第188話 再来店のお嬢様

間も無くエア・グランドゥール空港へと着港致します。この度は当飛行船をご利用いただき誠に有り難うございました。皆様の良き旅を心からお祈りしております。


 

 来てしまったわ、と王都からエア・グランドゥール行きの船へと乗船し、たった今下船したシスティーナは考える。

 雪がちらつく王都とは違い、この空港内は暖かい。足元の石畳からくる這い寄るような冷気もなく、快適そのものだった。

 靴底に滑り防止の加工がされた靴を注意深く動かしながらシスティーナは足を進めた。


「ニャニャニャ、ソラノのかつおぶしー」


 隣をいくクーが日に十回は「かつおぶしを食べに行きたい」と主張するのにも辟易としていた。もう本当に、ずっと言うのだ。うるさいったらありゃしない。


 誰に言い聞かせているかわからないが、クーのため、クーのためと念を押しながらここまでやって来た。

 ひと月ぶりだ。

 最後に来た時には店休日で、ニクジャガを頂き、飛び出した挙句にキマイラに衝突したところをソラノに助けられるという醜態を晒した。おまけにやって来たデルイは完全にソラノしか見ておらず負けを認めざるを得なかったのだ。

 バツの悪さは言うに及ばず、しかしきちんとしたお礼をしていなかったという気がかりもあった。

 ソラノが庇ってくれなかったらきっと大怪我を負っていただろう。いや、最悪死んでいたかもしれない。

 そんなわけでシスティーナは本日両手にちょっとしたお礼の品を携えてヴェスティビュールの扉をくぐった。


「いらっしゃいませ。あ、システィーナさん!」


 来客にすぐに気がついたソラノは、顔を見るなり笑顔で寄って来た。


「お久しぶりですね、ずっと来ないかなあってお待ちしていたんですよ」


「相変わらず馴れ馴れしいのね」


「すみません。そういう性格なんです」


 全然すまなさそうな顔をせずに言うソラノを尻目に、システィーナは案内されたカウンター席に腰掛けるなり持っていた包みをぐいと押し付ける。


「これ、以前に助けていただいたお礼ですわ」


「へ?」


「キマイラの!」


 何のことかわからなかったらしいソラノが間抜けな声をあげたので、システィーナが短く魔物の名前を告げると「ああ」と言った。


「気にしなくてもいいのに」


「私が気にするのです! 命を助けてもらったのにお礼もなしでは、シャインバルド家の名が廃れますわ」


「そう? わざわざありがとうございます。お食事もされますよね?」


「当然だニャ」


 さっさと帰りたい気持ちと、ここの料理を久々に食べたい気持ちがせめぎ合っていてシスティーナが口ごもっていると素早くクーが返事をする。


「かしこまりました。おすすめはカスレですよ。数種の豚の部位と白インゲン豆をオーブンで煮込んで作った料理です」


「……じゃあ、お願いするわ」


「はい!」


 溌剌と返事をしたソラノが去っていく。

 店は以前に来た時と変わっていなかった。強いていえば、客の数が多くて店が忙しそうということくらいだろうか。

 年の瀬が迫ると帰国する人が増える。

 システィーナの通っていた学校でも長期休暇で家へ帰る生徒もいたが、祖国が遠いシスティーナはそれが叶わず嬉しそうに帰っていく生徒を見送り続けていた。

 飛行船は、時間がかかる。

 世界の国々と容易に行き来できる手段があるのは素晴らしいと思うが、如何せん長旅だ。

 お金があってもそうほいほいと利用できるものではない。

 だからシスティーナが卒業するまでの五年間、国に帰ることなく頑張っていたわけだし、海外から学校にやって来た生徒は皆そうだった。

 

 旅行客はゆっくりと諸外国を堪能した後に祖国へと帰るのだろう。

 財力と時間にゆとりのある者だけができる贅沢だ。


「お待たせいたしました、カスレと、かつおぶしです」


「ニャー」


 久しぶりのかつおぶしに嬉々とするクーを膝に乗せたシスティーナは、オーブンから出たばかりでまだじゅうじゅうと音を立てているカスレを見つめた。

 表面がこんがり、ところどころ真っ黒になるまで焼けている。一見しただけで熱々なのが伝わってきた。

 湯気が立ち上るそれにスプーンをそっと差し込むと、パリッといい音を立てて表面が破れた。

 途端に一段と熱気が立ち込める。

 少し冷ましてから頂く。

 白いんげんの優しい甘みと、ハーブで丁寧に下処理された豚肉の味わい。

 ベースになっているのはトルメイ<トマト>のペーストで、微かな酸味が感じられた。

 ホッと一息つける暖かい味わいだ。


「いかがですか?」


「悪くないわよ、悪く!」


「クーは美味しいニャ」


「それはありがとうございます」


 システィーナの悪くない=美味しいということがもうばっちりと伝わってしまっている。やや口を尖らせ、それでも冷めないうちに食べてしまいたくて堪能しながら食事を進めた。

 相変わらずの落ち着いた店内に、何時間でもいられそうな気持ちになる。

 クーはちゃっかりかつおぶしのお代わりを頼んでいた。


「食べ過ぎよ」


「だって久しぶりだし、次にいつ食べられるかわからニャい」


 気まぐれなのに意外にも律儀なところを持ち合わせているクーは、システィーナに内緒で一人この店に来ることはしていないらしい。ここぞとばかりにかつおぶしを食べまくっ

ていて、見ているこちらが大丈夫かと心配になるほどだ。


 食べ進めるうちにスプーンがカツンと皿底にあたった。

 最後のひとさじをすくうと、ゆっくりと口の中で味わう。

 もうおしまい、と思うとやはり少しさみしい。


「デザートもいかがです?」


「!」


 タイミングを見計らったかのように声をかけられて顔を上げた。


「冬にぴったりの今日は新作をご用意してるんですよ。ぜひ」


「そ、そんなに言うなら仕方がないわね。頂いてあげるわ」


「はい」


 一体何が出て来るのか、システィーナはそわそわした。

 

「そういえばティーナ。ソラノに何を贈ったのかニャ?」


 デザートを待つ間にクーに尋ねられ、システィーナは自慢げにふふんと鼻を鳴らした。


「令嬢の間で流行っているものよ。あんまり貧相な顔立ちだと隣に並ぶデルイさんが可哀想だわ」


「ああ、結局認めたんだニャ」


「仕方なくよ!」


 間髪入れずに力強く反論した。そう、仕方なくだ。

 縁談の破棄を自ら申し出たシスティーナはその後とても落胆した。

 失恋は、辛い。

 涙が出るのを止められなかったし、胸が引き裂かれるような思いもした。

 正直今も辛さは残っているし、ソラノの笑顔を見ると平手打ちの一つでもしてやりたくなる衝動にかられる。

 それをかろうじて留めているのはプライドと、ソラノとデルイが間近で見せた笑顔と、ソラノの言葉が的を得ていたと言う事実に他ならない。

 無理やり縁談にこぎつけたところで、デルイの心が手に入らないのであればーーもう、何の意味もない。


「仕方なくだわ」


「ティーナはもっと他の人を見た方がいいニャ」


 ちょいちょい、と前足を折り曲げてしたり顔でクーが言った。


「失恋の傷は新しい恋で癒すと相場は決まってるニャー」


 妙に人間くさいことを言う猫妖精ねとシスティーナは思った。猫妖精社会でも、失恋したら次の恋を探すのだろうか。

 ちくりと痛む胸の傷に気がつかないふりをして、よし、とシスティーナは気合いを入れる。


「次の花祭りの夜会では、もっともっと素敵な方を見つけるわ」


「その意気だニャ。それでこそティーナ」


 負けん気の強さなら自信がある。

 そうよ、次だわ次。

 デルイさんなんて目じゃないほどに素敵な人をつかまえてやるんだから。

 それでこの店へ連れてきて、思いっきり自慢してやるのよ。

 そう考えると元気が出てきた。


「お待たせいたしました」


「貴女、見ていなさいよ。今にすっごくハイスペックな殿方をこの店に連れてきてあげるんだから」


 デザートを持ってきたソラノに唐突に敵意をむき出して人差し指を突きつけると、キョトンとした顔をした後に合点がいったとばかりに破顔された。


「楽しみにしています!」


「まあ! 嫌味ったらしいわね!」


「いやそんなつもりで言ったわけでは……本当に応援しているんです! 何ならお手伝いしますよ、困ったことがあれば遠慮なく相談してください!」


「そういうの、余計なお世話って言うのよ!」


 言葉の応酬を続ける二人を見て、クーが喉を鳴らして笑った。


「ティーナ、友達ができてよかったね」


「違います、断じて友達なんかじゃありませんわ!」


 否定したところでクーは喉を鳴らすだけだし、ソラノは笑っているだけだ。

 それが妙に悔しくてシスティーナは拳を震わせた。

 友達! この私が、こんな庶民と友達だなんて。

 しかし一方で、そこまで嫌な気がしていない自分もいることは確かだ。

 おかしい。ソラノは自分の好きな人を掠め取った女だと思っていたのに。

 どうしてこうも絆されてしまうのか。命の危機を助けられたからなのか。


 見やるとソラノはニッコリと営業スマイルを浮かべ、掌で今しがた置いた皿を丁寧に指し示す。


「どうぞ。クレーム・ブリュレです」


 クレーム・ブリュレ。

 表面の砂糖を炙って硬くさせたカスタード・プティングだ。

 デザート用スプーンを持ってそっと表面を叩いてみた。

 カンカンっと硬い手応えが返ってきて、掘り進めるとパリパキっと砂糖が割れるいい感触が伝わってきた。

 パクリ。

 口の中に幸せが広がった。

 滑らかなカスタードの甘み。

 表面の砂糖のザリザリした歯ごたえ。

 炙ったことにより強調される香ばしさ。

 甘いものというのはどうしてこうも人を幸せにするのだろう。

 

 クレーム・ブリュレを食べる前までの諍いがどうでもよくなってしまう。

 ただひたすらにこのデザートを堪能し、満足すればそれでいいかなという気にさせてしまうのだから恐ろしい。

 

「私も好きなんですよ、クレーム・ブリュレ」

 

 とても満足そうな顔をしているソラノを見て、案の定もう敵対する気がとうに失せている自分に気がついたのだった。


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