第207話 尾行デート①

 尾行デート。

 尾行デートって何だろう? とソラノは思う。いくら恋愛経験が浅いソラノにだって、尾行とデートがイコールで結びつかないことくらいはわかっている。

 しかし始まってしまったからには今更引き返すことなどできない。

 ソラノには影からバッシのデートを見守り、クララ・リントが本当にバッシにふさわしい女性であるかどうかを見極める使命がある。

 使命感に燃えるソラノにはしかし、一つどうしても解せないことがあった。


「デルイさん、尾行ってもっとこっそりとするものじゃないのでしょうか」


 今現在乗合馬車に乗ったソラノたちは、何とバッシの斜め向かいに堂々と座っていた。真正面ではないにしても、そこまで混雑しているわけでもない車内においてこんな間近にいれば一発でバレてしまうではないか。

 ちなみにこの世界の乗合馬車は、電車の一両のような細長い形の箱にシートが設えられている。それを御者が重力魔法で操作しつつ馬に引かせて走っているのだ。

 シートはそこそこ埋まっているものの、立ち乗りする人がいるわけではない。視界は良好で、知り合いがいれば確実に気がつくような状態だ。

 いつ気がつかれるか、むしろ何でまだ気がついていないのかとソラノはハラハラしながらデルイの服の裾を引っ張ったのだが、デルイは非常に自然な仕草で足を組んでシートに深々と座ったままこう言った。


「ソラノちゃん、尾行の基本は堂々とすることだよ」


「そ、うなんですか」


 とても意外なお言葉だ。ソラノの思い描いていた尾行とは、物陰に潜んで対象にバレないようコソコソと後をつけるようなものだった。そうなると本日デルイがかけているサングラスは尾行にぴったりなアイテムではないだろうか。

 尾行、物陰、サングラスに帽子……うーん私もサングラス、かけてくればよかったかなぁ。そもそも持ってないけど……せめて帽子を被ってくればそれっぽい雰囲気が出たのに。などと頭の中で考え出す。完全にドラマの見過ぎである。ちなみにソラノには年の離れた兄がいるので、見ているドラマは割と古いものも多い。古き良きお台場を舞台にした刑事ドラマがソラノのお気に入りだった。捜査線が踊るやつである。

 

「デルイさんは仕事で尾行することあります?」


「あるよ。闇取引とか密輸現場を押さえる時とか」


「そっかぁ」


 日夜空港の治安を司る保安部職員のデルイが言うと真実味がすごい。ソラノのドラマ仕込みのにわか尾行法とは説得力が違った。デルイが言うのであれば、きっと尾行とは堂々とするものなのだ。

 やがて馬車が中心街へと到着し、乗客のほとんどが降りていく。ソラノたちもそれに続いた。

 背丈が大きいバッシは見失う心配がないので尾行は楽だった。それよりイケメンオーラを隠しきれていないデルイの方に道ゆく人がチラチラと視線を送ってくる。デルイはサングラスを掛け直すと、やや目線を下にして歩いていた。

 彼が人の多い中心街を好んでいないことを知ってるソラノは若干申し訳ない気持ちになった。せっかくの休日に落ち着かない場所に来るのは本意ではないだろう。

 そんなソラノの視線に気づいたデルイは、にこりと笑うと指先を一振りした。

 途端にデルイの気配が薄れ、なんとなく存在感が無くなった。振り向きざまに熱っぽく見つめていたあのご令嬢も、少し離れたところでこちらを指差しながらヒソヒソ話をしていたご婦人達も急に姿を見失ったかのようにキョロキョロしだす。

 

「気配を薄くする魔法。実はバッシさんとクララさんだけ対象にこっそりかけてたんだけど、範囲を広げてみた」


 もうこれは必要ないかな、と言ってサングラスを外したデルイは実に晴れやかな笑顔を浮かべる。


「せっかくのデートだし、可愛い彼女は色レンズ無しで見る方が断然いいね。魔力消耗が地味に多いから三時間くらいが限度だけど」


「はいっ」


 三時間。帰りのことも考えると尾行は二時間くらいが限度だろう。二時間のうちにクララがどんな女性なのか見極めなければならない。

 デルイの魔力消費を引き換えに得た尾行の機会にソラノは気を引き締め、前を向いてバッシを見失わないようにする。

 二人はずんずんと中心街を進み、ひときわ大きな建物が並ぶ通りへと向かって行った。ソラノが通ったことのない場所である。

 五階建ての茶色い煉瓦造りの丸い建物の前で足を止めると、階段を登って柱に支えられたエントランスへ入って行く。ソラノは建物の前で足を止めると首をかしげた。


「何の建物でしょう?」


「ここは役所だね。郊外にある支部とは違って本部建物」


「あぁ、役所」


 通りで存在感がすごい。左右を見ても立派な建物が軒を連ねている。


「右隣は銀行。左は商人ギルド本部。ちなみに気配遮断の魔法はこの手の建物に入ると無効化されるから、俺たちはここで大人しく待ってようか」


「はぁい」


 ソラノとデルイは歩道の隅のガードレールのような柵に腰をかけ、二人が出てくるのを待つことにした。ソラノもこの世界に来たばかりの時には諸々の手続きのために郊外にある役所に何度か足を運んだことがあったが、本部を見るのは初めてだ。

 ひっきりなしに人が出入りするのを眺めながらソラノは首をひねった。


「バッシさん、何しに役所に来たんでしょう?」


「多分結婚届を貰いにだろうね。支部でも貰えるけど、一生に一度のことだから記念に本部で受け取る人が多いんだ。提出は住居近くの役所に提出する必要があるから、貰うだけになるけど」


 ソラノはあっさりと告げられた言葉に、横に並んでいるデルイを見上げた。


「結婚って、教会とか神殿みたいなところで愛を誓って記名をするのかと思ってました」


「そういう国もあるけど……この国は何せ色んな種族を受け入れているから、種族ごとに信仰する教会で結婚を管理してたら国の把握が大変になるでしょ? だから法律上では役所に結婚届を提出すればそれで成立するんだ。その後にどこか信仰している教会で式を挙げる人もいれば、親しい人を招いて披露パーティだけする人もいる」


「あぁ、なるほど」


 何だか思ったよりも日本に似ている。剣も魔法もあるファンタジックな世界だから本物の精霊や妖精が飛び交う荘厳な教会で愛を誓い合うのかと思っていたけど、そうでもないらしい。意外にも合理的な役所での処理という制度にソラノは少々驚きつつ納得した。








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