建造、就航、大改装

 巨額の建造費に青褪めた満洲国の張首相であったが、話がまとまってくるにつれ、僅かながら安堵することができた。

 大型貨客船『文殊』の建造に携わる三菱重工業が提示した額が、予想していたほど大きくはなかったのである。言うまでもないが、これには絡繰りがある。有事の際に軍事転用することしか考えていない陸海軍が三菱の担当者とグルになり、将来の艦艇やら特種船やらの発注の確約と引き換えに、契約が反故にならぬよう見積を調整したのである。

 無論、予想していたほど大きくはないといっても、相当な出費であるには違いない。その工面のため、関東軍やら満洲鉄道やらの関係者が暗躍し、政府資産の切り崩し等で何とか対応させたのである。なお売却先は大変分かり易い。


 ともかくもそんな訳で、建造は強引に押し切られる形となった。

 紆余曲折を経て起工された『文殊』であったが、これまた興味深い構造となった。鉄道車両が直接乗り入れ可能な格納区画がまずあって、その上に客室やらレストランやらが配置されている。まるで海に浮かぶ駅舎であった。あくまで理屈上の話ではあるが、大連まで特急あじあで乗り付けた乗客は、そのまま船旅に出られるのである。もっとも標準軌の東海道新線なんて当時は影も形もなかったから、東京駅まで行くことは不可能ではあったのだが。

 なお現代の視点からすると、RORO船と同じような具合と見えるかもしれない。載せるのは鉄道車両ではあるが、もしかするとその元祖と言えるのかもしれないのである。


 そうして船体の建造が始まった頃、とんでもない朗報が飛び込んできた。


「東京オリンピック正式決定」


「東京大会、抑え難し四年後の興奮」


 あちこちでばら撒かれた号外には、かような見出しが躍り狂う。

 それは満洲国にとっても一大好機であった。是が非でも東京に選手団を送り込まねばならなかった。特にアジア最大の貨客船たる『文殊』を用いて選手団を送迎したならば、確固たる独立国家という印象を強められるに違いない。さすれば未だ承認をせぬ米英仏の首脳も、なるほどこれは間違いあるまいと納得し、国交を結ぶ助けとなろう。そしてゆくゆくは東洋の米国と呼ばれる列強とかになって、満洲の工業製品なんかは極東を中心にバカ売れするであろうこと請け合い――と気の早い者は考えるのである。


「もしや皇帝陛下は、東京開催決定を見越しておられたのでは」


「とすれば何という名君であろうか」


 新京や瀋陽、大連の人々はそう噂し合い、満洲国の威信も大いに高まったものである。


 もっとも周知の通り、そうした期待は早くも翌年には潰え始めてしまう。

 かねてから緊張状態が続いていた大陸で、まず盧溝橋事件なんてものが勃発。これは現地部隊同士の折衝ですぐ決着を見たものの、ドイツ式装備とドイツ式訓練の優良師団を含む数十万を首都南京付近に集結せしめていた国民政府首魁の蒋介石は、目障りな上海租界排除を目論んで戦端を開いた。世に言う第二次上海事変である。上海租界を防衛するは、2個大隊2000人の特別陸戦隊のみであったから、鎧袖一触と考えても全く不思議はないであろう。


 だがこれまた奇妙な経過を辿る。驚くべきことに、国民政府軍の大惨敗である。

 特別陸戦隊は軽戦車数両を盾に頑強な防戦を続け、攻勢は途端に停滞。挙げた戦果といえば、開戦劈頭に租界の大飯店を爆撃し、居留民数百を無慈悲に殺戮したことくらいと言われたほどである。その間に日本本土からドンドコ師団が海上輸送され、更に日本陸軍は呉淞から強襲上陸を敢行。防衛陣地攻略の過程で万に達する犠牲を払いつつも、国民政府軍数十万を包囲撃滅することに成功してしまったのである。


 しかもそれで決着がついたと思いきや――戦闘はさっぱり収まらない。

 首都南京が陥落しても尚、武漢に移った国民政府は諸外国からの支援を頼みに抵抗を継続。マスみたいな名前のついた和平工作などもあったが、いずれも悉く失敗。日本本土でも動員が開始され、支那派遣軍は瞬く間に拡大。戦火は大陸全土に広がり、蒋介石の指示によって黄河の堤防が爆破され、数百万人が家や田畑を失ったりもした。まさしく泥沼の戦いである。


「今は国難の時、支那事変の処理にこそ集中すべし」


「もはや五輪だ五輪だなどと浮かれておる場合ではあるまい」


「諸君等と血肉分けたる何十万の将兵が、泥と血に塗れて懸命に奮戦していると知りながら、たかだか数人の競技選手の活躍に喝采するは、気狂いの所業としか言えぬ」


 事変収束の見込みが立たぬ中、そんな論調が日本中を駆け巡る。軍も戦争遂行に不要な事業を制限せよと喚く。

 結果、昭和12年7月の閣議で近衛内閣は開催権返上を決定。紀元2600年に合わせて大々的に催されるはずだったオリンピック東京大会は、見事に夢幻の泡沫と消えたのである。


 そうした影響は当然、満洲国が誇る大型貨客船『文殊』にも及んだ。

 オリンピック開催に向けて建造が続けられ、昭和13年初夏の頃には何とか完成していた彼女だったが――ほんの僅かな期間だけ大連と門司とを繋いだ後、日本海軍と契約を結んで軍需輸送を行うこととなる。それからも大陸戦線は拡大する一方で、翌年9月にはドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発。世界中何処もかしこも、豪華客船の旅なんて暢気なことを言っていられない時代に突入していく。


 そして世界新秩序樹立を目指す日独伊と米英との対立が決定的となった昭和15年、『文殊』は遂に日本海軍によって買収された。

 かねてからの計画通り航空母艦に、更には費用の一部を肩代わりした陸軍への配慮もあって、揚陸艦としての機能をも有した航空母艦『天鷹』へと生まれ変わるのである。また妥協の末に玉虫色の、仕様全載せの艦を作るのかと嗤うべきではないだろう。結果的にではあれ、彼女は強襲揚陸艦の元祖にもなってしまったからだ。

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