奇想! 天麩羅機動部隊③

日本海:秋田県沖



 恐るべき米海軍の情報網は、確かにこの時期、帝国海軍の航空母艦の所在をほぼ掴んでいた。

 その唯一の例外たる艦こそ、航空母艦『天鷹』に他ならない。択捉島に停泊中の天麩羅軍艦を本物と思わせるため、適当に秋田県は男鹿半島沖を遊弋し、姿をくらます努力をしていたが故である。


 もっとも派手なことはできぬから、なかなかに退屈な航海だ。

 ならば小人閑居して不善をなすと昔から言う通り、素行不良の将兵どもが乱暴狼藉を働きまくってそうだが……最近、妙竹林な経緯で綱紀粛正がなされてしまった。原因はゴリラこと五里守大尉である。拳闘が好きで仲間を増やしたくて仕方のない彼は、喧嘩っ早いのを目聡く捕まえては、


「なになに少尉、元気が余っておるな。よいことだ、一緒に健闘をやろう」


「もっと熱くなれ、熱い血燃やしていこうぞ」


 などと強引に己が道に引き摺り込んでしまったのである。

 それが他の武術を嗜む連中の縄張り意識を刺激し、強烈な負けん気を起こさしめたのは言うまでもない。大勧誘合戦が勃発した末、武術熱がやたらと高まってしまい、暇さえあれば稽古となったのだ。まあ出港の前日、どれが一番強いかというガキみたいな口論で大乱闘の撲撃兄弟事件を引き起こし、また何軒かの飲み屋から出禁を食らった気もするが……健全な肉体に健全な魂が多少なりとも宿ったとしておきたいところだ。


「とはいえ、ちと困りましたね」


 艦長席で疲労困憊気味に零すのは、一応は柔道派の陸奥大佐である。

 婦人相手の寝技が云々と言って憚らぬ彼は、世間一般では文武両道で通っているが、スマートネスをバンカラで下方置換した空間では通じない。それでも最低限の威厳を保たねばならないから大変だ。


「これでは正直、身が持ちません」


「ムッツリ、お前にはいい薬だ」


 司令官にして剣道領袖の高谷少将はにべもなく返答し、


「女に現を抜かしておらんで、もっと筋力を鍛えておけと言ったろ。艦長という仕事は実際体力勝負であるし、敵の艦長との一騎打ちに打ち勝たねばならぬ局面だってある」


「あんなの前にも先にもあれっきりかと思いますが」


「分からんぞ、何が起こるか予測がつかぬのが戦争だ」


 ひょっこり現れた猫のインド丸を撫でつつ、こいつは拿捕した英艦に乗っていたと思い出す。

 まあ確かに飛行甲板での決闘なんてものは例外中の例外かもしれないが……金門橋に衝突した末に爆発してしまった米客船改装空母といい、信じ難い展開は往々にして起こるのだ。というより多過ぎる気もしてくる。


「まあそういう訳だ、気合を入れてかからねばならん。昨日はウェーク島が機動部隊に襲われたようであるし、俺等の戦も近いに違いない。特に今回は待ち伏せ任務、確実に敵空母を仕留めてやるのだ」


「まあ流星が1個飛行隊しか載ってないんですけどね」


 何時の間にか後ろに立っていた副長の諏訪中佐が、ボソリと余計なことを呟く。


「その分、紫電改と零戦は増強されておりますけど」


「うむ。問題はそこである」


 高谷は溜息混じりに言い、ふと側方に目をやった。

 阿呆な衝突事故を起こしてしまったのを契機に、彗星艦爆を搭載するようになった『最上』の姿が、薄ぼんやりと目に留まる。今回の作戦は艦載機戦力の不足を補うため、更にリシュリュー級改装の航空戦艦『伊予』、『讃岐』と合流する予定となっており、それらの援護に必要ということで、『天鷹』はまたも戦闘機重視の編成となってしまっていたのだ。


「だがまあ流星が18機もいれば、戦果も間違いなく挙がるだろ。ゴリラにはキングコング精神とやらで頑張ってもらう。あいつに好き放題させておるのもそのためだ」


 高谷はそう放言し、正面の海を睨みつける。霧がちで視界はまったく不良だった。





太平洋:択捉島沖



「おや……どうやら敵サンも動き出したようです」


 水測室からの報告に、潜水艦『ツナ』の誰もが色めき立つ。

 単冠湾を出てきた機動部隊。それらが陣形を整え、移動し始めたという事実を、機械的に補助された聴覚が捉えたのだ。つい数か月前に配備された新型の音響装置あってこその成果で、まったく新技術様々といったところである。


「針路は北東、速力およそ15ノット」


「ふゥむ、情報は確かだったか」


 艦長のステファニデス少佐は声を強張らせる。

 アッツ島沖での哨戒活動を終えようとしていた頃、『ツナ』は追加の命令を受けた。南千島は択捉島沖に集結中の日本海軍部隊を偵察せよという内容で、聞くや否や公然と不平を漏らす乗組員も少なからずいたほどだ。


 だが――相手が悪名高き食中毒空母で、しかも米本土攻撃が計画されているとなると話も変わる。

 悪辣極まりない黄色人種どもに、これ以上好き勝手させてなるものか。誰もが怒りと使命感に燃え、一方で酸素を無駄に消費せぬよう冷静に、新たなる任務に邁進した。そうした奮闘努力が、今まさに実を結ぼうとしているのだ。


「艦長、如何いたしますか?」


「言うまでもない。一度東に離脱して通報の後、ただちに北上して再度捕捉、雷撃だ」


 ステファニデスは副長の質問に即答する。

 それから彼我の速力と針路を脳味噌に入力し、数秒ほどで概算結果を導出する。


「副長、どの辺りで仕掛けることになりそうだ?」


「概ね新知島の東方沖かと」


「そうだ。この間の『赤城』はボケどものせいで残念なことになったが、それも過去の話だ。今度こそ敵空母を……」


「頭上に爆雷着水音、複数!」


 水測員の最悪の報告が割り込み、艦内の全員が慄然とした。


「急速潜航!」


 躊躇なく発令しつつ、拳を悔しげに握り締める。

 対潜哨戒機が海面付近を飛行していたのだ。しかも潜航中の『ツナ』に向け、いきなり爆雷を落としてきたということは――まぐれという可能性を除外すれば、敵は磁気探知機を装備しているに違いない。


「糞ッ、やられたか」


 胸が張り裂けそうな空気の中、ステファニデスは毒づく。

 そうした中、ふと彼の脳裏を過ったのは、まだツナのサンドイッチを食べていないという事実。普段ならばゲン担ぎを欠かさぬはずが、今日に限っては何故か忘れてしまっていたのだ。





太平洋:アッツ島南方沖



「よし、忌まわしき敵艦を追い立ててこい!」


「別に沈めてしまっても構わんぞ!」


 午後1時の陽光と威勢のよい声援を浴びながら、精悍なるF6Fヘルキャットが飛び立っていく。

 第54任務部隊を率いるシャーマン少将は、旗艦とする航空母艦『レプライザル』の艦橋より、華々しく雄々しい発艦の様子を眺めていた。何度見ても飽きない光景、そう思わざるを得なかった。


 彼等が目指すは言うまでもなく、320海里彼方を航行中の食中毒空母。

 その直上に展開したB-29偵察型の輻射する誘導電波を辿り、手痛い一撃を食らわせるのだ。出撃するパイロットの中には、間もなく戦死する運命の者もあるかもしれないが、犠牲に見合うだけの成果があると信じることが重要だ。


(とはいえ……ここでは宿願は果たされまい)


 空中集合を始めた艦載機群を凝視しつつ、シャーマンは少しばかり遺憾に思う。

 彼はかつて航空母艦『レキシントン』の艦長をしており、沈みゆく彼女から命からがら退艦したことがあった。その恨みを晴らす機会を求め、遂に太平洋の機動部隊指揮官として返り咲いたのである。


 それでも今率いているのは、インディペンデンス級3隻を中核とする快速機動部隊。

 敵地に赴かんとしている攻撃隊にしても、各艦が戦闘機16機を出撃させるのみ。うち半数が500ポンド爆弾とロケット弾を搭載している形で、決して惰弱ではないとしても、3万トンの大型艦を沈めるには力不足の感が否めない。本音を言うならもう幾らか出したいところではあるが、千島列島に展開しているであろう長距離攻撃機にも備える必要があった。


「少なくとも、これで奴等の計画は丸潰れでしょう」


 参謀長も不満と納得を綯交ぜにしたような面持ちで、


「食中毒空母を撃沈するのがクラーク少将の部隊になるとしても、我々の牽制があったが故ともなるはずです」


「まあラッキーヒットを期待したくもなる。例えば敵の飛行甲板に爆装した艦載機が並んだところを、ちょうど襲撃に成功するとかな……いや、ご都合主義な言動は控えよう。ツキが逃げてしまいそうだ」


「実際、逃がす訳にはいきませんからね」


 彼等は口許より幸運を零さぬようにし、太陽の沈む方向へと驀進するF6Fを見送った。

 そうして機影が空に消えた後、視線は南方へと移ろう。今回の作戦の真打となる水上艦隊が、水平線の遥か彼方から向かってきているはずなのである。

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