第67話 ジャガイモのグラタン/アーニャ

「やった、給料日よ!」


 空港の商業部門で働く事務職員アーニャは万歳をした。待ちに待った月に一度の給料日。これを楽しみに日々の仕事を頑張っていると言っても過言では無い。


「今日はヴェスティビュールへ行くんだから」


 ウッキウキでそう言うアーニャ。彼女の給料では毎日通うことは難しいため、週に一度のお楽しみと給料日に行くことにしている。

 今日は皆どことなく嬉しそうだ。仕事をきっちり定時で終わらせた彼女は着替えを済ませて第一ターミナルへと足を運ぶ。


 改装してすっかりお洒落になった店内に足を踏み入れると、看板娘であるソラノが気づいて声をかけてくる。


「あ、アーニャ。お疲れ様」


「こんばんは! 今日は給料日よ!」


 ご機嫌にそう言うとカウンターの席へと腰掛けた。余談だがこのカウンター席は十四あるのだが、顔ぶれは違えどだいたいいつも空港職員が陣取っている。職員の仕事帰りにくつろげる店になっていた。


「何にするの?」


 ソラノが水を差し出しながらたずねる。

 ちなみにこの水もただの水ではない。輪切りにした柑橘類が入っていて、ほんのりと果物の味がして美味しい。金持ちは水一つ取ってもこだわると聞き、アーニャは驚いた。

 

 アーニャはメニューとにらめっこした。


「うーん、そうねえ」


 この店は全部が全部美味しいから迷ってしまう。


「じゃあ本日のスープとジャガイモのグラタン。あとは白ワインとデザートにシルベッサのコンポート!」


「はーい」


 ソラノがオーダーを奥にいるバッシへと通し、スープをよそった。


「今日はアスパラガスのスープ」


「わぁ、美味しそー」


 熱々のスープから湯気が立ち上り、同時にアスパラガスの芳醇な香りが鼻をくすぐる。一口、含めば素材の旨みをふんだんに生かした、シンプルながら贅沢な味わいが口に広がる。

 次にソラノはワインの準備をしていた。グラスをカウンター上のホルダーから滑るように取り、ワインのコルクを抜いて注ぐ。


「すっかり慣れたものね」


「毎日やってるからね」


 店がオープンして早数週間。ソラノの動きは無駄がない上に客のちょっとした動作に細やかに気がつきフォローを入れる、まるでおもてなしの達人のようだった。


「ソラノってどうしてそんなに色んなことをこなせるの?ちょっとズルくない?」


 ついついそんなことを言ってしまった。アーニャなど四年も頑張って働いているのに、イマイチ仕事が身についている気がしないのに。


「そうでもないよ。できないことの方が多いと思うけど」


 ワインを注いだグラスを差し出しながらソラノが答えた。


「例えば未だに魔法があんまり使えない」


「そんなの、守ってくれる人がいるからいいじゃない!」


 アーニャはカウンターを拳で叩きつける。そう、ソラノには守ってくれる人がいる。ならば自分で覚える必要などないではないか。しかしソラノは不満そうな顔をした。


「でもそれに頼りっきりってわけにはいかないでしょ。不測の事態がいつ起こるかわからないわけだし、一生守ってもらうわけにいかないし」


「ーー遅い!」


 突如として怒鳴り声が店内に響いた。店の中が一瞬にして静まり返る。


「遅くないよ」


「いいや、遅い。遅すぎる!!何分経ったと思っている!?」


「まだ五分だよ」


「そう、五分も待たされた!!」


 仲間と言い争いを始めている。アーニャは首をすくめて身を縮めた。たった五分ごときでこんなにも激昂するだなんて随分せっかちな人だな、と思うがそれを口にするほど愚かではない。

 すかさずソラノは客の元へと行く。膝をつき、下から見上げるようにお伺いを立てていた。今までアーニャと話していたことなど忘れてしまったかのように接客モードへと変わるソラノを見て、すごいなと思う。


 しかし話はそれで収まらない。男はフォークを掴むと、あろうことかそれをソラノめがけて振り下ろした。


「あぶなっ……」


 思わず声が出るアーニャ。しかしフォークはソラノを傷つけることなく、付け根から折れて弾けて飛んで行く。仲間がそれをご丁寧にキャッチしていた。

 ソラノは怯えた様子もなく、冷静に言葉を発する。

 

「お客様、当店の料理は注文を受けてから一つ一つ丁寧に調理をしておりますので、少々のお時間を頂くことがございます。ですがお待たせした分、最高のものをご提供いたします。今しばらくお待ちいただけませんか」


「あ……ああ」


「ありがとうございます。お待ちの間にワインのおかわりと、おつまみにナッツなどはいかがでしょうか」


「頂こうか」


「かしこまりました」



「ねえ、大丈夫?保安部の人呼ぼっか?」


 戻ったソラノにこっそりアーニャは話しかけた。


「平気。怪我したわけでもないし。バッシさんすみません、豚肉のカマンベール包みを大至急お願いします」


「あいよ。もう出来る」


 そう気丈に言っているが、手先がわずかに震えていることにアーニャは気がついた。ソラノは自分の手をさすり、目を瞑って深呼吸を数回する。目を開いた時には震えが止まっており、ワインとナッツを用意してすぐに運びに行く。


 こういうところだよなぁとアーニャは思った。ソラノは切り替えがすごい。仕事への熱意もすごい。だから客のちょっとした仕草から、何をすればいいのかわかってしまうのだろう。

 

 ソラノは出来上がった料理を持ち、冒険者の元へとすぐに行く。早速不測の事態とやらが起こったが、おおごとにならずに済んで良かった。

 冒険者は提供された料理をガツガツと食べ進め、ワインをぐいぐい飲んでいる。ソラノがボトルを持って行った。

 あっという間に食べ終わったかと思うと、店を出て行く。アーニャはホッとした。 


「ソラノ、よく怯まないわね」


「うん?」


 ソラノは何もなかったかのように振舞っているが、あんな風にいきなり攻撃されそうになっても、恐怖を押し殺して接客を続けられるとは大したものだ。


「怖くなかったって言ったら嘘になるけど……。ああいう人相手に怯えたり、下手に出たら負けでしょう」


 そう言うと、牛人族のシェフバッシが今しがたオーブンから取り出したグラタンを受け取ってアーニャの前へと置く。


「お待たせ、ジャガイモのグラタンね」


「ありがとー」


 気を取り直し、自分の注文した料理に向き直る。

 グラタンは表面のチーズがブクブクと泡立つほど熱されていた。ところどころについた焦げ目もいいアクセントになっている。見た目からして美味しそうだ。スプーンですくうととろりとチーズが糸を引く。暴力的な光景だ。

 ホワイトソースとジャガイモ、そして溶ろけたチーズがマッチした優しい味わいのグラタンだった。白ワインをぐっと飲み、喉の奥を潤す。


「んーっ。最高! 生きててよかったぁ!」


「おっさんみたいだね」


 ソラノがツッコミを入れてもアーニャは気にしない。


「なによう。仕事終わりの一杯を楽しんじゃいけないっていうの?こっちは毎日毎日雑用で、ストレスが溜まっているのよ。美味しいお酒と料理でストレス解消したっていいじゃない」


「いいと思うけど。そのためにお店があるんだし」


「その通りよ。ここは私たち職員の憩いの場よ! 部門長が何と言っても、潰させやしないんだから」


 お酒の力で気が大きくなったアーニャはそんなことをのたまう。商業部門長のエアノーラは数字に厳しい。採算が取れないと判断されれば一年で店は取り潰されてしまうだろう。ソラノは苦笑を漏らした。


「その意気込みが本人の前でも出るといいんだけど」


「それは無理」


 そう、無理だ。アーニャはお上へ逆らえる人間ではない。それができているならば、とっくに雑用を脱却してエアノーラのお眼鏡にかなっているだろう。


「そんなに怖い人じゃないと思うけどなぁ」


「そんなこと言えるのソラノだけよ。お代わりちょうだい」


「はーい」


 グラスを差し出せばワインのお代わりを注いでくれた。アーニャは景気良くぐっと飲み干す。給料日で懐が潤っているので何杯飲んでもお会計が怖くない。恐怖を感じるのは給料日間際の数日だけだ。


「私にも早く春が来ないかしら!」


「仕事の? 恋の?」


「どっちもよ!」


 アーニャはもう二十四歳だ。いい加減出世もしたいし運命の人に出会いたい。

 ソラノはこのアーニャの発言をスルーし、先ほどの冒険者の会計を済ませていた。直後に他のお客も入ってきて、その応対もしていた。一人でよくやるなあとアーニャは思う。

 

「バッシさん、」


「あいよ」


 阿吽の呼吸で働く二人はいいコンビだ。店はいつも人がいて賑わっており、それは商売が順調にいっている証拠だった。


「ねえ、バゲットもちょうだい」


「はいはい」


 ソラノに追加で注文をして、グラタンを食す。ついでにワインも飲む。

 まだまだ店に来たばかりだ。接客の合間にソラノと話をしていたいし、なんならいい出会いがあるかもしれない。デザートをお願いするのはもう少し後かな、とアーニャは思った。

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