第12話 魔法の練習

「ソラノちゃん毎日ありがとう、疲れてないかい?」


 パンの販売開始から五日たった日のことだ。今日も朝から三人で準備をして、ソラノが走って百個売りさばいた。先日話し合った通り五個セットを予め用意しておいたら、なかなか好評で買う人が後をたたない。走りながら売るのも板についてきて、冒険者の人と慌ただしくやり取りしながら売るのが結構楽しい。

 これ以上は作れないし、ソラノの足も限界だった。いくら毎日自転車をこいで鍛えていた足とはいえさすがに全力疾走を二時間続ければ足がおかしくなってしまう。そしてカウマン料理店のピークタイムは朝六時から八時で、以降は相変わらず閑古鳥が鳴いている有様なので朝以降は翌日の仕込みとBLT開発に注力していた。


「このくらい大丈夫ですよ」


「そうは言っても毎日あんなに走って大声出してれば大変だろう。朝以外店はガラガラだし、今日はもう帰っていいよ。仕込みはアタシらでやっとくからさ」


「ええっ、でもマキロンさん達も早起きして料理して、大変じゃないですか。私も手伝いますよ」


「いいっていいって。最近は暇だったとはいえ伊達に何年も店の経営してないよ。アタシらは慣れてるから、ソラノちゃんは休みな」


 そう言われ、半ば強制的にソラノは店を追い出された。時間はまだ午前だ。


「どうしようかなー」


 急に自由な時間ができて、何をしようか考える。思えばこの世界に来てから店のこと以外に使った時間などほとんどない。せっかく異世界に来たのに、空港と家を往復するばかりの毎日だった。

 とりあえず、降りるために船に乗ろう。



「やっほ、ソラノちゃん。今日はもう帰り?」


「デルイさん、お疲れ様です。今日は休んでいいと言われました」


 帰りの船の中でばったり出くわしたのはデルイだ。彼はトレードマークのピンクの髪をハーフアップにして、耳にピアスを何個もつけている。今日はすでに私服になっていて黒いジャケットを羽織って銀のネックレスをしている。なんというか、


「売れないバンドマンみたいですね」


「? バンド……なにそれ」


「いえ、こっちの話なので気にしないでください」


「まあいいけどさ」


デルイはソラノの隣に陣取り、話しかけ出す。


「パンうまかったよ。走って売ってるんだって?ご苦労様」


「楽しいですよ。冒険者のみなさんがいっぱい買ってくれるのでやりがいがあります」


「素の状態で走ってよく追いつくよね」


「中には置き去りにされる時もありますけど……割とみなさん、話しかけると速度を落としてくれてるのかなって気がします」


「ふーん」


 会話が途切れ、デルイがソラノの横顔をじっと見つめ出した。こうして見てみると本当綺麗な顔をしているなぁと他人事ながらに考える。そもそもこんなにも鮮やかな髪色が似合うってどういう事なんだろう。私服でも制服でも全体的に凄まじく軽薄な雰囲気が漂うデルイであったが、しばしば顔を合わせていたソラノからすればいい人そうだなという印象がある。


「なんか私、変なとこでもあります?」


 あまりに見つめられて居た堪れなくなってそう尋ねると、デルイは「んー、ちょっとね」と曖昧な返事をして、膝を打った。


「ソラノちゃん、このあと暇? ちょっと付き合ってよ」


「は?」


+++


「外ですね。初めて出ました」


 ソラノはデルイに連れられて、王都の外へと来ていた。王都は魔物の襲撃に備え城壁がぐるりと廻らされていて、出るには門兵に通行許可証を提示しないといけない。冒険者や行商人、その護衛などはギルドや役所で許可証を発行してもらえるが、一般人が外へ出ることはあまりない。王都近郊は魔物の活動が緩慢とはいえ、危険がないわけではない。戦闘の心得が微塵もない人間が迂闊に出ては危険に晒されるという配慮からくるものだった。


 外は平野が広がっていて、春先の今は草に混じって野花が咲いている。駆け出しの冒険者達があちこちで薬草を摘んだり、魔物と戦う姿も見られた。

 平野を裂くように舗装された道が敷かれ、行商人が馬車に荷物を積み護衛の冒険者とともにそこを進んでいる。


「ソラノちゃん、あんまり俺から離れないようにしてね。この辺の魔物は雑魚だけど、ソラノちゃんはそれ以上に弱いから」


「でもあのあたりに十歳くらいの男の子が二人いますよ」


「ちゃんと皮鎧装備してるでしょ。多分Fランクの冒険者だよ。あの子達ソラノちゃんの百倍は強いから」


「ひっど……」


「事実だからね」


 デルイは笑顔で結構ひどい事を言ってくる。だが確かにソラノに戦闘能力は皆無だ。


「で、こんなところに連れて来て一体何をするんですか?」


「ソラノちゃんに魔法を教えてあげようと思って」


 その言葉を聞いた途端、膨れ気味だったソラノの頬はしぼみ、目がキラキラと輝く。


「魔法! 私にも使えるんですか?」


「多少魔素が体内に蓄積されたみたいだし、簡単なのならいけるよ。見ててね」


 デルイが自分の足元を指さす。


「魔法を発動させたい場所に意識を集中して、体内の魔素を練り上げる。発動自体は魔素を糧にしている精霊たちの力を借りないといけないから、キーとなる呪文を唱える。呪文は慣れれば口に出さなくてもいいんだけど、最初はちゃんと言葉にしたほうがいいよ」


 ソラノちゃんの場合は風魔法だねと言いながら、すっと目を閉じて意識を集中させる。風もないのにふわっとデルイの足元の草花が揺れた。


風よヴェントゥス

 

 デルイがそう呟けば、彼の足元に急速に風の渦ができる。そのまま地面を蹴れば、軽く走り出したようにしか見えないのに、デルイは百メートルも先に進んでしまった。


「どうー?」


「すごい!早すぎで見えなかった!!」


 あっという間にソラノのそばまで戻ってきたデルイが軽い調子で尋ねるので、ソラノは興奮してつい敬語も忘れて話しかけてしまった。


「風魔法を使った加速の仕方だよ。覚えておけば今のソラノちゃんの役に立つんじゃない?」


「はい!」


「じゃ、やってみよっか」


 軽い感じで言われ、見よう見まねで試してみると、結構難しいことが分かった。意識を集中して、体内にたまった魔素を練り、呪文を唱える。


風よヴェントゥス……わあっ!?」


 ソラノの場合魔法が制御不能になり、ぶわっと風が吹き上げたかと思うとその勢いに耐えられず、足を取られて派手に転んでしまった。


「ぷわっ」


 こんなに思いっきりずっこけることなんて小学生ぶりくらいだ。めちゃくちゃ恥ずかしかったが、デルイは笑うことなく手を差し出してくれた。


「ドンマイ、最初からうまくできるわけないから、練習しよ。もうちょっと練る魔素の量を減らしたほうがいいよ」


 アドバイスまでくれた。ソラノは膝についた草を払い落とし、もう一度、やってみることにした。




 目の前で初歩の呪文を頑張るソラノを見て、デルイには色々と思うところがある。

 今教えた風の魔法は五歳児が父親に教わる類のものだ。もっと早く走りたいという子供の熱意に負けて親が風魔法の使い方を教える。教わった子供達は集まり、魔素が尽きるまでかけっこをして誰が一番かを競う。一般魔法でもなければ攻撃魔法でもない、補助魔法の中で使えない者はいない基本中の基本の魔法だった。けれど彼女の魔素は未だごく微量で、おそらく習得する前に力尽きてしまうだろう。

 急に異世界にたった一人で放り出されたこの少女は泣く事も弱音を吐く事もなく、なぜか潰れかけの料理店のために日々奔走している。他に選択肢は無限にあるはずなのに、どうして王国内を見て歩く事もせずに空港にとどまっているのだろうか。

 異世界人の可能性は無限大だ。一度魔素を体内に取り込めば、精霊の力を借り強大な魔法を行使した大魔法使いもいれば、向こうの知識を利用してこの世界の技術を大いに発展させた例もある。

 だがこのソラノという女の子はとても脆弱で、放っておけばあっという間に壊れてしまいそうな危険をはらんでいた。ソラノは好き勝手に空港内をうろついていたが、本来無防備な少女がそんな事をしていい場所ではない。様々な国や種族が集まる空港はソラノが思っているよりはるかに治安がよくない場所で、それ故富裕層は必ず護衛をつけて旅をする。腕っぷしだけで上位ランクにのし上がった冒険者同士がもめ事を起こすことだってザラにある。

 空港側のけん制が無ければ、ソラノはとっくに摘まみだされているか、絡まれているか、珍しい異世界人ということで最悪攫われてどこかに売り飛ばされている事だってあり得る。


 自分を守る手段位、身につけないといけない。たとえそれが初歩の呪文だとしても知らないよりははるかにマシだ。


 



 ソラノの魔素はまだまだ少なく二、三時間の練習ですぐ力尽きてしまったが、それでも最後にコツぐらいはつかめた。


「初めてにしては上出来だよ。また今度練習しよっか」


「はーい……」


 全身の脱力がすごく、立つことができない。全力疾走してパンを売るのとはまた違う疲労感があった。しいて言うならものすごく緊張して精神力を使ったのと同じような疲れを感じる。

 草むらに身を投げ出すソラノの隣に腰かけ、デルイが話しかけてきた。


「ソラノちゃん、一人でこの世界に放り出されて寂しくないの? アパートに帰ったら一人でしょ」


「うーん……正直そこまででもないっていうか……私の両親共働きだったから、あんま家にいなかったし。一人で過ごすのには慣れてるんですよね。あ、年の離れた兄がいてよく面倒見てくれてたんですけど、社会人になって一人暮らし初めて、何年か前に結婚しちゃったんです」


「そっか。王都を見て回りたいとか思わない?」


「時間が出来たらかな。あ、今日は暇なんだった」


「じゃ、お昼でも食べに行こうよ。俺、今日早朝番で残業もしたからさあ、腹減っちゃった」


「いきましょー。おすすめのお店を教えてください」


「オッケ。任せといて、おごってあげるよ」


「やったぁ」


「ついでに服も見に行こう。いい加減その格好じゃ目立つよ」


 二人で喋りながら揃って王都までの道のりを歩く。下に降りれば、市場に少し寄って家まで帰るだけの日々だった。王都を見られるのは嬉しい。ソラノははずむ足取りでデルイの横を歩いた。

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