竜挐虎擲! マリアナ決戦㉕

フィリピン海:パハロス島西方沖



「ヌケサク、さっきからお前は何を言っておるのだ? 次こそ主力艦を狙わんでどうする」


 航空母艦『天鷹』露天艦橋にて心地よい潮風に当たりながら、高谷少将は思い切り怪訝な声を発する。

 珍しくこの場に現れた抜山主計少佐が、とんでもないことを口にし出したためだ。曰く、次のマリアナ救援作戦においては、空母や戦艦などを差し置いて、輸送艦や戦車揚陸艦などを攻撃目標とすべし。用兵に携わる身分でもない癖にいったい何を抜かすかと、憤るより呆れるくらいだった。


 それでもどういう訳なのか、尚も頑張ってくるのである。

 得意の大上段的戦略論を度々持ち出しながら、とにかくサイパンやグアムに諸島に上陸せんとする米将兵を、可能な限り大勢殺傷すべしと繰り返す。ついでに持ち前の能天気さ、いい加減さも消え失せていて、口振りも不可解なほど真剣だった。それっぽくは聞こえるが案外当てにならない予測ばかりするヌケサクだが、あるいは何か情報でも掴んでいるのかもしれぬ――出撃前夜の無礼講でも、何処か妙な具合だったと思い出しつつ、高谷はひとまず耳を傾ける。


「少将、残念ながら我が帝国を取り巻く環境は、酷くフェータルになったとしか言えません」


 頭痛を堪えるかのように抜山は言い、


「はっきり申し上げますと、このままでは必敗です」


「おいヌケサク、滅多なことを口にするな。今は退かざるを得ないとしてもだ……マリアナ沖では十分勝っただろう」


「それを踏まえても、こう結論付けざるを得ないのです。桐二船団や第一機動艦隊がやられたように、米海軍は既に原子動力潜水艦を運用しており……今はまだ1隻のみとは見られておりますが、今後量産が進むであろうことを踏まえると、本当に手の打ちようがなくなります」


「うむ……確かに、あんなのがゴロゴロいては話にならぬな」


 晩夏の炎天下にあって、高谷もまた言葉にし難い寒気を覚えた。

 艦隊が20ノット以上の速力で航行していれば、原子動力潜水艦とて襲撃はかなり困難となるようではある。だが鈍足の給油艦や油槽船はそれでやられてしまい、聯合艦隊は一時撤退へと追い込まれたのであるし、そもそも撃沈する方法がまるで見当たらぬという事実が何より拙かった。


「とはいえヌケサク」


 高谷は記憶を浚い、楽観的な可能性を拾い上げる。


「うちの義兄が前に言っておったが、原子燃料の生産というのはそう容易ではないとのことだ。実のところその1隻が限界、ということもあるんではないか? いや、それでも十分以上の脅威となるだろうが……今回の海戦のように、決定打にはならんのではないかとも考えられるぞ」


「関係筋から、としか現状では言えませんが」


 抜山は例によってノートを捲り、


「米国は最低でも十数キロ程度の原子燃料を確保していると見られ、これだけでも4隻程度の原子動力潜水艦が建造可能とのこと」


「ヌケサク、それはまことか?」


「はい、かなり確度の高い情報です。また原子燃料の生産は今後も継続、拡大するものと予想されます。対して我が方は、浦教授の黒鉛炉計画がようやく本格始動したばかりという状況で……やはりこれ以上の戦争継続は亡国に繋がるとしか。臥薪嘗胆を期し、帝国の原子燃料供給体制を構築するためにも、ここは早急に矛を納めねばなりません。そのためにも米世論の継戦意欲を早急に阻喪せしめることが最重要で、米軍のマリアナ上陸をその好機とする必要があるかと」


「……なるほど、だから輸送艦を狙って中の兵隊を水漬く屍にしてしまえか」


 眉を大いに顰めつつも、高谷は内容を吟味していく。

 聯合艦隊は少なからぬ犠牲を払い、米機動部隊に再起不能なくらいの大損害を与えたはずだが、それすらも徒花と言われているような気がしてくる。負け犬根性のなせる業と切り捨てたくもなった。しかし原子動力潜水艦の脅威は疑いようもなく本物で、それが何より腹立たしかった。


 加えて原子燃料の生産量に関しては、欺瞞情報に踊らされている可能性もあると思った。

 それでも抜山は、導出する結論こそ的外れだったりするものの、前提となる部分についてはまず違えない。とすれば――まったくなす術なく、母港を出るや否や一方的に撃沈されていく軍艦の姿が脳裏に浮かんだ。もはや主力艦撃沈などと吹いている場合ではないのかもしれぬ、そんな危惧すら脳裏を掠めてくる。


「なお少将、原子燃料についてですが、こちらは大威力兵器としての応用も可能と考えられます。恐らくそれは米超重爆に搭載可能な重量となると見られ、今回のマリアナ侵攻についても……」


「右舷70度、敵潜浮上中、距離3200!」


 突如として見張り員が絶叫し、雑談は強制的に中断された。

 視線が反射的にその方角を向く。頼もしい海大型や巡潜型とはまったく異なる、あからさまに米海軍のものと思われる潜水艦が、マッコウクジラのような勢いで海面に飛び出してきていた。


「な、何だッ!?」


 高谷は目の当たりにしたものに驚愕しつつも、猛烈な違和感を感じ取った。

 あるいは違和感しかないと言うべきかもしれない。相手が丸腰の商船ならいざ知らず、最低でも高角砲を有している大型艦を相手に、浮上砲戦を試みるなどなど自殺行為以外の何物でもないからだ。


 とはいえどうあっても敵は敵。白旗を揚げるでもない限り、容赦なく沈めるのが礼儀に違いない。

 すぐさま水上戦闘用意が発令され、『天鷹』右舷の高射装置が動作する。発砲諸元が急ぎ計算され、砲弾起爆用の電磁波輻射も開始される。敵潜水艦の艦首も艦尾もこちらを向いてはいなかったが、駛走中に大きく旋回する特殊魚雷を撃ってくる心算かもしれないから、やはり躊躇なく撃滅するべきだった。

 もっとも――そうした迅速なる対応は、直後に徒なものとなった。12.7㎝高角砲が射撃準備を整え、いざ撃たんとした瞬間、標的が爆発してしまったのである。


「おいおいおい、死んだわあいつ」


「一体全体、何しに来たんだありゃあ?」


 予想だにしなかった展開に、誰もが揃って唖然とする。

 理解困難な現れ方をした米潜水艦は、今度は天を衝くように艦首をそそり立たせ、そのまま深き海の底へと没していった。浜に打ち上げられた鯨が爆発するという話はあるが、浮上直後の鉄鯨までドカンとなるとは……そんな囁きまで聞こえてくる。


「とりあえず駆逐艦『檜』に、生存者の捜索と漂流物の回収を命じろ」


 高谷はそう命じ、おざなりで構わんと付け加える。

 それからどうにも微妙な空気の中、彼はあまり持ち合わせていない知恵を絞ってみた。何か引っかかるような気がしたためで、それを契機として突拍子もない妄想に辿り着く。


「なあヌケサク、さっきの潜水艦だが……もしかして例の原子動力潜水艦だったりせんか? 今朝がたメイロの奴が、何かにつけられているとか言っておったが、実際にそれだったという訳だ。でもって高速潜航中、原子動力機関がおかしくなってしまい、難を逃れんと緊急浮上したが、やはり沈んでしまったという筋書きだ」


「少将、流石にそれはご都合主義かと」


 抜山の返答は相当に怪しげで、


「確かに前例のない方式の機関は、当然技術的に未熟ですから、不具合を起こし易いといった事情もあるやもしれません。それでも艦影からして、先程の敵潜はバラオ級あるいはテンチ級だったかと思います。恐らく待ち伏せ中に事故ったか何かでしょう」


「ううむ、それもそうか」


 原子動力潜水艦の想像図を思い出し、高谷は己が適当なる発起を否定する。

 少し前にスケッチさせてみたそれは、大型海棲哺乳類のような流線形。海中を高速で進む兵器であれば、生まれながらに海を20ノット超で泳いでいる動物の形状に近付くという理屈で、そこに疑問をつけることは困難だった。試製した機関を既存の艦に据え付け、マリアナ沖へと送り出したとかであれば、色々と話も違ってくるかもしれないが……幾ら何でも無茶が過ぎると切り捨てた。


「まあいい。とにかく今はさっさと帰投し、再出撃の準備をせんといかん。早飯早クソ芸のうちという奴だ」


 高谷はそう言って鼻を鳴らし、元の業務へと戻っていく。

 かくして『天鷹』とその随伴艦は、空前絶後の大海戦が行われたマリアナ沖を離れていき……艦隊襲撃によって多大なる戦果を挙げた『ノーチラス』が、その最終局面において原子炉事故で沈没したという事実は、乗組員とともに太平洋の波間に消えた。また運用支援チームの壊滅に続いて実験艦たる彼女までが行方不明となったことで、米海軍の原子動力潜水艦計画は木っ端微塵になり、名だたる提督達の頭脳がおかしくなったりもした。


 ただこの天祐と言うに等しい僥倖を、帝国海軍はすぐに活用することができなかった。

 横須賀に帰投する直前だった航空母艦『天城』と戦艦『長門』が、あろうことか伊豆大島沖で相次いで被雷。その凶報を受けた聯合艦隊司令部は、これまでの損害も相俟って一気に腰砕けになり、サイパンやテニアンの守備隊が苛烈という他ない砲爆撃に晒される中、救援作戦の発動を棚上げしてしまったのである。

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