竜挐虎擲! マリアナ決戦④
太平洋:サイパン島沖
「ううむ……覚悟してはいたが、尋常ならざる損害だな」
帰還しつつある第一次攻撃隊。その惨状を目の当たりにし、ミッチャー中将は顔を歪める。
ちょうど旗艦なる航空母艦『タイコンデロガ』に、酷くふらつきながらも降り立たんとするF4Uの姿が目についた。十数か所に被弾し、右翼も半分になってしまっている機体だった。艦橋にあった全員の視線がかの機の一挙手一投足に集中し、無事着艦が成功しますようにと誰もが神に心願した。恐らくこの場に日本人の将官がいたとしても、同じ祈りを捧げていたに違いない。
とはいっても、運命は時として残酷なものである。
着艦機構に問題が生じていたのか、実のところパイロットが重傷を負っていたが故か、F4Uは勢いを殺せぬまま飛行甲板上を斜めにひた走り――将兵が悲痛な面持ちで見守る中、海面にポチャリと転げ落ちてしまった。すぐさま救助が命じられ、待機していた駆逐艦が急行する。ただ状況はまったく絶望的と言う他なかった。
そして指揮官や参謀たる者達は、1人のパイロットの生命に何時までも拘束されている訳にもいかなかった。責任を負う将兵全員のためにも、今後の作戦方針を迅速に決定せねばならぬのだ。
「それで航空参謀、どれくらいやられた?」
「現在集計中ですが、恐らく未帰還は130前後」
航空参謀たるヒギンズ中佐が、実に悔しげなる口調で推測する。
「修理不能の損害を受けた機も、80を超えるものと推測されます」
「一挙に3割をやられたということか」
ミッチャーの脳裏に、和気藹々とするパイロット達の顔が浮かぶ。
そのうちの幾つかは既にこの世にない。卑劣な真珠湾攻撃から始まった戦争とはいえ、いったいあと何人を見送らねばならぬのかと、自問せざるを得なかった。
更には一撃必殺を期した攻撃も、成功裡に終わったとは言い難い。
撃墜数は400近いとのことで、グアムの飛行場もほぼ無力化できたようだが……サイパンとテニアンの制空権を掌握するには至らず、第二次攻撃の要ありといった状況だ。その上、それら島嶼の近傍には航空母艦5隻を中核とする機動部隊が居座り、盛んに迎撃機を放ってくるという。どちらか一方を叩こうとすれば、もう一方が盾となるという、酷く厄介な構図なのである。
「さて、どうしたものだろうかな?」
「中将、今何より重視すべきは、敵主力が何処を遊弋しているかではないかと」
参謀長のブローニング大佐が臆さぬ口調で言う。
3日前に沖縄からの出撃が確認された、『赤城』や『翔鶴』など本格的な航空母艦10隻超を擁する、宿敵とでも表するべき一大機動部隊。その足取りを掴むべく、第58任務部隊の索敵機や多数の潜水艦に加え、マーシャルや北部オーストラリアに展開するB-29までもが総動員されているのだが、未だに発見には至っていない状況だ。
「これにつきましては、我が軍の索敵状況を鑑みますに、敵主力は北緯19度、東経141度付近を遊弋しているものと推定されます。サイパン付近に展開している機動部隊を囮として我々を食いつかせ、航空戦力を消耗させた上で、一気に勝負を仕掛けてくる心算ではないでしょうか。逆に言うならば、恐らく我々はまだ敵主力の射程に踏み込んではおりません」
「なるほど。妥当そうな分析だ」
ミッチャーは厳かに評し、吟味のため少しばかり口を噤む。
流れたるは沈黙。そこまでの内容に異論は出なさそうな雰囲気で、これまでの暗号解読の結果とも符合すると、情報参謀が最後に付け加える。
「言うまでもなく、敵の術策に乗るべきではありません。現在の位置を保ったまま第二次攻撃隊を発艦させ、サイパン沖の機動部隊を叩き潰してしまいましょう。こちらは敵の迎撃に備えて戦闘機隊を増強した攻撃隊といたします」
「機動部隊を優先するべきかね?」
「はい、牙は折らねばなりません。基地航空隊だけであれば、最悪の場合でも、護衛空母群で対処可能となりますので」
第58任務部隊の後方130海里を航行する揚陸支援艦隊を念頭に、ブローニングは続ける。
オルデンドルフ中将の率いるそれには、優に22隻もの護衛空母が含まれている。機動部隊同士の戦いにはさほど役に立たぬとしても、対地攻撃と防空だけであれば相応の戦力となるに違いない。
「それから本日午前2時頃、アスンシオン島沖の潜水艦『ダーター』が通報してきた機動部隊ですが、こちらも既にググアン島沖まで南下してきているものと予想されます。であれば第二次攻撃隊を発艦させた後、任務部隊の一部を分離し、これの捕捉撃滅を目指すのも手かと。戦力は客船改装空母4ないし5隻程度とのことですから、任務群2、3個を投ずれば、先手を取られたとしても勝てます。無論、しかる後に改めて合流し、敵主力との交戦に備える形です」
「各個撃破を狙うという訳か」
「ならばいっそのこと、我々も囮を出してみてもよいのではないでしょうか?」
意見具申はヒギンズのもので、相応の熱量が声に籠っている。
「具体的にはモンタナ級4隻およびアイオワ級3隻を抽出し、インディペンデンス級数隻を護衛としてマリアナに突っ込ませます。大規模な航空攻撃を受けて大破する可能性はございますが、頑丈さが戦艦の取り柄ですから何とかなるでしょうし、最終的に我々が敵のすべてを沈めれば帳尻が合います。もしかすればサイパン沖の機動部隊に混ざっているらしい、忌々しい大和型戦艦を沈めてくれるやもしれません」
「面白い」
ミッチャーは力強く肯いた。
部下の圧倒的熱量と大胆不敵なる提言が、旨いウィスキーの如く全身に滲み渡り、精神にこびり付いていた弱気を吹き飛ばしてくれたようだ。相応の犠牲は元より覚悟の上であるはずだ。是が非でもフォレイジャー作戦の成功を掴まねばならぬのだと、またそれこそがアーリントンに葬られる者に報いる唯一の方法であると、己を叱咤激励しまくった。
そうして改めて内容を頭の中で整理し、何か漏れがないか反芻していく。
懸念点があるとすれば、大前提である敵主力の位置。索敵機の飛行経路を鑑みれば、ブローニングの見立ては実際に正しそうではあるが、万が一ということもあり得る。とはいえ逡巡ばかりしても埒が明かぬ、そう断じて決断を降そうとした瞬間、フィリピン海中部に敵機動部隊発見との報が、『タイコンデロガ』に飛び込んできた。座標はほぼ予見された通りで、最終的な勝利を確信するには十分だった。
「よし、参謀長と航空参謀の案をどちらも採ろう。ここで一気に敵を叩き潰し、太平洋の戦いを終結に導くのだ」
フィリピン海:サイパン島北西沖
「さてはて、天麩羅作戦第二弾は上手くいったかな」
奇人として知られたる黒島少将は、例によって強烈な臭気を放ちながら、まったく暢気に首を傾げる。
彼が座乗しているのは、悪名高き航空母艦『天鷹』――にそっくりな特設艦『伊笠丸』に他ならぬ。周囲には大鷹型航空母艦の『雲鷹』や『海鷹』、航空機搭載給油艦の『速吸』、戦艦『山城』などの姿もあった。つまるところは補給部隊と対潜機動部隊をくっ付けるなりした艦隊で、随伴する駆逐艦はだいたい雑木林だったりするが、上空から目を凝らしたりしなければ、結構な規模の機動部隊が出現したように見えるという寸法である。
なお艦隊近傍の上空9000メートルほどを、レーダー偵察型らしきB-29が飛翔していた。
盛んに水上捜索用の電磁波を輻射してきた後、緊急電を繰り返し打ちまくったそれは、南方へと針路を取りつつある。燃料が足らぬのか何なのか分からぬが、まことにありがたい話であった。頭上に何時までも居座られ、ジロジロと眺められでもしたら、天麩羅の衣が剥がれてしまう確率が大幅上昇してしまうのだ。
「まあこの分だと大丈夫か。いやはや、"いかさ"丸の面目躍如」
「少将、濁点を忘れとります。"いがさ"丸です」
もはや何百回目だか分からぬが、艦長の戸頃大佐が訂正した。
続けて奇怪な器具から伸びる管を徐に取り、先端部を吸い始める。ブクブクと泡立つ音の後、彼はもわっと白煙を吐き出した。
「それと太平洋大決戦において、連合国軍から滅法嫌われておる『天鷹』を装う訳ですから、今度こそ沈むかもしれません。もしかするとあの恐るべき潜水艦が襲ってきて、いきなり舷側にズドンとやられるやも」
「その時はその時、靖国で囮作戦大成功の舞を踊ってやるまでよ」
黒島はそう言って胸を張る。
フィリピン海に展開するものと見せかけて、一気に東へと突き進んだ第一、第二の両機動艦隊。そちらが来寇せる米機動部隊の撃滅に成功するのであれば、天麩羅機動部隊など全滅したとしても惜しくはないだろう。それにいい加減な艦ばかりが集っているとしても、それなりに勇壮なる戦いぶりを示すことは可能であって――かような結論に達しようとしていた時、思考は泡立つ音に邪魔された。
「ところで戸頃大佐、前々から思っておったのだが……」
黒島は奇怪な器具を一瞥し、
「その奇天烈なブクブク装置は何だ?」
「水煙草とか、シーシャとか呼ばれとる代物です。少将も如何ですか?」
「興味深い。試してみよう」
そんな具合で従兵が管をもう1本持ってきて、世にも奇妙な光景が出現した。
決戦中にあってこの体たらくとは。任務とはいえ海軍の面汚しどもの真似をしているから、脳味噌の毒がそちらにも回ってしまったのではないか。『伊笠丸』の艦橋にあった珍しく生真面目な某士官は、こっそりとそんな感想を漏らしていた。
もっとも――この時、当の『天鷹』は絶賛作戦行動中であった。
しかも666空所属の彩雲が敵機動部隊を発見し、田代二飛曹がその陣容を報告するなどしていたから、流石に今回ばかりは風評被害というべきかもしれぬ。
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