奇想! 天麩羅機動部隊②

太平洋:択捉島沖



「そろそろお迎えが来るはずだ。各自、気を抜くなよ」


 B-29を駆るテーラー大尉は、機内電話で部下に呼びかける。

 計器が示す速力は330ノットで、飛行するは3万フィートの成層圏。写真偵察機材のみ搭載した機体ならではの侵入方法で、高高度性能の劣る日本軍機が相手なら、容易に捕捉され得ぬだろうと実感できた。


 それでも油断は禁物と、己が心に言い聞かせる必要はあった。

 針路が読まれていたならば、待ち伏せ攻撃を食らってしまうかもしれない。実際この間の聖バレンタイン記念日に、大学の同期で一緒に陸軍航空隊に志願したライアン大尉の乗機が、占守島上空のジークから最低最悪な贈り物をもらっていた。幸いなことに被弾したのは50口径弾のみで、彼の機は難なくウナラスカ島の滑走路まで戻れたが、これが20㎜機関砲弾だったら親友の命はなかったかもしれぬ。


「死にたくなければ、しっかり見張れ。それが大事だ」


「はい……あッ、二時方向に敵機!」


 機銃員が叫び、本能的緊張が全身を駆け抜ける。


「距離およそ3マイル、高度僅かに低い」


「大丈夫だ、それなら問題なく振り切れる」


 テーラーは諭すような声で断じ、確かにその通りになった。

 機体は択捉島上空に差し掛かろうとしているが、今のところそれ以上の迎撃機がいる気配はない。ついでに雲量も低めであるため、絶好の撮影日和といったところだろう。


「それじゃティム、上手く撮ってくれよ」


 古参の技術軍曹にそう呼びかけ、


「この島は北海道爆撃の障害だ。その様子を探ることが、作戦をやる上で大変に重要だ」


「アイサー。ところで爆撃機隊は何時到着しますかね?」


「そのうちだ、そのうち」


 テーラーは何とも曖昧な返答を繰り返した。

 10時間ほど前に離陸したウナラスカ島のクリューガー航空基地は、太平洋の工兵の半分を動員して建設したと言われるだけあって、1万フィートの滑走路を複数備えるなど大変に立派である。本来ならばそこに長距離型のB-29を多数配備し、驚くべき2500マイル爆撃をやる予定だったのだから当然だ。


 とはいえ今現在、滑走路上にあるB-29は2ダースほどの偵察型のみで、他にはアダック島爆撃任務のB-25やP-38がいる程度。

 というのもパリがドイツ軍に包囲され、第12軍集団が100万の市民とともに孤立してしまった関係で、大型機が片っ端から欧州戦線に突っ込まれているのだ。事の重大さを鑑みれば、それも当然の帰結かと思えてくるが、まったく何がどうなっているのだと零したくもなってくる。

 しかもそうした事情が故、長距離型の生産は進捗していないとのことで――賢明なテーラーはその辺りで思考を掻き消した。考えても致し方ないことは、考えぬ方がいいためだ。


「まあ俺等が南千島まで来ているというだけでも……」


「大尉、大変です!」


 カメラを担当していた技術軍曹の、驚異に満ちた報告が飛び込んできた。

 ただ事ではないと直観するに十分過ぎる声色で、それはすぐさま裏付けられた。


「単冠湾に、空母が停泊しています! しかも艦影からして食中毒空母、自分はあいつを珊瑚海で見ました!」





真珠湾:太平洋艦隊司令部



 かつてビフテキをレアで2ポンド食べたと自慢したニミッツ元帥だったが、ここ最近は半ポンドが限界となっていた。

 『ラファイエット』事件の影響であることは言うまでもないだろう。北フランスでの惨憺たる戦況と相俟って、世論の批判は概ねルーズベルト大統領に向いてはいるものの、太平洋艦隊司令長官たる彼を責める声も少なからず存在するためだ。


 だがそれ以上に厄介だったのは、熾烈な権力闘争が勃発したことに違いない。

 ハルゼー大将に対する仕打ちはあまりに無理筋で、故に海軍将校は等しく憤ってはいるのだが――任務部隊指揮官という大きなポストが空いたのもまた現実。その席を巡っての暗闘が既に始まっているのだ。特に自惚れ屋で面倒人士筆頭のタワーズ中将が、太平洋艦隊副司令官の地位にあるにもかかわらず、あれやこれやと策謀を巡らせているというから頭が痛かった。


「しかも、しかもだ」


 ニミッツは溜息混じりに続ける。


「食中毒空母に関する非科学的な迷信が、信じられないくらい広まっている。悪運の強い艦なのは事実だろうが……関わると呪われるだの不思議な力で死ぬだの、滅茶苦茶もいいところだ。だいたい何故ハルゼーが解任されたのまであれのせいになっておるんだ、硫黄島沖で戦ったからか? あり得ないだろうそんなの」


「ですので今度こそ、あの食中毒空母の息の根を止めるべきかと」


 参謀長のマクモリス少将は敢然とした口調で続ける。


「暗号解読班の分析によると、やはり日本海軍は食中毒空母による米本土攻撃を目論んでいると」


「にわかには信じ難いが、本当なのかね?」


 ニミッツは首を傾げ、大いに訝しむ。

 情報そのものは一昨日には齎されていた。耳にした瞬間は思わず仰け反ってしまったが、冷静に考えてみれば無謀と評する他ない内容で、偽電の類だろうと一度は退けたのだ。


「再検討の結果、相当に確度が高いと判明いたしました」


 マクモリスは傍らの人物に目をやり、


「エド、そうだな?」


「はい。間違いありません」


 情報参謀のレイトン中佐は疑いようもない音吐で断じる。

 日本通で知られるこの男は、今の太平洋艦隊に欠かせぬ逸材だ。マクモリスはソクラテスなどと渾名された知恵者だが、諸々の判断材料を提供しているのが、他でもない彼なのである。


「既に食中毒空母は作戦に備えて択捉島に移動したと見られ、スパイやソ連船の目撃情報もこれに合致いたしました。隠密性重視ということか、他の空母が参加する予定はない模様。また大型の飛行艇がアッツ島に展開し始めております。米本土を空襲するに当たってウナラスカ島の航空基地を爆撃、我々の哨戒能力を低減させる心算かもしれません」


 レイトンは度の強い眼鏡を神経質そうに直し、


「それから日本海軍内の人事情報を総合するに、黒島とかいう曲者がこの件に絡んでいるとのこと。こいつは敵将山本五十六の有力な部下の1人で、真珠湾攻撃や一昨年の米本土空襲を企画した人間でもあり……更には『ラファイエット』事件を引き起こした張本人であるとのことです」


「何ッ、何だと!」


 司令長官室の空気が一変し、この世すべての理不尽に苛まれた記憶が脳裏に蘇る。

 ただニミッツは理性的で、まず己が精神に渦巻く憎悪を抑制した。『ラファイエット』をサンフランシスコ沖で雷撃してはならぬという法は、当然存在するはずもなく、それで敵を恨むのは情けない態度と結論付けていたからだ。


 とにかく落ち着け。己に言い聞かせつつ、砂糖を大量に入れたコーヒーを一口飲んだ。

 それから軽く咳払いし、尻込みがちなレイトンに先を促した。彼は情報参謀に相応しい雰囲気を取り戻し、説明を再開する。


「一般に相手の虚を突くことで成り上がった人物にとっては、そうした実績こそが組織内での神通力となるもので……それ故に盛大な失敗に至るまで奇策を繰り返そうとする傾向がございます。特に昨年末、守勢での手腕を見込まれた日本海軍の古賀長官が、横須賀空襲で空母複数を喪った件で引責辞任を余儀なくされました。後任の豊田大将は古典派的な性格との評ですが……山本や黒島のような人間が影響力を増大させたと見ることもできるのではないでしょうか? 自分からは以上です」


「ありがとう、エド」


 マクモリスがサッと謝し、眼光を研ぎ澄ませる。


「長官、やはり今後の戦局を有利とするためにも、ここで先手を打って食中毒空母を撃沈してしまうべきです。択捉に停泊中か、出撃した直後の油断しているところを狙うのが上策でしょう。上院議員の先生方や財界のお偉方も『ラファイエット』事件の関係者に懸賞金を出すとか言い出していますし、神聖なる国土を狙う不届き者を討ち取ったともなれば士気も大いに高まるかと」


「懸賞金か、まったく何時の時代だ……」


 思い切り渋い顔を浮かべ、ニミッツは如何とも溜息。

 政財界の有力者を大勢乗せた艦が金門橋ごと爆発四散したせいで、作戦立案に当たって妙な要素を考慮しなければならなくなった。あの場でもっと明確に反対していれば……無論、後悔先に立たずだ。


「まあいい。とりあえずソック、食中毒空母の米本土空襲は絶対に阻止せねばならぬとしても、問題は幾つか考えられる」


「はい」


「まずこれ自体が、我々を誘き寄せるための罠で、別動隊が存在するという可能性は否定し切れないだろう。それから正直嫌になってくるが、既に空母任務群を2つも南太平洋に送り出してしまった」


 なおその理由が陸軍作戦の支援だったため、ニミッツは少し憂鬱になる。

 アラフラ海周辺諸島の制圧は確かに戦略的には重要で、後々のマリアナ侵攻の助攻となるという面もあるのだが、やはり自己陶酔のコーンパイプ野郎はいけ好かない。


「そうした現実を鑑みれば……今すぐに出せる戦力は精々が空母任務群1個に、通商破壊任務に出す予定だった軽空母を数隻追加できるかどうかといったところでしかない。ソック、君は千島沖で勝負を仕掛けて確実に食中毒空母をなきものとしたいようだが、あの辺りには航空基地も多く存在しておるし、これで大丈夫なのかね?」


「長官、ご安心ください。基地航空隊は先手を取ってしまえば大した脅威にはなり得ません」


 これまでの戦訓を基とし、マクモリスは自信満々に断言する。


「それから別動隊が存在する可能性ですが、日本海軍の空母の所在地は食中毒空母を含めほぼ掴めております。それを踏まえますと、出てくるとしても精々が軽空母1隻か2隻が限界でしょう」


「なるほど。まあ、そこは改めて確認せねばならんな」


「はい。ともかくも長官、ここに秘策を用意してございます」


 太平洋艦隊の賢者は不敵に笑み、茶封筒を手渡してきた。

 満を持しての提案であろうそれにニミッツは素早く目を通し――なるほどこれならいけそうだと直感した。それ自体は大成功を収めたスカイボルト作戦と同様、積極性と意外性に溢れており、仮に別の日本海軍部隊が待ち伏せていたとしても返り討ちにする内容だ。伊達にソクラテスと渾名されていないと改めて思う。


 そしてそれから間もなく、決定的な一報が飛び込んできた。

 長距離偵察任務に赴いていた陸軍のB-29が、択捉島は単冠湾に航空母艦が停泊しているところを撮影したというのだ。肝心の写真はまだ現像中とのことだが、経験豊富なクルーが間違いないと証言しているとのこと。画像分析の結果が異なれば再検討すればいい、そう考えれば気分も楽になってくる。ついでに胃の痛みも多少和らいだ。


「よし、やってやるとしよう」


 ニミッツは深呼吸した後、決断した。


「ここであの忌々しい食中毒空母を撃沈し、彼女に絡む馬鹿げた迷信を過去のものとしてしまおう。合衆国海軍の勝利のためにはそれが必要だ」

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