第39話【閑話】お引越し

「お世話になります」


 休日のある日、ソラノはわずかな荷物をもってカウマン宅を訪れていた。今日はアパートを退去して引っ越しをする日だった。 


「やあ嬢ちゃん」

「待っていたよ。部屋はきれいにしておいたからね」

「ありがとうございます!」


 カウマン夫妻が並んで出迎えてくれる。カウマン宅は王都郊外、ソラノが住んでいたアパートとは反対方向の場所に建っていた。店と同様に年季の入った建物で、屋根にも壁にも蔦が絡みついている。コの字型の建物の中庭にはよくわからない植物がわさわさと生えていた。少し重たい木の扉を開くと、手入れの行き届いた玄関からリビングが見える。


「ソラノちゃんの部屋はこっちね」


 そう言って案内してくれたのは二階の奥にあるこじんまりした一室だった。元は納戸にでもしていたのであろうそこにベッドが一台と木の机が一つ置いてある、いたってシンプルなつくりの部屋だ。ソラノはそこに王都に来て以来しまい込んでいたスーツケースと、荷物が増えたために急遽買い足したトートバッグを無造作に置く。


「俺たちの部屋がこの隣で、倅のバッシの部屋がそのまた隣、一番手前の部屋だ。あいつは中心街近くのアパートに住んでるからほとんど帰ってこないがまあたまに帰ってきたときに使う。今日は嬢ちゃんの引越し祝いに料理を作りにくるらしいから、またゆっくり話そうや」


「はい」


 バッシとは前に女王のレストランで一度会っただけだが、大層情熱的な人という印象が残っている。


「何か足りないものがあったら言っとくれね」


「ありがとうございます」


 この世界に来てから半年がたった。先日役所へと行きアパートを引き払う手続きをし、この国での正式な居住登録をし、金銭の受給がお終いになる手続きをした。ソラノはカウマン宅でお世話になるので、給料はこれから居住費を加味した金額が支払われることになる。ソラノとしては別に何十万ギールも欲しいわけではなく、住居が確保され、さらに食事までついてくるのだから後はちょっと自由に使えるお金があればそれでよかった。カウマン夫妻としてもさらなる金額の支払いが発生せず、家に一人家族が増える位で済んだのだからまさにwinwinの関係といえよう。


「私は娘が欲しかったんだよ。だからソラノちゃんが来てくれて嬉しいさ」

「マキロンさん……」


 二人はとてもソラノのことを歓迎してくれている。店でも一緒なので、これで一日中三人でいることになる。まるで家族経営の飲食店のようだ。


「私、家でも家事頑張ります。掃除でも庭の草むしりでも何でもやります」


「そりゃ頼りになるね」


「じゃあ早速、タマネギの皮むきをしちまおう」


 そう言ってカウマンがキッチンでどっさりとタマネギを取り出してきた。店用の仕込みだ。今日は店へは行かないから、代わりに自宅の方に届けてもらっていたらしい。


「はい」


 ソラノは山積みのタマネギをつかんで皮むきにとりかかる。べりべりと無言で皮むきをする横では、マキロンが帳簿をめくって金銭の計算をしていた。カウマンはパンの生地をこねている。


「しかし今回はえらい目にあったなあ」


「さすがにびっくりしました」


「まあ、無事でいてくれてよかった。何かあったら遅くまで働かせた俺たちの責任だ。死んだって詫びきれないぜ」


「そんな……私が弱すぎたのがいけないんです」


「俺からも何か技を仕込んでやろうか?」


「カウマンさんの技ってどんなんですか?」


「得物はいらねえ。素手だな。身体強化を施したパンチで、相手を殴り飛ばす。人間なら大体五メートルは吹っ飛ぶか、地面にめり込む」

 

 人間の代わりにパン生地をキッチン台の上にたたきつけてめり込ませながらカウマンは言う。


「え……怖っ」


 牛人族特有の力に加え、料理で鍛えた腕力は並みのものではないらしい。恐ろしい発言にカウマンを見る目が変わりそうだ。


「まあお嬢ちゃんはあの保安部の兄ちゃんから大層なモン貰ってたから、そんなに心配いらねえだろうよ」


「これ、そんなにすごいものなんでしょうか」


「そりゃすごいよ。魔法石ってのは等級によって値段が変わるんだけど、ソラノちゃんがつけているのはかなり希少なヤツだね。家に備わっているような一般的なやつだと水を出すとか火をつけるだとか、単純な魔法しかこめられないし持続時間も短いんだ。けどソラノちゃんがつけてる魔法石には、守りの魔法と位置探知の魔法が込められていて、しかも危険が迫った時に自動的に発動する仕組みになってる。なかなかのもんだね」


「魔法石自体もすごいが、そんな魔法を使えるあの兄ちゃんも相当すごいな」


「ええ、私、そんなにすごいものを貰っちゃったんですか。どうしよ……何かお礼、っていっても、何をあげれば喜ぶんだろう」


 今更ながら、デルイの趣味も好みも何も知らないことに気が付いた。今度会ったら聞いてみよう。


「あんないい男なかなかいないよ。しっかり捕まえておきな」


 マキロンが意味ありげにそう言う。


 仕込みを一通り済ませると、バッシが家へとやって来た。


「こんばんは! お嬢さん、ようこそ我が家へ! 家族が増えて俺も嬉しいぜ」


 両手を広げて大袈裟な挨拶をすると、大柄な体躯で家へと入ってくる。手には大きな袋を持っていた。


「今日はお嬢さんが家族になった記念の日だからな。とっておきのワインを持って来たぜ」


「あ、ありがとうございます」


「じゃ、早速夕飯の用意だな!」


 言うだけ言うと、バッシはキッチンへと入っていく。トトトトト、と何かを刻む音が聞こえて来た。ヒュンヒュンと切った野菜が宙を飛び、ボウルに収まっていく。料理をする様を見るのが楽しいので、ソラノはキッチンが見えるカウンターに座り、バッシが調理している様子をなんとはなしに眺めていた。気を利かせてなのか、バッシは話しかけて来てくれた。


「店の様子はどうなんだ?」


「お弁当を売り始めて、職員さんが毎日来るようになりました。四種類で二十食ずつ、あとは前からやっているサンドイッチも冒険者の人が買ってくれてます」


「リピーターを獲得するのはいい事だ。だがな、まさかとは思うが、あの立地でその客層で満足しているわけじゃねえよな?」


「まさか! 今の資金を元手に店を改装して、富裕層も冒険者もどっちもお店に呼び込もうと思っています」


「そりゃいい。夢はでかい方がいいからな」


「なあバッシ。そしたら店を半分任されねえか?」


 カウマンが会話に参加して来た。バッシの鮮やかに動いていた手が一瞬、ピタリと止まった。


「俺が弁当作るから、お前は店内を担当するといい。店のコンセプトもメニューも好きにしろ」


「成る程……独立ってわけか」


「お前ももういい歳だ。考えた方が良いだろう」


「そうだな。まだまだ今の店で学ぶ事は多いが、それも一つの選択肢だ。だが、改装には金がかかる。いくら貯めるつもりだ?」


三人は顔を見合わせる。いくらと言われたら、具体的な金額までは考えていなかった。バッシは振り向き、指を四本、突き立てた。


「四百万ギールだ! そこまで貯まったら俺も店へ行くことを考えよう」


  四百万ギール。大層な金額だが、今ならば不可能な数字ではないだろう。


「言ったな。破りやがったら承知しねえぞ」


「俺だって料理人のはしくれだ。店を持つのは料理人の夢だ。それのあそこは立地がいい、俺の料理の腕を振るうのにぴったりだ」


「バッシさんと働けるの、楽しみにしています。頑張ってお弁当を売ってお金を貯めます!」


「俺も楽しみにしているよ。ところでお嬢さん、アペリティフは何がいい?キールか、シャンパン、ミュスカか。今日は荷物になるから三種類しか持ってきていなくて申し訳ない」


「え? アペリティフ?」


 シャンパンがお酒の名前というのはわかるが、他のカタカナは一体何だろう。ハテナが浮かぶソラノのためにバッシが説明してくれた。


「アペリティフは食前酒の事さ。キールは白ワインにカシスを入れたもの。シャンパンは異世界の地方の名前らしいね。そこで作られた発泡酒の事らしいが、ここでその製造方法を確立した人物がシャンパンと呼んでいたからその名前になった。ミュスカは甘い白ワインだ」


「えーっと、じゃあ、シャンパンで」


「オッケー。父さん母さんも同じでいいか?」


「ああ」


「構わないよ」


 慣れた手つきでシャンパンのボトルを開けて、グラスに注ぐバッシ。四人でグラスを掲げて、カウマンが乾杯の音頭を取った。


「お嬢ちゃんの引っ越しを祝して」


「乾杯!」


 そうしてシャンパンを一口流し込むと、僅かに刺激のある口当たりと後からくる甘みに驚いた。フレッシュなブドウの味わいがする。


「美味しい。私お酒ってこっちに来てから飲み始めたんですけど、これはすごく飲みやすいですね」


「お嬢さんはお酒をあまり嗜んでいないと父さんから聞いていたからね。口当たりがいいものを選んだよ」


「バッシさん、優しいんですね」


 それを聞き、バッシは大口を開けて笑い出した。


「ハハハ! 俺は結構、厳しいことで有名だぜ」

 

「またまたそんな」


 ソラノは軽口を言ったが、直後にそれを後悔することになる。そうこれはーー地獄の歓迎会の始まりに過ぎなかった。

 

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