第123話 ヴィシソワーズ


 ガレットづくりが上手くいかないまま黒麦が底をついた。もはやこうなっては打つ手は無い。

 翌日は営業日であり、いつまでも作れぬ料理に時間と思考を割いている暇は無かった。ランチ用のいいメニューも浮かんでいないし、なんだか手詰まり感がある。


「お待たせいたしました、ヴィシソワーズです」


 ことりとテーブル席のお客様にお出ししたのは、ヴィシソワーズ。暑くなると食べたくなるジャガイモの冷製スープだ。

 ネギリーキをバターで炒めたらジャガイモを加え、そこに水と牛乳を加える。じっくり煮込んだら丁寧に裏ごしし、冷やしたら仕上げに生クリームを混ぜる。

 ジャガイモの風味が乳製品の油脂でまろやかに伸ばされた極上の逸品だ。


「相変わらずここのお料理は美味しいわね」


「僕は前回、デザートしか食べなかったから楽しみだよ」


「恐れ入ります」


 ヴィシソワーズを注文した二人組はフロランディーテとフィリスだ。この二人は本当にこの店を再訪するという野望を実現してしまった。それも結構あっさりと。店を貸し切りにでもするのかと思ったらそうでもなく、外に護衛がついているが常識的な人数だった。

 二人とも地味な素材の服を着込み、変装をしているのだが、目が合った瞬間に「お久しぶりね」「その節はどうも」と挨拶されてしまっては正体に気がつかないはずがない。

 そうでなくともソラノは一度会った客の顔は忘れないという特技を持っているのだ。


「知っていて? 最近王都では女性が顔を帽子で隠してデートをするのが流行になっているらしいのよ」


 そんな雑談を振ってきたのはフローラだ。


「確かに昨日中心街へと行った時、帽子を被っている女性が多かった気がしますね」


「皆、王女様の真似をしているそうなの」


 そう悪戯っぽく微笑み、流行を生み出した張本人が言う。


「王女様という方は影響力がすごいものだ」


 素知らぬように相槌を打つフィリス。小芝居を打つことすら楽しんでいる二人はなかなかいい組み合わせのようだった。

 向かい合ってテーブル席に座り、ヴィシソワーズに口をつける二人。時折微笑んで会話をする様はとても愛らしく、邪魔ができないような雰囲気を醸し出していた。

 さっさと退散しようと思っていたところにフローラの方から声をかけてくる。


「ソラノさんは黒麦って食べたことあるかしら」


「はい、ついこの間頂きました」


「私も先日口にしたのだけれど、なかなかこの国では浸透していないと聞いていて」


「僕としては黒麦の普及に力を入れたいんだけれどね」


 フィリスがヴィシソワーズを食べながら嘆息した。


「特にブランデル地方のものが美味しいんだ。贔屓じゃないけど、あの地方は僕が治水事業に従事していてね。よく作業夫と一緒に食べたものだけれど、城で一人で食べる食事の百倍は美味しかったよ」


 懐かしむように遠くを見ながら言うフィリスの瞳には、祖国の景色が映っているのだろう。


「黒麦は少々癖があるけれど、栄養価が豊富で林檎酒によく合うんだ。林檎のソーダにも合うから大人から子供まで広く楽しめる。大国グランドゥールで流行れば他の国ももっと興味を持つだろうし、そうなれば流通量が増える。黒麦はどんな厳しい環境でも育つから、貧しい国でよく作られている。そうした国から買い取ることができれば国が豊かになり、貧民が減る。いいことだらけだと思うんだけどなぁ」


 およそ十五歳の人間が話すような内容ではなくソラノはたじろいだ。さすが一国の王子なだけあって政治的なものの考え方が達者である。


「この国では前に黒麦を食べて体調を崩した人がいると聞きました。その体質を見抜くための薬液を作ったと、以前この店に来た商人さんが言っていましたけど……」


「うん、その話なら知っている。それを作るのも国家が関わった事業でね、結構大変だったんだ」


「でも、体質診断までして黒麦を召し上がる人がいるのかな、というのが一般の人の見解のようですよ」


 言いにくいこともズバリというソラノにフィリスは特に気を悪くした風でもなく、顎に手を当てふむ、と考え出した。

 

「私がいた世界では美味しい黒麦料理がたくさんあって、一般的に浸透していたんですけどね。少し残念な気持ちがあります」


「それは興味があるな、どんな料理なんだい?」


「ガレットという、薄く焼いた黒麦の生地にハムや卵を落として生地の端を折りたたんだ料理です。聞いたことありませんか?」


「うーん、残念ながらないな。是非とも食べてみたいところだ」


「私もです。そうですわ」


 フィリスの向かいに座るフローラがパチンと手を合わせる。


「そのガレットというお料理と私たちとで、また流行を生み出したらどうでしょうか」


「黒麦を使った珍しい料理を食べているところを国民に見せるか、それもいい手だな」


 確かにフリュイ・デギゼのフィーバーっぷりを鑑みると、それは効果がある手だろう。リアルインフルエンサーな二人が食べたとあれば、イメージの悪い黒麦でも食べてみたいという人々の好奇心をそそることができる。


「むやみやたらに色々な場所で売られるようになって、具合の悪い方が出てきたら困りませんか?」


 ソラノは疑問をこぼした。いくら過去に黒麦を食べて体調を崩した人間がいるという話が広まっていても、知らない人だっているだろう。仮に黒麦が流行し、色々なところで売られるようになり薬液で確認せずに口にする人が増えれば、それだけリスクが増えてしまう。

 このソラノの危惧に解決策を示したのはまたしてもフローラであった。


「なら、黒麦の輸入は国で管理するというのはいかが?」


「国で、ですか?」


「ええ。小麦や米といった主要穀物はね、グランドゥール王国で作っている分との兼ね合いがあるから国が全て輸入管理をしているのよ。船や海、陸路でこの国に運ばれてくる穀物は国管轄の倉庫に納められてそこから各商会へと卸す。黒麦もこの品目の一つに加えてしまえば卸す商会を厳選できる。そうしたら下手な商売をしているところに手は出せないはずよ」


 ソラノのみならずフィリスも唸った。

 フローラなどフィリスよりさらに年下の十三歳であるのにこの博識ぶりとは、この国の未来は明るそうだ。


「それなら現実味がありそうだね、うん。さすがは僕のフローラ」


 フィリスが蕩けてしまいそうな笑顔でフローラのことを褒め、フローラは照れたように頬をほんのりと朱に染める。ラブラブなオーラが辺りに漂っていた。


「帰ったら早速大臣に相談をしなくちゃ」


「僕も一緒に説得するよ」


 そうして二人はソラノをみて、裏も表もない純粋ないい笑顔を向ける。


「そんなわけなので、ソラノさんたちはお店で黒麦を使ったそのガレットというお料理を作ってくださらない?」


「え、ですが……」


 みなまで言わせず、フィリスが言葉を被せてくる。


「いいね、僕たちが二人で食べるなら思い出深いこのお店がぴったりだ」


「是非ともこちらのお店で一風変わった黒麦のお料理をいただきたいわ。シェフに伝えてくださる?」


 そう言われてしまっては断ることなどできない。二人は尊い身分の身の上であり、大切なお客様だ。

 ガレットを知っているのはソラノだけで、そしてその料理を再現できずに悩んでいる、とは言い出せなくなってしまった。

 ソラノは引きつる頰を誤魔化すようにお辞儀をして「善処いたします」とだけ答えた。

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