竜挐虎擲! マリアナ決戦②

サイパン島:バナデル飛行場



 9月初日の夕暮れ時。朱色に染まった滑走路に、日の丸の翼がふわりと降り立った。

 先程まで雲上の世界で戦っていた、決戦部隊たる第343海軍航空隊の紫電改に違いない。それも燃料弾薬の限界まで敵を追い回していた中隊だった。午後3時半頃に来襲した概ね80機のB-29に対し、どうにか再建された第五航空艦隊は指揮下の陸軍機を含めた精鋭53機を投入。高射部隊との巧みな連携でもってその1割5分を撃墜破したのだが――食らい付いたら離れぬ猛犬の如き追撃により、更に2機を戦果に加えたのである。


 無論、帰還した紫電改の中には、よくぞ戻れたものだと唸りたくなるようなものもあった。

 とはいえ大部分は損害軽微。整備員達がマッピ山北麓の洞窟格納庫に機体を収納していく中、搭乗員達は司令なる源田大佐の前で赫々たる戦果を報告し、解散の号令と同時に待機所に駆けていった。そうして炭酸弾けるラムネでもって喉を潤しながら、幸先のよい勝利を仲間達に自慢しまくるのだ。

 もちろんその急先鋒たるは、デストロイヤーとかデストロイ様とか言われている菅野大尉。彼は共同撃墜の功を得て上機嫌だったが、もうひとつ朗報を携えてもいた。


「なに、デストロイヤーを見た?」


 飛行長の志賀少佐は面白そうに首を傾げる。


「鏡でも見てきたってことかね?」


「いえ、自分のことではありません」


 菅野は悪戯っぽく微笑み、


「デストロイヤー、つまりは駆逐艦を目撃いたしました」


「おおッ、本当か?」


 志賀が驚嘆の声を上げ、他の戦闘機乗り達もまた目を輝かせる。

 目撃したのは秋月型と思しき駆逐艦だった。何故か北西方向に逃れたB-29に追従攻撃を仕掛け、どうにか止めを刺した直後、水平線上にそれらしき艦影を見つけることができたのだ。


「位置からして、これが友軍のものであることは論を俟たぬでしょう。聯合艦隊はすぐそこまで来ております。つまり明日こそ大規模デストロイデーとなるに違いありません」


「皆、聞いたな? 明日こそ太平洋大決戦となる公算大という意味だぞ」


 決戦という語に奮わぬ者などいるはずもなく、意気軒高なる声が幾つも上がる。

 何せ月初めの戦いでは、頼みの聯合艦隊はさっぱり現れず、激烈なる艦砲射撃を耐える他なかった。かの苦々しき記憶を思い返せば、胸が弾むのも至極当然だ。たとえ今来援しようとしているのが、マリアナ決戦劈頭に基地航空隊と協同対空戦闘を実施する予定の前衛部隊で、その後には西方へと避退する計画だとしても――間近で味方のフネを見ながら戦えるというのは、やはり嬉しくてたまらぬものに違いない。





太平洋:サイパン島沖



「どうやら陸軍の連中はしくじったらしい。大型爆撃機と誘導爆弾を多数揃えて戦果は皆無、一方で被害は甚大ときた」


「だが諸君等はドジなど決して踏まない、私はそう確信している。何故なら諸君等は航空母艦に乗る精鋭だからだ。敵は疑いようもなく強く、まったく侮り難い連中だが、今や機体も練度もこちらが上。ならば一切恐れることなく、海軍と母艦航空隊の誇りにかけて、人食いミートボールを見事平らげてきてもらいたい」


 航空母艦『ワスプ』艦長はかの如く演説し、先鋒たるパイロット達は愛機に飛び乗っていった。

 午前4時半の暗がりの中、飛行甲板よりカタパルト射出されていったのは、真新しきF8Fベアキャットの群れ。軽量小型の洗練された機体に大馬力エンジンを搭載し、時速700キロ超の最高速力と圧倒的な加速・旋回性能を誇るそれらは、レシプロ戦闘機の集大成と呼ぶに相応しい存在だった。


 しかも指揮官は歴戦のアスティア少佐となれば、まさに翼を与えられたライオンである。

 当然、傑出したリーダーの下には綺羅星の如き実力者が集う。闇夜にあっても危なげなく隊伍を組み、艦隊上空で乱れのない編隊飛行をしてみせた彼等は、他の母艦から上がってきた連中と比べても技量が際立っている。恐らくは、合衆国海軍の最優秀戦闘飛行隊の1つに数えられるに違いない。


「そして今日、俺達のチームワークは試される」


 編隊をして西北西220海里の敵地へと向かわしめた直後、アスティアは航空無線越しに訓示する。


「サイパンは地獄の島に逆戻りで、恐るべきジェット機すら確認されている。だからこそ常にクールであれ。敵を深追いし過ぎて僚機を見失ったとか、頭に血を昇らせた末に撃墜されたとか、そんな無様を俺は絶対に許さん。いいな?」


「了解。常にクールであれ」


 飛行隊のモットーが異口同音に叫ばれ、燃えるような意気込みが電波に乗った。

 それから星空の下、編隊がきちんと維持されていることを定期確認しつつ、アスティアは部下との雑談に興じていく。故郷の女の話であったり、フットボールで逆転勝利したといった自慢話であったり、正直なところ他愛ない。だがそれが最後の会話となるかもしれぬと思うと、如何なる内容も尊く感じられるものだった。


「それでですね隊長、自分はこう言ってやったんで……」


「おっと、時間だ」


 蛍光する航空時計の針を一瞥し、試練の時が来たことを告げる。

 背を向けたる東の空は、何時の間にやら薄っすら明るみ始めていた。目的地までの距離は60マイルほどで、己が精神のスイッチを空戦へと切り替える。


「続きは帰りの楽しみとしよう。全機続け」


 アスティアは命令し、同時に操縦桿を前に倒した。

 彼の愛機は教科書に掲載されてそうな軌跡を描いて緩降下し、部下の操る機体もまたそれに追随する。高度1000フィートほどで引き起こし、払暁の空を大速力で駆け抜けていく。


 タッポーチョ山に据えられた厄介なレーダー。その覆域を掻い潜るための機動に違いなかった。

 高速での低空侵入でもって飛行場を襲撃し、迎撃に上がらんとする日本軍機を滑走路上で撃墜する。そうした後、F8Fの圧倒的な海面上昇能力を活かし、離陸済みの敵機を駆逐するのだ。まったく面白い戦となりそうで、とにもかくにも待ち遠しい――そう思った直後、警報音が悍ましく鳴り響く。


「なにッ!?」


 逆探知装置が予想外に早く唸ったという現実に、思わず驚異の声が漏れた。

 敵対的な対空レーダー信号に感応するそれの警報が、いったい何を意味するかなど、アスティアに分からぬはずがない。





「方位65、距離30に敵機と思しき反応多数。速力およそ200ノットで西進中」


「よし、敵さんおいでなすった」


 駆逐艦『清月』艦長の津賀沼中佐は、電測室が上げてきた報告に莞爾とする。

 身体の奥底から込み上げてくる痛快無比な感覚に、彼はとことん打ち震えていた。サイパン空襲を試みるであろう米艦載機群を電探にて洋上捕捉し、友軍へと無線通報する。つまり彼女が担っていたのは、日露戦役における仮装巡洋艦『信濃丸』と同等の任務で、見事それを達成したのだから当然だ。


 戦史を紐解けば明らかな通り、早期警戒の成功は勝利への第一歩に違いない。

 既にマリアナ諸島に展開している味方機は、大急ぎで迎撃態勢を取っているはずだった。稼げたのは10分に満たぬ時間としても、航空戦の死命を制するには十分だ。しかもそれは何万という海軍将兵の運命に、ひいては祖国の行く末にまで関わってくる。とすれば歴史が動く瞬間に立ち会ったと表しても、過剰なところなど一切ありはしないだろう。

 そうして『清月』乗組員は、昨晩サイパン島に向けて打たれた、「敵機早期発見のため水上挺身す」との発光信号を思い出す。ならばここで戦死するとしても一片の悔いなし、そう言って憚らぬ者ばかりだった。


「しかし……敵は一向に襲ってはこぬようですな」


 暫しの後、副長が少しばかり拍子抜けした声で言う。


「本艦は防空駆逐艦とはいえ、独航しておるのですから、格好の餌食と見えそうなものですが」


「案ずるな。敵が余程の馬鹿者揃いでなければ、じきに何機かやってくるよ」


 津賀沼は何とも楽しげに放言し、果たせるかなその通りとなった。

 幾つかの周波数が喧しい英会話で埋め尽くされた後、大編隊より逆ガル翼のF4Uが8機飛び出した。それらはコルセアなる愛称なさがらに、まったく海賊的なる航空攻撃を仕掛けてきた。


「主砲、撃ち方始め」


「撃てッ!」


 『清月』の主武装が甲高く咆哮し、猛烈なる速度で10㎝高角砲弾を送り出す。

 無論のことそれらは検波信管搭載だ。高射装置に連動する照射装置は、標的としたF4Uを電磁気学的に煌めかせ、機体近傍を掠めた砲弾を炸裂させていく。敵編隊が一直線に向かってきたが故か、百数十発を撃った辺りで有効打が出、撃墜には至らぬまでも、1機が火を吹いて脱落した。


 もっとも対空射撃の戦果は、それにて打ち止めとなりそうな情勢だ。

 大直径のプロペラを唸らせたF4Uの編隊は、騎馬武者さながらに突進してくる。あるいは悍馬に跨りたる西部劇のガンマンだろうか。ともかくも勇猛果敢なる米パイロットに操られたる銀翼は、ちょうど水平線に昇りたる陽を背に急速接近し、翼下に抱きたるロケット弾を轟然と放ってきた。


「さて、どうなる」


 被弾の衝撃に備えつつ、津賀沼は不敵に笑む。

 その直後、『清月』は爆ぜた。ロケット弾の直撃で連装砲1基が損壊し、電探もまた機能を喪失。しかし殊勲艦なる彼女の物語は、ここで呆気なく終わったりせぬから面白い。

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