竜挐虎擲! マリアナ決戦③

サイパン島:アスリト飛行場上空



「糞ッ、数が多過ぎる。これではまるで手に負えん」


「恐れるな。後がないのは敵の方、一気に畳み掛けるぞ」


 凄まじく切迫した声ばかりが、電磁波に乗って拡散していた。

 若干曇りがちなる明けの空には、糸クズめいて交錯する飛行機雲。それらの先端では日の丸や星を描いた戦闘機が、互いの背後を取らんと秒速百数十メートルの格闘戦を繰り広げ、放たれた数多の機銃弾、機関砲弾が大気を切り裂く。武運あるいは技量が拙い機は瞬く間に火達磨となり、所属や階級も関係なく、等しく黒々とした狼煙となって消えていった。


 事実、そこで繰り広げられていたのは、第二次世界大戦でも最大規模の空中戦に違いない。

 何がどうあっても、再建された基地航空隊は初手で撃滅せねばならぬ。かくの如く判断した第58任務部隊指揮官のミッチャー中将は、第一波だけで450機という大航空戦力をサイパン、テニアン両島に投入。一方で駆逐艦『清月』の活躍もあって、米攻撃隊の早期探知に成功した日本側も、200機を超える戦闘機を発進させていた。それらが島嶼上空の制空権を巡って正面衝突するのだから、決闘だの決戦だのという言葉すら生温い。


「しかも島はハリネズミのままときた」


 急降下爆撃経験豊富なガハラー少佐は、厳に守られし目標を睨んで独りごつ。

 相槌がさっぱり返ってこないのは、彼が搭乗しているのがBTDデストロイヤーであるからだった。これは第58任務部隊に4個飛行隊が配備されたばかりの、急降下爆撃も雷撃もこなす最新鋭万能攻撃機なのだが――機体の堅牢さと速力で敵の銃撃に耐えればいいという発想から、後部旋回機銃がそもそも設置されていないのである。


 だがその分、R-3350エンジンの大馬力と相俟って、爆弾を従来の倍以上積むことが可能だった。

 無論、搭載可能重量を残らず使い切るのは稀ではあるが、現に彼の愛機は3000ポンドの大型爆弾を抱いている。それを滑走路のど真ん中に叩きつけ、航空機の離着陸を不可能とし、爾後の戦闘における優位を確保するのだ。与えられた任務の重要性を頭の中で反芻し、また友軍の戦闘機隊の尽力でここまで来れたのだと己に言い聞かせ、あらゆる弱気を振り払う。


「六時確認、よし」


 敵機がおらぬのを確認し、ガハラーは航空無線を入れる。


「花火の中に突っ込むぞ。各機、続け」


「了解」


 部下の航空無線越しの応答を耳にした後、TBDを鋭く旋回させる。

 視界中央に据えたるは、日本軍機の牙城たるアスリト飛行場。艦砲射撃で破壊されたはずの高射砲塔を含め、周囲には信じ難いほどの対空砲が据えられていたらしく、十数か所が一斉に火を吹いた。盛んに放たれる致命的光弾、そのすべてが自分に向けられているかのようで、また電磁波照射の不快な警報音が耳を劈きもした。


(だが、何のこれしき……)


 ガハラーは尚も恐怖と日本軍に立ち向かう。

 両翼に備えられた20㎜機関砲を瞬かせながら、スロットルを全開にしての動力降下。弾片か機銃弾が命中したのか、異音と衝撃が時折伝わってきたりするものの、愛機の防御力を信じて捨て置いた。破壊するべき滑走路はグングンと迫り、彼の意識は照準環の先にある一点へとと集中する。


「そのまま、そのまま……今ッ!」


 投弾。重荷は切り離され、機体は一気に軽くなった。

 精神的な意味でも航空力学的な意味でも、ここで舞い上がらぬことが肝心だ。そうして飛行場の上空400フィートを大速力で駆け抜け、サイパン南岸はアキンガン岬の付近から海へと抜ける。数十秒ほど飛んだ辺りでようやく背後を振り返り――僚機が残らず追随してきていることと、目標付近に濛々たる黒煙が上がっていることを確認した。


「ははッ、どうやら上手くやれたようだな」


「ええ、敵の滑走路は月面みたいになったはずです」


 航空無線に響くは歓声。ガハラーは一応の安堵を得、愛機を上昇に転じさせた。

 ただ間もなくそれは驚愕へと変わった。唐突に電磁波照射の警報が唸り始め、対空陣地などないはずの方向から、暴風のような対空射撃を受けることとなったためである。





 決戦場マリアナへと赴いた第三機動艦隊には、誘引の任が与えられていた。

 端的に言うならば囮である。真っ先にその身を晒し、行われるであろう波状的な空襲に抗堪しながら、米機動部隊主力を拘束する。古来より肉を斬らせて骨を断つというが、生半可な覚悟では斬られる肉の運命に甘んじられぬし、航空母艦20隻以上の大兵力が相手ともなれば、猛攻を受け止め切れぬ可能性も著しく高そうだ。


 だがだからこそ面白い。指揮官なる山口中将はほくそ笑む。

 何せ彼の麾下には、最有力艦が勢揃いしているのだ。将旗をはためかせたるは装甲空母として知られる『大鳳』で、右には準同型艦でジェット戦闘機すら搭載する『海鳳』、左には元イラストリアス級の『迦楼羅』といった具合だ。少し後方には潜水母艦改装の『瑞鳳』、『龍鳳』も控えている。万難を排して守られるべきこれら艦艇に随伴するは、対空戦闘に秀でたる艦ばかりで、しかも米海軍にとっては悪魔も同然な戦艦『武蔵』までが含まれているほどだ。

 そして第三機動部隊は今、サイパン島西方8海里ほどの海域に展開し、思う存分に火力を振るっていた。先程も防空重巡洋艦の『摩耶』と改秋月型駆逐艦2隻が、猛烈な高角砲射撃で敵攻撃機3を撃墜したとのことだ。


「ひとまず緒戦は、目論見通り進捗しておるようか」


 各艦が射撃を継続する中、山口は状況判断した。

 既に高角砲はサイパンのアスリト飛行場、テニアンのハゴイ飛行場の上空を狙っている。発艦させたる80もの直掩機も、ひとまず海に逃れんとした敵機を片っ端から襲撃している。まったく胸がすくような気分だった。前衛の防空戦艦『比叡』が爆弾1命中と報告してきたものの、当たったのが陸用のそれだったのか、被害はほぼないとのことである。


「とはいえ次の攻撃隊は、こちらを狙ってくるだろうな」


「不沈空母と基地航空隊に盾となってもらう他ありません。そのためにも、今は彼等の援護に注力せねば」


 参謀長の淵田大佐は念を押すように言い、続けて手渡されたばかりの用紙を一瞥する。


「長官、敵は新型戦闘機多数を投じてきておるようです」


「ふむ、噂に聞くベアキャットか。参謀長、ジェットは何機くらい追加で出せる?」


「即時発艦可能なのは12機とのこと」


「出し惜しみは禁物、全機上げろ。サイパン上空の火消しに回せ」


 山口は敢然と命令し、すぐさまそれは発光信号で伝達された。

 たちまち『海鳳』のエレベータが上下し、新艦戦の旋風が飛行甲板へと上げられる。賽子を振って6の目が出たら墜落というくらいの確率で、出撃の度に消耗が出てしまう機体だが、新機軸の空戦性能を頼みとする他ない状況だ。


「よし……征って、見て、勝ってこい」


 司令長官はかくの如く激励。数百の帽が振られる中、旋風がカタパルト射出されていく。

 その間にも空中線はいよいよ熾烈となり、艦隊の対空射撃もまた密度を増大させる。轟々と炎熱を吹き、鏃のように驀進していく旋風をもってしても、容易には突き動かし難い嵐が吹き荒れていた。





「大尉、後は頼みます……」


「ふざけるな、俺の列機が勝手に落ちるな!」


 菅野大尉は激怒した。熾烈な空戦の最中、航空無線に向かって吼えた。

 しかし現実は非情でどうにもならぬ。源田大佐が腕利きを集めた343空の中でも、とりわけ飛行時間の長かった古山飛曹長の乗る紫電改は、機銃弾を雨霰と浴びて撃墜されてしまったのだ。


「おおッ、何という戦闘機だ。南無阿弥陀仏」


 神仏にも縋りたくなる気分が思わず漏れる。

 しかしブッダは寝ていて助けてなどくれぬ。より多くの敵機をデストロイしまくるには、2対2の編隊空戦で僚機を失ったが故の窮地を、己が力量のみで脱する以外になかった。


「ええい、ままよ」


 菅野は操縦桿を咄嗟に引き、バレルロールへと持っていく。

 後方に貼り付いて凄まじい殺気を輻射する、やたらと軽快なるF8F。優速なるそれを前方へと押し出し、何とか機関砲の射程に捉えんとの試みで、一応は上手くやることができた。


 とはいえ敵機はすぐさま上昇に転じ、照準はあっという間に外れてしまう。

 しかも追従攻撃は致命的なまでに危険としか言えぬ。歯軋りするしかないが、出力荷重比では我が方に利はないらしく、加速性や上昇率が鍵となる運動は死に直結する。古山の敗因もまさにそれだった。となれば一旦建て直しを図るしかなさそうな状況だが、今度は十分な高度を確保していたもう1機が飛び込んできた。

 そして位置エネルギーを速力に変換したF8Fは、降下旋回での離脱を図る菅野機にピタリと追随。その機影は徐々に拡大し――今にもその両翼が瞬くだろうと思った瞬間、何の前触れもなく火を吹いた。


「むッ……助かったか」


 間一髪、敵機は黒煙に包まれ落ちていく。

 背後より現れたのは、間違いなく日の丸の翼。びっくり仰天なことに、プロペラを回転させることなく飛翔する、最新鋭ジェット艦戦の旋風だった。まさに地獄に仏とばかりに現れたそれは、サッと翼を翻して合図を送ってきた後、新たな敵機を捉えるべくすっ飛んでいく。


「助太刀感謝。我がデストロイタイム、未だ終わらず」


 菅野もまた精神を落ち着かせ、急ぎ索敵を再開する。

 新鋭機が少数あるだけでは戦局は動かし難いかもしれぬが、蟻の一穴となることもあるだろう。可能な限り状況を後者に近付けるべく、砕身粉骨することが、戦闘機乗りの義務というものだ。

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