竜挐虎擲! マリアナ決戦①

父島:二見湾



 夏も終わらんとしていた8月28日。米機動部隊出撃の報に、海軍の誰もが色めき立った。

 太平洋において雌雄を決する時が、遂にやってきたのである。追加の航空偵察や電波情報解析からそれを確信した聯合艦隊司令長官の豊田大将は、同日中にあ号作戦決戦用意を発令。沖縄は中城湾に集結したる第一、第三機動艦隊および小笠原の第二機動艦隊に属する艦艇は、急ぎマリアナ沖へと赴く準備を始めた。


 それから出撃を前に催されるは、大無礼講のドンチャン騒ぎに違いない。

 こればかりはどの艦でも同様だ。酒保開けの号令とともに、酒と肴の大盤振る舞いが始まって、どいつもこいつも好き放題に酔い痴れる。臨まんとしているのが今後未曾有、空前絶後の大海空戦ともなれば、これがアルコールを嗜む最後の機会となる者も多く出よう。となれば欠片も未練が残らぬよう、メートルを上げまくって盛り上がるのである。

 もっともこういう時に無礼を通り越して無軌道となってしまうのが、航空母艦『天鷹』の乗組員だ。酔って暴れるは当然として――今回は女にモテぬやくざな下士官兵が、ヘル談に興じる陸奥大佐を簀巻きにし、強制飛込競技をさせたりするから相当だ。


「まあいい、とにかく次は決戦だ。奢れるアングロサクソンどもを撃滅し、黒船以来の鬱屈を晴らそう」


「今にみていろエセックス級空母全滅だ!」


「聯合艦隊に『天鷹』ありと、天下に知らしめてやろうではないか」


 名物のエビ天などムシャムシャと食べながら、666空の搭乗員などは大いに気炎を上げる。

 彼等が征くべきは、雲霞の如き直掩機が待ち構え、数多の防空艦が猛烈なる対空火力を見舞ってくる空。ひとたび出撃ともなれば、少なくとも半数は未帰還となるに違いないが、怯懦の色など露も見えない。元より畳の上では死ねぬと覚悟を決めた身だ、命に代えてでも米主力艦を撃沈し、もって男児の本懐を遂げようではないか。遠足を明日に控えた尋常小学校の生徒のような隈なき面持ちで、まったく剛毅に談笑するのだった。


 だが高谷少将にとっては、これが心苦しいところであった。

 周知の通り、3つの機動艦隊の密な連携でもって米機動部隊を撃滅するというのが、あ号作戦の骨子に他ならぬ。だが何よりの問題は、七航戦が所属する第二機動艦隊の役割が、主力艦撃沈と程遠そうなことだった。最近の米海軍は早期警戒網の構築を意図してか、空母群の前方50海里ほどの海域に電探搭載の駆逐艦を配置するという戦術を採っており……つまりはそれら前哨部隊の撃滅が、最優先の任務と決まってしまっていたのである。


「いやはや、まったくどう納得させたものか分からん」


 あちこちを回って騒いだ後、司令官公室へと戻ってきた高谷は、盛寿の酒をやりながら愚痴を零す。


「だいたい俺ですら納得できておらん。何だって毎度毎度、つまらん任務ばかり押し付けられるんだ。手柄が挙げられんよう邪魔しておいて、手柄が挙がらんと囃し立てる、どういうことだ畜生」


「にゃご」


 返事をしたのは猫のインド丸だ。既に沈没中の鳴門中佐の傍らを離れ、ぴょんと肩へと飛び乗ってきた。

 少しばかり気分が和む。何も分からぬ動物に当たっても意味がないし、そもそもそのような行いは卑しいとしか言えぬ。


「とはいえ少将、それが作戦であれば致し方ありますまい」


 十数秒ほどの後、そう言ってきたのは抜山主計少佐である。

 かなり出来上がった彼は、例によって旨そうな握りをパクパク平らげながら、妙に生真面目な声で続けた。


「皇国の興廃は、何がどうあろうと次の一戦で決まります。となれば『天鷹』の手柄がどうと、七航戦の戦果がどうと、細かい事を言っておる場合ではないでしょう。まず勝たぬことには話になりません」


「うん、何だヌケサク」


 高谷は憤るより先に呆気に取られ、


「主計少佐の分際で、角田中将と同じような説教を垂れる心算か。普段なら米英の世界戦略的にうんたらとか、世論情勢や経済が云々とか、そういう大上段な話ばかりする癖にどうした? 何か妙なものでも食ったか?」


「それらを踏まえて色々考察したところ、まさに次の一戦が大戦略的に重要と判断いたしました」


「ヌケサクな、そんなのは子供でも分かる話だぞ」


「少将、実のところ想定を遥かに上回るほど死活的な……」


 抜山はそこで唐突に目を見開いた。間もなくガタンと席を立ち、急ぎ厠へと駆けていった。

 やはり妙なものでも食っていたのだろうか。高谷は酒をグビリと飲みながら首を傾げ、前哨部隊を撃滅した後にも機動部隊攻撃の機会はあるはずだと、まあ適当に思うこととした。沈めねばならぬ米空母は20隻以上もいるはずであるし、そもそも『天鷹』とてそれまで無事でいられる保障などまったくない訳ではあるが、つまるところ勝負は時の運。あまり悪い方向にばかり物事を考えても、さっぱり益もないに違いない。


(であれば第二次攻撃隊は……うん!?)


 高谷もまた腹部に猛烈な違和感を覚え、これまた一気に青褪める。

 すぐさま肩の上のインド丸を放り出し、全速力で向かうは同じく厠。時たま無茶苦茶をやることで知られる烹炊長が、食すとよろしくない効用のある魚類を高級魚と勘違いし、刺身にして出してしまったのが原因だったが――あ号決戦の出撃前夜な夜更けまで、相も変らぬ調子であるから仕方ない。





太平洋:マーシャル諸島沖



 クェゼリン環礁の沖合にあったのは、現代に蘇りし無敵艦隊と呼ぶに相応しい艨艟の群れであった。

 史上最強を誇る第58任務部隊だ。5つの任務群の主力たるは合計21隻もの航空母艦で、翼に星を描きたる艦載機は1300を超える。一方の守備もまったく抜かりない。戦艦9隻、大型巡洋艦3隻を始めとする1グロス超の護衛艦艇が、あらゆる邪悪や災厄を祓う神々の盾の如き防御陣形をなしていた。


 それらが百数十の航跡を海面に棚引かせ、18ノットで威風堂々向かう先は、言うまでもなくマリアナ沖である。

 8月初めの作戦では、日本軍の基地航空戦力に大打撃を与えることに成功したものの、後方の支援艦隊が理不尽にも全滅してしまった結果、マーシャルまで一時撤退せざるを得なくなった。お陰で太平洋艦隊司令長官たるタワーズ大将は相当に参ってしまい、トルーマン大統領も木工品のブラキオサウルス相手に独り言を零しまくっていたとの噂だが……半月ほど時間をかけただけあって、将兵の士気は最高潮に到達。被雷した航空母艦『ベニントン』の代打として同級艦の『ボクサー』を編入するなど、喪失艦、損傷艦の補充もほぼできた形となっていた。


「もっとも、今度は各個撃破とはいきそうにないな」


 太平洋随一の機動部隊指揮官として知られるミッチャー中将は、厳然たる面持ちを崩さない。

 航空母艦『タイコンデロガ』より任務部隊を睥睨する彼の脳裏には、爆音とともに迫り来る日本軍機の姿が浮かんでいた。高空より一糸乱れぬ急降下爆撃をなし、また海面を這うような雷撃をしてくるそれらは、未だ凄まじい脅威のままだった。


「それに……ベンチ入りしていたパイロット達が、あの忌まわしい食中毒空母のせいで機体ごと沈められてしまった。参謀長、君の言う通りトラックの残存艦艇を叩きにいっていれば、もっと有利に事を進められていたかもしれんな」


「中将、それは結果論かと」


 参謀長のブローニング大佐が即答する。


「自分もあの場では艦砲射撃による航空基地撃滅に賛成いたしましたし、今更ああしていればと考えても無駄です。結果に責任を負うのが指揮官と仰られるかもしれませんが、未だ指揮官であり続けておられるのですから、次の作戦を成功させることでしか責任を果たすことはできないはずです」


「うむ。まったくその通りだよ」


 ミッチャーは少しばかり表情を緩め、


「だが敵機動部隊も健在となれば……いや、空母のうちの何隻かは例の新型潜水艦が削ってくれるかもしれんが、厳しい戦いになることだけは間違いなかろう。ピュロスの勝利となるかもしれん」


「それでも勝負をせぬよりは良いでしょう。世論も些か動揺気味となっているとはいえ、諦めたらそこで試合終了です」


「まあマリアナを取らぬ限り、太平洋での戦は終えられぬし、戦を終わらせるのは我等海軍か」


 大統領の意向をそれとなく思い出し、僅かに瞑目して肯く。

 それから敢闘精神旺盛なブローニングの双眸を直視。決戦前だというのに弱気になってどうする、そう自分に喝を入れる。


「すまんな。下らぬ愚痴に付き合わせた」


 ミッチャーはそう言って雑談を切り上げ、改めて麾下の艨艟を一望した。

 世界に伍するもののなき大艦隊の、水平線に収まり切らぬ威容が、魂魄を際限なく震わせる。これだけの戦力をもって進撃したならば、相応の犠牲は払わねばならぬとしても、必ずや勝利を手にできるに違いない。かような確信が精神に満ち溢れ、合衆国と海軍の栄光のために働くべき時は今と、内なるものが訴えかけてくるようだった。


 それでも引っかかるのは、マリアナ沖で勝ち星を挙げたとしても、枢軸諸国の完全屈服には結び付きそうにないが故だろうか。

 欧州での熾烈な航空戦を見れば明らかなように、B-29でもって東京を爆撃したところで、それが決定打とはなり得ない。とすれば既に戦争は条件闘争の段階に入っているのか、あるいは自分の与り知らぬ特異な力学が作用しているのか。まるで詳らかでない事情のため、サイパンやグアムでの地上戦を含めれば最低でも数万が犠牲となるであろう状況は、歴戦の提督にとっても無条件には受け入れ難いもので――同時にそれは、最重要機密管理の成功を意味してもいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る