空母戦力テコ入れ計画

東シナ海:五島列島沖



「発艦準備よし」


 拳を振り上げての合図を送るや否や、全身を猛烈な衝撃が襲った。

 愛機たる流星が、凄まじい勢いで加速しているのだ。飛行甲板は寸秒のうちに過ぎていき、あっという間に空へと放り出される。離床速度には僅かに足りない。すぐに操縦桿を引き寄せたくなる心理をボコボコに抑圧し、誉エンジンを轟々と吹かしながら、緩やかな下降から水平飛行へと持っていく。


 そうして十分に速度がついた辺りで、五里守はおもむろに機体を上昇させ始めた。

 後ろをサッと省みてみれば、聯合艦隊有数の殊勲艦として知られる航空母艦『瑞鶴』の、卯月の海に白き航跡を棚引かせたる姿が目に留まる。先程まで彼女の甲板上に屯していたのが嘘のようで、この上なく爽快な気分だった。


「いやはや、カタパルトというのは世紀の大発明だ」


 五里守は渾名の如く、己が胸をドカドカ叩きながら喝采する。


「キングコングに機体を投げ飛ばしてもらっとるみたいじゃないか」


「まったくですね」


 ペアになって長い曙飛曹長も朗らかで、


「あれやこれや積んで6トン近い重量なのに、楽々と飛び立てます」


「うむ。ブリテン野郎には感謝感激ナックルをくれてやりたいところだ」


 愛機を旋回させて僚機を待ちながら、五里守は無茶苦茶を言ってゲラゲラ笑う。

 ただ彼の上機嫌が英国に由来するのは紛れもない事実であった。開戦劈頭のマレー沖海戦で座礁した挙句に鹵獲され、後に『迦楼羅』と命名された航空母艦『インドミタブル』。彼女が帝国海軍にとっての鴨であるとすれば、背負っていた葱に相当するのが、飛行甲板のHI-1型カタパルトに他ならぬ。そしてそれを基に制式化されたのが、彼等が乗る流星を大空へと投げ飛ばした三式三号四型射出機であるからである。


 無論、『瑞鶴』が同装置を備えたのが最近であることから分かる通り、設計開発は相当に難航した。

 何しろ油圧式のカタパルトというのは未知の存在に近く、試験中に問題をよく起こしたのもまた事実。それでも5トン超の航空機を1分以内に連続射出可能という性能は、特に艦載機の際限ない大型化傾向に頭を悩ませていた者達にとってあまりに魅力的だった。そのためとにかく複製と違法改造を急げと大号令がなされ、3年近い試行錯誤を経て、ようやくのこと量産化に漕ぎ着けたという経緯があったのだ。


「何しろこいつがあれば、鈍足の母艦にも流星が載せられる」


 五里守は声を弾ませた。

 実際、先程の発艦は速力23ノットで行われており、ふと側方を見てみれば、僚機の空に舞い上がる姿が目に留まる。


「つまり今になって天山に乗り換えたりせんで済むという訳だ」


「ところでカタパルト、『天鷹』にも装備されるんですかね?」


「何を言っておるんだボノ、そうでなけりゃ666空に流星が配備され出したりせんだろう」


「あるいはその、航空隊ごと他所の艦に編入とか」


「あり得んな。何せ666空と聞いただけでどいつもこいつも顰め面しやがる」


 五里守は憮然としつつ、『瑞鶴』の連中と揉めたことを思い出す。

 着艦が荒っぽ過ぎる等の技術的な指摘であれば傾聴に値する。とはいえマナーが悪いとかスマートでないとかつまらぬ難癖をやたらと浴びせてくるのがいたので、ついついゴリラ鉄拳が飛んでしまったのだ。


「ううむ、何だか腹が立ってきた」


「大尉、憤りのあまり操縦桿をブチ壊したりせんでくださいよ」


「ボノ、俺がそんな真似をするか。まあいい、今日の射爆演習で優良極まりない成績を挙げ、お高くとまった601空連中の鼻を明かしてやろうではないか」


 そんな調子で僚機を集め、颯爽と編隊を組み、演習海域までひとッ飛び。

 未だ再建途上の航空部隊であることを鑑みれば、なかなかに練度が高まっていると言えそうで、急降下爆撃訓練で実際良好な成績を叩き出したりした。


 ただ総合的な技量としては、やはり601空の方が一枚上手といったところ。

 そのため射爆演習に関する講評が終わった直後、またも搭乗員同士の暴力沙汰が勃発してしまった。集まり散じて人は変われど、何処に出しても恥ずかしい『天鷹』魂、未だ健在といったところである。





佐世保:海軍工廠



 五里守大尉のカタパルトに関する予測は、実のところ正解だった。

 来るべきマリアナ決戦に備え、何とか安定的に性能を発揮するに至った三式射出機が、特に艦隊型航空母艦には片っ端から取り付けられ始めていた。海軍内での評判がまったく芳しくないとしても、『天鷹』もまた3万トンの大型艦に違いない。故に修理ついでに改装せよとの判断がなされ、彼女の装いもまた一新されることとなった。


 また打井中佐率いる第666海軍航空隊に関しても、実際それを前提として機種転換がなされていた。

 当面、戦闘機の半数は零戦のままとなるようだが、昨年の硫黄島沖航空戦で大奮戦した紫電改の艦載型が戦列に加わる。更に艦爆、艦攻は最新鋭の流星でひとまとめにし、グラマンを悠々と振り切って逃げたりした彩雲も配備されるというから、かなりの大盤振る舞いと言えるだろう。


「それに加えて、対空新兵器も増し増しときた」


 艦長を務める陸奥大佐もまた、満足げなる面持ちを浮かべる。

 今も改修工事真っ最中の『天鷹』左舷を眺めてみれば、妙なパラボラアンテナ付きの高射装置が見つかった。対空射撃の効率を圧倒的に向上させる、高谷少将の発明したる高角砲弾起爆装置に他ならない。


「長10㎝高角砲への換装が流れちまったのはちと残念だが……まあこれで色気が一層高まるといったところだ。うちの女房がヤキモチを焼いてしまうかもしれん」


「とうに呆れられておると伺っておりますが」


 チョイと苦笑いしながら応じたのは、坂井戸なる造船少佐。

 妙な縁からメイロこと鳴門中佐の義兄になったこの人物は、そのせいか『天鷹』の修理改装を担当していた。


「何でもこの間、仏語で書かれた手紙が実家に届いたそうじゃありませんか」


「おい、どうしてそれを知っておるのだよ」


「義弟から色々と聞きまして」


 坂井戸は少々悪戯っぽい声で明かす。

 観念した陸奥は己が体験を自慢話として披露することにし、更に在仏中の諸々があってリシュリュー級の日本回航なったと結論付けたりした。彼女達が新鋭の航空戦艦『伊予』、『讃岐』として聯合艦隊に加わった背景には、実際軍事探偵小説的な展開があり、その主人公が自分だったりしたのだから当然だ。


(ただ……)


 悲劇のヒロインめいて南米へと逃れたはずのマリィは、手紙を寄越せるくらいには落ち着いているに違いないが、今後どう生きていく心算だろうかとふと思う。

 身辺の安全のためには致し方ないとしても、ブエノスアイレスは容易に慣れ得ぬ土地に違いない。それが皇国に牙を剥きたることへの罰なのやもしれぬが――今次大戦が日独伊の勝利で片付いたならば、彼女もまた故郷の南仏に戻れたりもするのだろうか。


「まあいずれにしても、今は米機動部隊撃滅に心血を注がねばなるまい」


 我ながら強引と思いつつ、陸奥は話題を転じた。


「我等が『天鷹』はそのための重要な1隻だ。予定通りいい女に仕立ててくれ」


「そこはその、さっさとドックを開けろと責付かれておりますから。ただあれこれ対空火器を積む影響で、些かトップヘビー気味になってしまいますので、ともかくもその点だけは気を付けてください。元々操艦性に癖のある艦ですので……」


 生真面目な口調で喋り出さんとしていた坂井戸は、何か重大な見落としにでも気付いたのか、そこではたと沈黙する。


「うん、どうかしたかな?」


「いえ、少々物忘れをしている気がしまして……ああ、そうでした」


 坂井戸は独り納得して手を叩き、


「今朝がた呉海軍工廠の瀬田造船中佐より、至急電話がほしいとの言伝がありました。よく分かりませんが、何でも『天鷹』に関連する計画があるとかで」


「おいおい、既に午後3時過ぎだぞ」


 もしかすると鳴門の遅刻癖が、義理の兄となった坂井戸に伝染してしまったのだろうか。

 そんな風にいらぬ憶測を立てたりしつつ、陸奥は電話口へと急ぐ。受話器の向こう側より投げ込まれるのが、あまりにも突拍子もない内容だということを、この時点で知る由などあるはずもない。

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