奇想! 天麩羅機動部隊①
佐世保:航空母艦『天鷹』
「おいおいおい、いったい何なのだよこれは」
第七航空戦隊司令官たる高谷少将は、これ以上ないくらいに首を傾げた。
司令官室の机には雑に並べられたる多数の写真。チョイと一瞥しただけであれば、それらは停泊中の『天鷹』を捉えたものと見えるかもしれない。だが撮影場所はまるで行った覚えのない徳山湾で、更につぶさに観察してみると、所々より猛烈な異物感が漂ってくるのである。
「似せてはあるようだが、『天鷹』じゃないな。謀略用のイカサマ写真でも合成したんかね?」
「いえいえ。これこそが天麩羅軍艦、ついでに私が変な部長です」
突然乗り込んできた黒島なる怪少将は、そう言って不気味に微笑んだ。
身なりの汚さは以前会った時よりも破滅的となっており、おまけに異常に臭かったので、高谷は香料のきつい洋モクで誤魔化さざるを得なかった。何故こんなのが海軍将校を、しかも軍令部の第二部長なんぞをやっているのだ。自分のことは棚に上げ、そう零したくもなってくる。
「なおこの場合の天麩羅というのは、天麩羅学生とか天麩羅舗装とかと同じ意味ですぞ」
黒島はそこで何か思いついたのか手を叩き、
「ああ、天麩羅の『天鷹』ですから、『天麩羅鷹』でいいかもしれません。高谷少将、私はこの秘匿名称が気に入りました」
「まったく訳が分からん。どういうことなのだ?」
「つまるところ『天鷹』の偽物を拵えた次第で」
「は……?」
高谷は言葉を失い、続けてゲホゲホとむせる。
開いた口が塞がらないとはこのことで、奇天烈な沈黙が室内に充満する。困惑した面持ちで机上の写真に目をやると、確かにしょうもないくらいに偽物だった。
「いや高谷少将、例えばベニヤ板なんを組み合わせて航空機の偽物を作り、滑走路の脇に並べて囮にするという戦術は、現にニューギニア戦線などで用いられておりますよ。それとまったく同じことを、軍艦でやろうとしたまでで。ああまあ、既にやってしまったのですが」
「うん……『天鷹』そっくりのハリボテを作ったと? だから天麩羅なのか?」
「まさしくその通りで。艦長の陸奥大佐にも協力いただきました。なお元が戦標船ですので自力航行いたしますし、浮力材を充填するなど沈み難くもしてあります」
そんな調子で黒島は主導権を奪取し、あれやこれやと説明を開始した。
抹香の強烈なのと相俟って、正直なところ頭痛がしてくる。とはいえ話を聞いていると、一応は真面目な議論ではあった。特に横須賀空襲で航空母艦が何隻もやられてしまったのを機に、こうしたインチキ艦を港に並べておくことで、敵の目を欺いたりいざという時の被害局限ができたりするという結論になったらしいのだ。
ただそれならば、まず偉ぶった『赤城』や『飛龍』の偽物が造られているはずである。
それが真っ先に『天麩羅鷹』となると――どうにも一筋縄でいきそうな気配でない。しかも目の前の臭くてたまらん奇人部長。率直に言って、妙な予感しかしなくなるというものだ。
「ともかく、我々が今必要としておるのは時間稼ぎでしてね」
黒島は幾分真剣な面を構え、続ける。
「我が術策によって金門橋は空母を巻き添えにして崩落、欧州ではパリがまんまと包囲され、白亜館は今日もドッタンバッタン大騒ぎ。とはいえ耄碌のル大統領が昨今の政治的窮地を打開するため、まかり間違って米海軍に早期のマリアナ侵攻を指示するかもしれません。そうなると準備の整わぬ聯合艦隊は大変に拙い」
「うむ。その実、来月がなかなか危機的という話だよな」
如月も中旬過ぎの暦に目をやりつつ、高谷もまた多少はそれらしい受け答え。
『天鷹』は修理と改修を終えたばかりだったが、被害の大きかった『翔鶴』や『大鳳』などは復帰にもう少々の時間がかかる。一方、米機動部隊は既に横須賀空襲前の水準を回復したというから、状況はかなり剣呑だ。地上兵力は欧州戦線にかかり切りであるとしても、例えば艦隊型航空母艦を用いた大規模通商破壊戦をやってくるという可能性もあり得た。
「故にこの辺りでひとつ、米戦力の漸減を図っておかねばなりません」
「ふむ。要するに『天麩羅鷹』とやらをどっかに停泊させて米機動部隊を誘引、一本釣りにしてしまう訳か」
「それだけではありません。天麩羅機動部隊を編成します」
黒島は身を乗り出しながら、何とも珍奇な語句が自信満々にひり出す。
「本来であれば囮任務は、米英に目の敵にされておる『天鷹』に任せたいところではありますが……この時世にあって大型空母は、バンカラのやくざ艦であろうと絶対に喪失する訳にはまいりませんので」
「おいこら、あんまりな言いようだな」
「ともかくもそうした訳で、この『天麩羅鷹』を使う訳です。先述の通りこいつは一応動きますし、速力欺瞞のための気泡発生装置も艦尾に取り付けてありますから、何隻かの護衛艦艇をつければ機動部隊らしくも見えるでしょう。それでもって乾坤一擲の米本土空襲を計画しているとか嘘八百を垂れ流し、千島沖にでも遊弋させておけば、さしものニミッツめも艦隊を差し向けてくるかと。どうもアメ公ども、こちらの暗号を読んでおる節がありますので」
「それを横合いからぶん殴り、何隻か沈めてやると。なるほどな」
高谷は不敵に笑み、黒島もまた首肯する。
それから煙草を少し吹かした。相変わらず香りがきついが、次第に深みのある味に思えてきて、闘魂が沸々と煮え滾る。
「いやはや、貴官はやたら臭いだけあって、なかなか面白いことを考えるじゃないか。俺のところまで喋りに来たからには、もちろん我が七航戦も本隊に参加するのだろうな?」
「ええ。近いうちに誰かが作戦の説明に来るかと」
「よし。マリアナ決戦では必ず敵主力艦を沈めてやろうと思っておったが、その前哨戦でも十二分に戦果を挙げてやる」
高谷は声を張り上げて意気込み、華々しき海空戦の様相を脳裏に描いた。
『天鷹』のまがい物に敵攻撃隊が殺到している隙に、紫電改や流星を米機動部隊上空に割り込ませ、憎きエセックス級に50番爆弾を叩き込むのだ。そうして飛行甲板を叩き割ったところで、魚雷を抱いた機を追加発進させ、悉く海の藻屑と変えてしまう。まったく血沸き肉躍る想像だった。
無論のこと天麩羅軍艦に乗り組む者達は、凄まじく狂暴な敵艦載機群をまともな装備もなしに相手とする訳だから、壮絶な覚悟が求められるに違いない。
それでも今次大戦を皇国の勝利へと導くためには、時として肉を斬らせて骨を断つ戦術も必要で――そこまで思い至ってふと、ひとつ疑問が湧いて出た。
「ところで黒島少将、ちょいと聞きたいのだが、この天麩羅機動部隊の司令官は誰の予定だね?」
些か不安を覚えつつ、高谷は尋ねる。
「こんなけったいな部隊を指揮したがる人間など多くはなかろうが……まさか、俺が転属だとか言わんだろうな?」
「いえ、実のところ私もそう提案したのですが……結局、言い出しっぺが行けとなりまして」
「おう。潮風に当たるのもいいものだぞ」
高谷はこの野郎と思いながらも豪気に言い、最悪骨は拾ってやると付け加える。
対する黒島も変に悟ったような愛想笑い。漂ってくる臭気だけは本当に勘弁願いたいものだが、体を張って言行一致に務めるのはまあ良いことに違いない。
「あとそうだ。天麩羅、天麩羅と繰り返しておったら、久々にあれがやりたくなってきた」
「高谷少将、指示代名詞で言われても分かりませんぞ」
「実のところ『天鷹』名物はエビ天でな、験担ぎが必要な時には毎度皆で食うのだ。折角だから付き合えよ」
かような具合に恒例行事が急遽企画され、黒島も強制参加と相成った。
言うまでもなく、出されたエビ天の中には鉱油で揚げたものが含まれていた訳だが……今回当たりを引いたのは零戦乗りの秋元中尉で、怪少将にとっては単に美味な記憶となってしまったから興醒めだ。
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