海上機動アラモ砦突入す・中

サイパン島:バナデル沿岸



「総員、衝撃に備えろ。さっきとは比べ物にならんのが来るぞ!」


 かの号令が発せられた直後。喩えようのない衝撃が戦艦『ワシントン』を揺さ振った。

 艦の速度は十分に落としてあった。それでも6万トン超の巨躯が持つ慣性力は凄まじく、礁をガリガリと破砕して突き進んでいく。生命を直接脅かさんばかりに轟く異音の中、乗組員達は取っ手に掴まるなどして必死に激震を堪えるが、やはり結構な人数が全身を打ち付けるなどして負傷した。


 それでも英雄的なる先代の魂を受け継いだ艨艟は、ここに来て著しい強運を発揮した。

 岩石質な海底に艦体をめり込ませながら、海面に対してほぼ水平を保って停止した彼女は、すごぶる安定した要塞となっていたのだ。成功を確信した艦長のマキナニー大佐は、ただちに各部署の被害を報告するよう命じ――程なくして親指をグッと立てた。沿岸防衛用と思しき大型魚雷を3発も食らった挙句の座礁であったが、発電機や電路、揚弾機構などに損傷はなく、唯一残存した二番砲塔は問題なく動かせると判明したのである。


「よし、砲撃再開」


 マキナニーは戦意を滾らせ、即座に命じた。


「小癪な火点など、片っ端から叩き潰してしまえ」


「了解。片っ端から叩き潰してご覧に入れます」


 砲術長が威勢よく応答し、『ワシントン』は戦闘状態へと移行せんとする。

 その間も真っ黒な島影の各所に閃光が瞬き、艦のあちこちから金属塊の弾ける音が響いてくる。サイパンの日本軍守備隊も決死の反撃を仕掛けてきているのだ。それらは最大でも8インチ級の砲弾であるようで、モンタナ級戦艦の分厚い装甲を射貫できるはずもなかったが、右舷甲板に並ぶ両用砲や機関砲の幾つかは既に破壊されている。地上戦において重要な火力を減殺されぬためにも、早急に無力化する必要があった。


「撃てッ!」


 号令。旋回を終えた長大なる砲身が、火吹き龍の如く吼えた。

 殷々たる響きとともに放たれたのは、重量1.4トンを誇る18インチ砲弾。1秒と経たず目標を捉えたそれは、断崖の上に据えられていた沿岸砲台を木っ端微塵に粉砕した。残存する両用砲群もまた反撃を開始し、紅蓮の奔流となった砲火がバナデル平原を薙ぎ払っていく。まったく圧倒的という他ない光景だった。


「さて副長、そちらはどうだ?」


 艦内電話でもって、マキナニーは手短に尋ねる。


「一世一代の大喧嘩の準備は整ったか?」


「はい、たった今。陸までほんの僅か、泳いでだって揚がれます」


「よろしい。では予定通り、5分後にサイパン殴り込み作戦開始だ。あらん限りの火力でもって援護するから、何としてでも浜を確保し、後続のための道を啓いてくれ」


「はい。我等が『ワシントン』の栄光を、全世界に知らしめてやります」


 斬り込み隊を率いる副長は、心底嬉しそうな声で豪語した。

 陸戦に不慣れな軽武装の寡兵をもって、敵の大軍が待ち構える地獄へと突っ込む訳であるから、これが最後の会話となるかもしれぬ。しかし誰よりも勇ましき彼等は既に、子々孫々まで伝わるであろう伝説の中に生きているのだ。艦長として持ち場を離れる訳にはいかぬとはいえ、マキナニーは羨望の念を禁じ得なかった。


 そして『ワシントン』に残って戦う乗組員達は、崇高なる精神が徒とならぬよう、とにかく火力を投射し続ける。

 18インチ砲の交互射撃によってトーチカを大地ごと削り取り、5インチ砲弾の弾幕を見舞って逃げ惑う敵兵や車輛を吹き飛ばす。そうした中、手持無沙汰かに見えた左舷の両用砲が鎌首を擡げ、最大仰角での発砲を開始した。


「よし、英雄になってこい」


 照明弾が青白い燐光を放つ中、マキナニーは声を枯らして激励した。

 剽悍決死のアメリカ人達はカッターに分乗し、あるいは敢然と海へと飛び込み、サイパン目掛けて吶喊していく。彼等の征く手を阻むものは、少なくとも今は存在しないようだった。





「おおッ、本当に浮き砲台になってやがるぜッ」


「流石『ワシントン』、俺達に思いつかないことを平然とやってのける」


 興奮に彩られたるどよめきが、次々と航空無線に木霊する。

 撃沈されたとばかり思われていたモンタナ級戦艦が、満身創痍ではあるにしろ生き延びており、しかもフォレイジャー作戦の先駆けとなった。航空母艦『エンタープライズ』の夜間戦闘機乗り達は、発艦の直前になってその事実を聞かされ、当然ながら驚喜した。そして彼等の欣喜雀躍ぶりは、サイパン島北部にて孤軍奮闘する彼女の姿を見た瞬間、最高潮に達したのだった。


「これはまさしく、真に英雄的な戦いとなりそうだ」


 F6F夜戦型の中隊を指揮するマーティン大尉も、伝説の一部とならんと欲する。

 翼にミートボールの夜間戦闘機は存在せぬようだから、制空権については問題ない。となれば如何に『ワシントン』を支援するかが重要で、最適な手段について思案していたところ、新たな交信が始まった。


「イーグルオウル、こちらアラモ。聞こえているか?」


「こちらイーグルオウル1、よく聞こえているぞ」


「素晴らしい。イーグルオウル、来てくれて感謝するぞ」


 『ワシントン』の通信員は声を弾ませ、続けた。


「そういう訳でイーグルオウル1、早速だがひと仕事頼みたい。マッピ山南麓の敵砲兵を潰してくれ。先程からあれこれ飛んでき始めたが、山の陰になっていてこちらからでは当てられない」


「イーグルオウル1、了解。すぐに叩く」


 マーティンは要請を受領し、翼を傾けその方向を睨む。

 宵闇に包まれた島影に、時折瞬くものが幾つか目についた。射程からして迫撃砲だろうか。18インチ砲に比ぶるべくもない兵器だが、上陸中らしい陸戦隊には脅威に違いないから、早急な撃滅が必要に違いなかった。


 そうして僚機を分散させた後、針路を修正しつつ緩降下。

 照準環の中央に目標を捉え、距離が十分に縮まったところで高速航空ロケットを発射した。固体燃料の白煙を煌めかせて突き進むそれの軌跡を目で追いながら、更に機銃掃射を見舞う。ただ高難易度の夜間攻撃ともなると、なかなか一撃必殺とはいかぬもので……機首を引き起こした後に確認すると、残念なる現実が飛び込んできた。


「だがそれでも、空を押さえているのはこちらだ」


 マーティンはそう嘯き、尚も戦意を滾らせた。

 喩え命中しなくとも、航空機が頭上にあればそれだけで、敵砲兵は冷静な射撃を行えなくなるはずだ。そのような自然的なる予想の下、高度に地下化された要塞への攻撃を反復する。





 サイパン島:バナデル飛行場



 米陸戦隊上陸。その報に驚愕せぬ者など、ただの1人としていなかった。

 しかもまったく予期せぬ方角から、いきなり殴りかかられた形だった。米軍が揚がってくるとしたらサイパン南部、誰もがそう考えていたことから、バナデル近傍の兵力密度は希薄という他にない。


 だが大隊が複数配置されていたとしても、結果は同じだったかもしれぬ――そう思えてしまうほど、艦砲射撃は苛烈を極めた。

 瀕死の重傷を負いながらも、数個師団分の火力を発揮し続ける米巨大戦艦。その絶大なる加護を受けながら、つい先刻まで船乗りであった者達が、疾風怒濤の勢いで戦線を押し広げてくる。彼等の数は大したことなく、地上戦闘については素人も同然であるはずだが、直接照準される艦砲の威力はそれを補って余りあるほど凄まじい。何らかの形で反撃を試みようものなら、たちまち両用砲に滅多打ちにされてしまうようなあり様だった。

 そして態々揚がってきたアメ公どもの目的は……マッピ山の断崖絶壁に穿たれたる横穴式航空要塞の司令室にて、状況把握に努めていた源田大佐は、そこで戦慄的なる直感を得た。


「奴等、ここが狙いか!?」


「えッ……」


 居合わせた士官達が、たちまちのうちに浮足立つ。

 何しろ航空隊所属の面子だ。熾烈な空襲や艦砲射撃に抗堪しつつ、航空作戦を継続させる知恵と技能はあっても、地上戦に関するそれは、訓練で何度か小銃を撃ったことがあるくらいだろう。


 しかもその直後、狼狽具合を見計らったかのように、言語に絶するような激震と轟音が迸ってきた。

 噎せ返るような砂塵が舞う中、大口径砲弾により、正面の防爆扉が倒壊したとの報告が飛び込む。となればもはや疑う余地もあるまい。米軍の立場で考えれば、ここを占領すれば航空戦力を根本から破壊できる上、新たに退避壕を得られる形ともなるから、まさに一石二鳥という具合なのである。


「戦闘準備だ。搭乗員以外は何でもいいから武装させ、壕内での戦闘に備えさせろ」


 源田は意を決して命じ、必要なら航空機銃を剥ぎ取っても構わぬと付け加える。


「それから工兵連隊に連絡、入口の爆破準備を急げ」


「司令、それは……」


「いいから急げ。時間がないぞ」


「り、了解しました」


 部下が揃って敬礼し、ともかくも行動を開始する。

 島嶼が包囲された中での航空作戦すら想定した根拠地は喪うのは、正直なところ大変に惜しかった。しかし目の前に戦艦に居座られたのではどうにもならぬし、銃声も近付いている気配であるから、有事の際の自爆機構は今こそ使うべきに違いない。


(しかし何故、あの馬鹿の妄言が現実になっちまってるんだ)


 あれこれ指示を出していく源田の脳裏を、昨年初頭の記憶が過った。

 大西中将が伊豆にて催した、マリアナ防衛に関する私的兵棋演習。海軍一のバンカラなる高谷少将とチンピラゴロツキの打井少佐が米海軍を担当した際、無茶を通して道理を爆散させるような真似をしまくっていたが……にわかには信じ難いことに、それは今目にしている現実そのものだ。


 ただそうであるならばこそ、一層の奮闘努力を講じなければなるまい。

 かの想定においては、浮き砲台となった戦艦が決め手となり、米軍のマリアナ上陸が成功との判定になった。ならばこの先、演習と同じ結末を辿る訳にはいかぬのだ。

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