が使えないらしいシスティーナはフォークを手に、人参から手を伸ばした。

 口にする前にしげしげとその人参の形を見る。変わった形で珍しいのだろう。日々の鍛錬の成果でソラノが作るねじり梅は芸術の域に達している。ちなみに貧乏性なので切れっ端の人参はいつも他の料理に使っている。


「ねじり梅っていうんですよ」


「……そう」


 それ以上は何も言わずに、システィーナは人参を口に入れた。そして目を見開く。

 続いてじゃがいも、肉、玉ねぎ。

 次々に口に入れては、ゆっくりと噛み締めて味わう。

 その顔は段々と険しさが増し、何か複雑そうな胸中を語っていた。


「どうして、ここのお店で出すような料理ではなくワショクにしたのよ」


「私の故郷の味なんです。慣れ親しんだお料理の方が作る時に気持ちが入るから」


「でも、デルイさんはこんなお料理食べ慣れていないわ。こんな料理を作って出すなんてそんなのただの自己満足だわ」


 システィーナが突っかかる。その目には非難の色が浮かんでいた。和食を出したのが予想外だったようだ。


「自己満足って言われたらそれまでですけど……和食は薄味で油分も少ないですし、毎日のようにここで御食事されるデルイさんの胃を休める意味でもぴったりだと私は思ってます。デルイさんって食事にあんまり興味なくて、放っとくとすごい偏った食生活になるんです」


「……」


 フォークを片手にシスティーナの勢いが止まる。逡巡しているようだった。

 多分味は嫌いではないのだろう。

 そんなシスティーナを見ながらそろそろいいかな、と思いソラノは次の準備に取り掛かった。


+++


  一体これは何だというのか。

 システィーナの胸の内は極めて複雑だった。

 出された料理はどれもこれもシスティーナには馴染みがない。ワショクという言葉を聞いたことがあっても、それを食べたことはあまりなかった。邸ではこんな料理が出たことはほとんどなかったし、十一歳で入学した北方の国でもこうした料理は食べなかった。


 しかし一口、口にするとその不思議な味わいの虜になった。

 具材を噛むとじゅわっと染み込んだ調味液の優しい味わいが広がる。

 ニクジャガからはクーの好物のかつおぶしの香りがほんのりと漂い、ホッとするような気持ちにさせる。

 じゃがいもと人参は程よい硬さに煮えていながらも、内部はふんだんに調味液を吸っていて噛みしめるほどに旨味を感じる。

 玉ねぎはトロトロしていて、甘みがいい。

 肉は赤身が多いのか、脂のしつこさがさほどなく、それでいて柔らかな仕上がりになっている。


 システィーナがニクジャガの虜になっていると、隣に人が座る気配がした。

 見ればソラノが、自分の料理をカウンターに並べて座っているではないか。


「貴女っ、給仕係のくせにお客と一緒に食事をするなんてどういうおつもりですの!?」


 あり得ない振る舞いにそう鋭い声で咎めると、ソラノはちらりと横目でシスティーナを見てから悪びれる様子もなく言う。


「今日はお店は休みですし、この料理でお金を取るつもりはないからシスティーナさんはお客様じゃありませんよ。だから私も一緒にお昼を食べるの」


 いけしゃあしゃあとそう言うと、両手を合わせていただきますと言い、ハシを持ってニクジャガに手を伸ばした。


「うん、味見はしてるけど今日も美味しくできてる」


 自画自賛でそう言いながら、とても慣れた手つきでハシを扱い次々と料理を頬張っている。システィーナは非常に戸惑った。

 この女、システィーナに媚びる様子が全くない。

 王都での令嬢たちの集まりでも、学校にいる時も、システィーナは常に尊敬の眼差しでみられていた。誰もがシスティーナと仲良くなろうと集まってきたし、そういう扱いをされるのに慣れきっていた。

 しかしソラノはどうだろう。この自分を、そこらにいる人間と変わらない扱いをしてくる。


「ねえ、システィーナさん」


「な、何ですの」


「私ね、お兄ちゃんがいるんだけどさ」


 お椀を持ってご飯を食べているとソラノが話しかけてきた。


「私のお兄ちゃん、優しくてかっこよくて勉強も仕事もできて、困った時には何でも相談に乗ってくれる世界で一番頼りになる、大大大好きな自慢のお兄ちゃんなんだけどさ」


 唐突に始まった兄の自慢話にシスティーナはどうしてよいやら分からず黙って話を聞くことにした。


「……結婚しちゃったんだよねぇ」


 その一言を明るい声で言っているはずのに、なぜかとても寂しげな色合いを含んでいた。


「その時はすごい寂しくてさ、婚約者さんに対してどうすればいいか分からなくて。嫉妬したり恨んだり、まあ結構複雑な気持ちだったんだけど。最後にはお兄ちゃんが選んだ人なんだから笑顔で祝福しようって思えるようになったんだ」


「……だから私にも、そうしろと?」


「難しいと思うよ。私がそう思えるまでに二年かかったから。でも、うーん、こういう言い方はアレだけど」


 ハシを置いてシスティーナの方へと体ごと向き直り、ソラノは真面目な顔で問いかけてきた。


「デルイさんの気持ちが向いてないのに、このまま無理やり縁談して婚約して、システィーナさんは本当に嬉しい?」


「……っ!」


 どストレートな言葉にシスティーナの胸は抉れた。


「そ、んなの、わからないじゃない! 二人になったら私の魅力に気がついてくれるに違いないわっ」


「もしそうならなかったら? 一生自分に気持ちがない人と一緒に居られる? それってすごく辛くない?」


 畳み掛けるような質問にシスティーナは胸が苦しくなった。

 システィーナは家柄に恵まれ、家族に恵まれ、才能に恵まれ、容姿にも恵まれたがしかし友達には恵まれなかった。こうした時に相談できる相手がおらず、意固地になってデルイとの縁談を進めようとしていた。

 だって、五年間ずっとそれだけを心の支えにして頑張ってきたのだ。

 なのにぽっと出のこんな平凡な女に好きな人を奪われたとあってはそんなの納得できるはずがない。

 ソラノの言っている事は薄々自分でも感じていた。けど、はっきりと認めるのを心が拒否していた。

 認めてしまったらこれまでの自分が否定されるようで、これから先どうすればいいかわからなくて。

 だから、だから。

 もうほとんどシスティーナの負けだとわかっていても、それを口にすることなんてできない。


「……っ!!」



 食べかけの料理をそのままにがたんと席から立ち上がり、店から飛び出す。

 とにかくここから一刻も早く立ち去りたい。

 惨めな気持ちでいっぱいになりながら、システィーナはうつむいて懸命に足を動かす。

 早く、早く!

 王都行きの飛行船に乗るべく一直線に駆ける。後ろからクーが何かを叫びながらついてくるのが聞こえたが、システィーナは聞く耳を持たなかった。

 

 そしてシスティーナは、前を見て居なかったせいで気がつかなかった。


「きゃっ……」


 ドスンと何かにぶつかって、反動で尻餅をついた。苛立っていたシスティーナは地面にうずくまったまま目線だけ上げてぶつかった人物を睨め付ける。


「ちょっと、気をつけて下さらない……っ!?」


 しかしシスティーナの声は途中で飲み込まれる。ひゅっと喉が鳴った。

 そこにいたのは、人ではなかった。

 ライオンの頭にヤギの胴体、蛇の尻尾を持ち、翼を備えた魔物ーーキマイラが獰猛な双眸「そうぼう」でシスティーナのことを見下ろしていた。

 長期間狭い船内に閉じ込められていたキマイラは一目見ただけでも苛立っているのがわかった。巨大な口から鋭い牙が見え、低いうなり声が漏れている。

 魔物使いの制御が外れかかっていて魔物本来の本能が戻りかけている状態だ。


「あ……」


 あまりの凄みにシスティーナは気圧されて腰が抜け、立ち上がることが出来ない。

 足がガクガクして全身から汗が吹き出した。

 学校で実戦訓練はしていたけれど、こんなに間近で高ランクの魔物を見たのは初めてだ。習ったことの全てが頭から吹っ飛び、システィーナはこの瞬間召喚術の才能を持ったシャインバルドの令嬢ではなくただの十六歳のか弱い少女となっていた。


 キマイラは自身にぶつかってきたシスティーナを獲物として捉え、前足がガリガリと空港の床を引っ掻き跳躍の準備をした。

 周りが止める間もなくキマイラは姿勢を低くし、声をあげてシスティーナへと飛びかかって来る。

 防御手段を展開する間もない出来事。刹那にシスティーナは死を覚悟した。


「!!!」



「システィーナさん!」



 最後に聞こえたのは、ソラノの悲鳴混じりの声だった。

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