海上機動アラモ砦突入す・上
フィリピン海:サイパン島沖
「敵機動部隊に壊滅的打撃。襲来せる空母の大部分を撃沈破」
「第一艦隊、米新型戦艦群をマリアナ沖にて一掃。日本海海戦の再来との声も」
夜明けとともにばら撒かれた号外には、かような文字列がでかでかと躍っていた。
大本営が堂々発表したところによると、航空母艦13隻、戦艦7隻を含む50隻を撃沈。今次大戦の帰趨は決したと言えるような大戦果だった。もちろんそれが誇張である可能性も考えられたし、聯合艦隊も尋常ならざる損害を受けたようではあるが……大和型が揃って帰投しつつあることなどを踏まえるに、少なくとも負けてはいないようである。
だが第801海軍航空隊の藤井中尉は、提灯行列を準備せんとする市井の人々ほど楽観的にはなれなかった。
何故ならサイパンやテニアンといった島々は、未だに米艦載機による空襲を受けているためだ。第五航空艦隊は必死の防空戦闘を継続し、多数を撃墜するなりしていたものの、近く艦砲射撃が予想されることから、稼働機の大半を避退させるという。また司令部要員および乗機を喪った搭乗員についても、ヤップへと空輸することが決まっており、実のところ彼が機長を務める二式大艇は、その目的を果たすために飛翔しているのである。
「つまるところ、どういう状況なのでしょう?」
最近ペアを組んだ操縦士が、首を傾げながらぼやく。
「ラジオの通りの戦果が挙がっていたのなら、敵将ニミッツも尻尾を巻いて逃げ出すように思えます」
「今の太平洋艦隊司令官は、タワーズというのに変わったぞ」
藤井は一応そう訂正した。
それから4基の火星エンジンが順調に轟く中、詫間基地の士官室で囁かれていた幾つかの噂話を総合するなどし、努めて先行きの明るそうな話を組み上げた。
「情報によると、タワーズめは相当に功を焦っているそうだ。大統領交代のゴタゴタの中、手練手管を弄して太平洋艦隊司令長官になり遂せた男だから、ここで手柄を立てないと地位が揺らいでしまうらしい」
「なるほど」
「そのため機動部隊が信じ難いくらいの損害を受けても、上陸作戦を止められない……もっぱらそんな噂だな」
「とすればもう一押しすれば、米英の継戦意欲を崩せそうでしょうか?」
「ああ、間違いないだろう。俺達もそのために飛んでいるのだ」
疑念の余地なく断じた後、藤井はペアの者達に改めて警戒を促した。
暫しの後、敵影なしとの報告が上がる。それに安堵を覚えた後、彼は再び口を開く。
「それから発表がどれほど正確かが、一番気になっているところだろうが、仮に内容がとことん間違えているとしたら……」
既に敵機の追従攻撃を受けているはずだ。そう続けようとした矢先、想定外の激震に見舞われた。
背筋の凍るような轟きが耳を劈き、何かが超々ジュラルミンの外板を打擲する音が木霊した。高角砲に狙われている。そう直感した時には既に、二式大艇は回避運動を始めており……しかし連続的に放たれた近接信管付きの砲弾は、次から次へと近傍で炸裂し、たちまちのうちに左翼が火炎に包まれた。
「十時方向に敵艦ッ!」
見張り員兼任の機銃員が絶叫する。機体が急速に傾く中、反射的にその方向へと視線が向いた。
「なッ、馬鹿な……」
藤井は驚異に言葉を失い、己が目を疑った。
明らかにモンタナ級と見られる大戦艦が、間違いなくそこには存在しており、盛んに対空砲火を撃ち上げてきていた。どういった理由かは不明だが、一昨日の艦隊決戦を生き延びてしまったようで、すぐさま敵艦発見と打電しなければならなかった。
だが残念ながら、その務めが果たされることはなかった。
通信士が電鍵に指を乗せるより先に、5インチ高角砲弾が二式大艇のほぼ真横で炸裂し……空中戦艦とすら称された強靭な機体は、あっという間に四分五裂してしまったのだ。
サイパン島:バナデル飛行場
第343海軍航空隊にその人ありと言われた菅野大尉は、激戦をどうにか生き延びたうちの1人だった。
ついでに言うなら、とんでもない強運の持ち主だと言えた。何しろ第一艦隊直掩任務の折、機関砲の筒内爆発事故と敵機の襲撃で左翼が半分吹き飛ばされた紫電改を駆り、どうにかサイパンのアスリト飛行場に戻ってきてしまったのだ。有名な樫村少尉もびっくりなこの離れ業に、第343海軍航空隊の源田大佐も思わず目を丸くし、「まさか片翼帰還の英雄に2人目が出るとは」と漏らしたとのことである。
だがそんな傑物であっても、地上ではちょいと出来のいい人間でしかない。
しかも不時着の際に機体がひっくり返り、足の骨を折ってしまったから、空に上がって敵機をデストロイすることも当面叶わぬ。忸怩たる思いで敵艦載機による空襲を眺めることしかできぬ。となれば早急に内地へと帰還し療養に努め、新たな愛機を受領して戦線に復帰したいところであるが……どうした訳か、迎えの二式大艇が現れないのだ。午後4時半に到着するはずが、夕食時になってもやってこない始末である。
「ふむむ……このままでは島に取り残され、デストロイされてしまいますよ」
「チョクな、少し落ち着けよ」
飛行長で凄腕の志賀少佐が、味噌汁を啜りながら続ける。
「飛行艇の連中だって命懸けだ。エンジンの不調とかで引き返したのかもしれん。ここで気を揉んでも致し方あるまいて」
「ですがもうあまり時間はなさそうです」
菅野は焦燥気味に言い、少しばかり脇目を振った。
士官食堂の机には、誰も手を付けていない晩飯が並んでいたりもする。今日戻ってこなかった仲間の分だ。恐らくは空に散ったであろう彼等の顔という顔を思い出すと、まったく居ても立ってもいられなくなる。
「近く、サイパン島が敵戦艦に囲まれてしまうやも」
「オヤジの話では、まあ明後日までは大丈夫だそうだ」
志賀は落ち着いた態度を崩すことなく言い切る。
「今日もヤップの航空隊が米特設空母群を襲撃し、何隻か撃沈破したという。それらの補充分の到着を待ってからでないと、危なくて艦砲射撃などできぬだろうという見積りで……」
「大変、大変だ。沖に敵戦艦が出現した!」
飛び込んできた者が大声で叫び、志賀の説明はいきなり覆る。
「馬鹿なッ」
「どういうことだ」
士官食堂に居合わせた者は揃って慄然とし、たちまち大騒ぎになる。
悠長に飯など食っている場合ではない。誰もがガタッと席を立って真偽のほどを確かめに向かい、菅野もまた松葉杖を突きながらそれに追従した。
そうしてマッピ山の監視哨へと到達すると……水平線に程近い海の一角が、突然に瞬いた。
フィリピン海:サイパン島沖
「おお……待っていたぞ、この瞬間を!」
挨拶代わりの発砲と同期して、病的なまでに昂ぶった咆哮が木霊する。
それは戦艦『ワシントン』艦長たるマキナニー大佐の、極まりなく獰猛な歓喜の声だった。もはや彼はスマートな海軍将校というよりは、港という港を襲撃して回るヴァイキングの棟梁が如き雰囲気を醸していた。
「サイパン一番乗りの栄光を手にするのは俺達だ!」
「ジャップどもを片っ端から、潰れたトマトみてえにしてやらあ!」
乗組員達も総じて殺意を滾らせ、異様なる熱気に身を任せる。
忘我の狂戦士を思わせるそれは、これまでの苦難の道程が生んだものだった。砲戦に敗れたる『ワシントン』を座礁させ、6万トンの浮き砲台にせんと決断したのも束の間、彼女の機関は再び沈黙してしまい、追加で30時間以上も漂流する破目になった。その間にミッチャー中将の機動部隊は大損害を被って後退し、まったく敵対的という他ない海域で、救援ひとつ呼ぶことの叶わぬ地獄へと追いやられていたのだ。
かくの如き絶望的状況にあって、せめて雄々しく戦って死にたいと、艦内の誰もが等しく願った。
そして切なる祈りは神の許に届いた。友軍がマリアナ沖で盛り返しているとの情報が入った直後、機関の復旧連絡が齎され、しかも速力が11ノットまで回復したのである。ならば敵地へと赴かぬ理由などあるはずもない。『ワシントン』は増大する浸水も構わず突撃し、不注意なる敵飛行艇を両用砲で瞬殺するなどの幸運に浴しながら、ただひたすらにサイパンを目指し――遂には艦砲射撃を行うに至ったのだ。
「さて、何処に砲台を設置してやろうかね」
「艦長、サイパン北岸は如何でしょうか?」
砲術長が満面の表情で進言し、
「何でもその辺りには厄介なバナデル飛行場と、断崖絶壁を刳り貫いた格納庫があるとのこと。率直に申しますと、自分はそれを18インチ砲弾でもって撃滅してみたくあります」
「ほう、それは大変に良い案だ」
マキナニーもまた目を爛々と輝かせ、その様子を脳裏に浮かべる。
実際、かの航空基地を破壊できれば、味方は大幅に有利になると予想された。どれだけ爆撃しても容易にその能力を奪えぬだろうと事前に評価されていたが、大口径砲弾を真横から撃ち込まれることは流石に想定していないはずで……思考がそこまで到達した際、直感的大電流が神経系を駆け抜けた。
「改めて、良い案だ。だが砲術長、私はもっといい案を今思いついた」
「というと……如何なる内容でしょうか?」
「分からんかね?」
マキナニーは大胆不敵という他ない笑みを浮かべ、数秒ほど回答を待った後に続けた。
「断崖絶壁を刳り貫いた格納庫とやらに武装した乗組員を送り込み、我々のものにしてしまうのだよ。いきなり北から攻め入られるとは敵も思っていないだろうから、警備も手薄であろうし、奪還を試みようものなら、我等が『ワシントン』の砲撃が待っている。これが最高だとは思わんかな?」
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